第4話 黄色い箱の力(2006年7月)

私はバイク通勤をしている身である。
乗っているバイクはホンダのカブ50。最近の古カッコいいカブ50ではなく、農家のオッサンや集金をする人、もしくは農協の職員が愛して止まない旧型のカブ50である。
購入価格は2万円。
価格が価格であるから、シートには穴が空いていて、ミラーを取り付けるネジは、当たり前のようにいかれている。スピードメーターも叩かねば動かない。
ただ、エンジンの調子はいい。何と始動セルも生きている。
見た目さえ気にしなければ何の問題もないのであるが、一点だけ困ってしまう事がある。荷物を積むところがないのである。
後ろにペタンとした荷台が付いてはいるのだが、いちいち紐で括っていては手軽な乗り物が手軽でなくなってしまう。
という事で!
先人の智恵に倣い、プラスチック製の黄色いミカン箱を荷台に付けてみた。
するとどうだろう。
私にとって何となく恥ずかしい存在であったカブ50が圧倒的な存在感を持ったニッポンの乗り物へと早変わりしたではないか。
そのフォルムは柳川の田園風景へ何の違和感もなく溶け込み、その走る姿は誰もが振り返らずにはいられない。
(黄色いミカン箱が、この乗り物をニッポンという国に仕立てた…)
私はたったそれだけの事が与える影響に唖然とし、先人の智恵と感覚に強い感動を覚えた。
(サッカーのニッポン代表も、これに乗って登場して欲しい!)
心からそう思える見事なバランスと迫力、そして愛国心であった。
ミカン箱を装着してからというもの、私は車に乗らなくなった。
通勤にも買い物にもパチンコにもカブ50を利用した。
ミカン箱は幾つもの荷物を積み、たくさんの思い出を運んでくれた。
ある時は市場で買った魚が乗り、ある時は買い込んだアルコールや食料品が乗り、ある時は会社の重要書類が乗り、ある時は愛娘が乗った。
色々なものを乗せれば乗せるほど、
(日本のものはミカン箱を基準に作られているのではないか?)
そう思えるほど、多くのものがピッタリはまる事に気付いた。
また、ミカン箱には犯罪を抑圧する効果もあるらしい。
財布の入ったバックを丸二日もミカン箱の中に置き忘れた事があった。決して人通りの少ない場所ではなかったのだが手付かずで残っていたし、バイクを離れる時、箱にヘルメットや買ったものを投げ入れてゆくのだが、取られたためしがない。
その代わり、箱の中身が増える事はある。
パチンコ屋に駐輪した時、余り玉で得たお菓子を皆が投げ入れてゆくため、自然とお土産が増える。あるショッピングセンターでは食いかけのハンバーガーが投げ入れられていた事もあった。
いずれにせよ、自転車やバイクがズラリと並んでいるところのミカン箱という環境の事である。その中でミカン箱だけが何も減らずに増えてゆくというのは何か理由があるに違いない。
そういえば、ミカン箱を装着してからというもの、パチンコの調子もいい。
信号待ちでは、
「あたはどこの農協な?」
完全なる地元民と間違われ、軽トラに話しかけられた事も一度や二度ではない。(作業着が農協に似ている事も一理あるが)
そうそう、ノーヘルで警察に呼び止められたが注意で終わった事もあった。
ニッポンという国とミカン箱には何か大いなる関係があるのではないか。
八百万(やおよろず)の神はニッポンという国を造られ、その民にオマケとしてミカン箱を与えられたのではないか。
「何なんだ、ミカン箱! お前のその力は?」
極めて宗教心の薄い私だが「ミカン箱教」なるものがあったら入るかもしれない、そう思いつつ今日もミカン箱付きカブ50に跨る。
旧型のカブ50、荷台にはミカン箱、乗っている人間は見るからに昔の体型、そして見渡す限りの地平線、見つめる先には有明海へ落ちる夕日。
(さぞや絵になる)
そう思うが、私はそれを眺める事ができないし、嫁は他人のフリ。
「頼むよ、ミカン箱」
さすがのミカン箱も、それから先は無力であった。
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