第10話 三十路入り(2007年5月)

私事であるが、5月15日、晴れて三十路を迎える。
この極めて微妙な節目の日を大抵の人は恐れ慄くが、こと私に至ってはちょっぴり嬉しい。
半年ほど前、某有名企業を訪れた時、こんな事があった。
ある上役と商談ルームで真面目な話をしている折、若い女の子が茶を持ってきた。落ち着いた挙動で私に一礼し、そっと茶を置くオフィスレディーであったが、
「ところで福山君、歳は幾つになったかね?」
上役の質問にレディーの手がピタリ止まった。そして、
「29になります」
私が素で応えた瞬間、レディーは茶が乗った盆を床にぶちまけた。
「大丈夫ですか?」
とっさの事で私はレディーの火傷を心配した。
「おいおい、大丈夫かぁ、しっかりしろよぉ」
眉間に皺を寄せ、レディーの失態に溜息をつく上役。
そんな二人にオフィスレディーはこう言った。
「すいません、ビックリしたもので」
29歳という私の年齢に茶をこぼすほどの衝撃を受けた、その事を正直に告げた女。なかなか見所のある女であった。
「そんな事を言っちゃダメだろ、しかしねぇ・・・(私の顔を見ている)、むふっ」
間を置いて笑った上役。こやつには丁重な突っ込みをお見舞いしてやった。
続いて、こんな事もあった。
会社の食堂で健康診断を受けていた時の事である。私は二十代なので採血は必要ないのであるが、しきりに私を誘う採血担当の看護婦がいた。
「だけん俺は二十代って言いよるでしょーがー」
「嘘ば言いなさんなっ、早くっ」
私を三十路と決め付けた彼女の確固たる自信。それが彼女の挙動や熱い瞳から溢れ出ていて、涙ながらに免許証を出した。そんな悲しき出来事もあった。
他にも年齢的アクシデントには事欠かぬが、紙幅の都合で止めておく。
そんなこんなで二十代も後数日で終わりを告げる。その日を境に「三十路」という全年代で唯一「路」の名を賜っているアリガタイ領域に突入する。働き盛り、脂が乗り始める時期と人は言うが、働くペースを変えるつもりはないし、腹部にある違う意味の脂は、既に過ぎるほど乗っている。
特に身構えるところもなく、歓迎するわけでもなく、ただ客観的に三十路なるものを興味と期待を持って冷静に眺めている自分がいる。強いて感慨を述べるなら、前述のアクシデントが減ってしまう、その事が悲しいような嬉しいような、よく分からんがちょっぴりワクワクしている。
博識で行動力に富んでいて、物事の粋を愛するダンディー中年、そんな男に憧れて色々な真似事をしてきたけれども、自分で分かるのは重くなっていく体と確実に早くなった息切れのタイミング。男は背中で語ると言うが、自分では絶対に見えない、そして気付かない、更に意識できないところに真のダンディズムは宿るのだろう。
カブ50にジャージで跨り田舎道を疾駆、夜は娘を連れて焼き鳥屋、主張するのは屁をふる権利。
三十路を節目に私の挙動を点検してみると、理想像から遥かに離れた私が見えた。
「おじさま」と呼ばれたいのに「おっさん」と呼ばれてどうするか、頭を抱えるより他はない。
風呂上り、自分の背中を見てみようとスッポンポンで鏡の前に立ってみた。背中の肉がつかえ、腰が回らず見る事すら叶わなかった。
不意に嫁が現れた。
「何やってるの?」
「なぁ、聞かせてくれ、俺はダンディーや?」
「・・・」
何も言わずに去っていく嫁。せめて「馬鹿」とか言ってくれ、そう思うが脇腹の肉はダンディー中年への厳しい道程を無言で諭し続けている。
「まずは夏に向け、ナウいTシャツを」
買ったシャツはやはりヘインズ3枚パック、悲しきおっさんは今日もビール飲み飲み野球観戦であった。
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