第12話 そっけんがら(2007年7月)

「そっけんがら」
この文字列が何を意味しているか…、分かる人はまずいまい。熊本出身の私でさえ、その漁師言葉に首を傾げた。
この言葉、「だから」を意味する柳川地方の漁師言葉である。
使用法はこうだ。
「明日は台風がくってったい。そっけんがら、遊びたくても遊ばれんばい」
上の例は多分に熊本弁が混じっているため、地元の人から「違う」と突っ込まれる事は間違いないが、とにかくこういった感じで「だから」という使い方をする。
私が住んでいる柳川市田脇というところは、会社のある柳川市間から徒歩5分のところにある。同じ「昭代」という校区に属し、地元の人に言わせると柳川の文教地区、そしてベットタウンらしい。両方とも酒の席で聞いた話だから勝手に創作された可能性は高いが、とにかく地元の人に言わせると知的で閑静な場所らしい。
歴史は古い。
市の古文書館で調べてみると、条理遺跡というのがこの辺にあり、中世の遺構が残っている。想像するに古い古い時代からの、まじで古い漁師町が、この昭代という地域ではなかろうか。
ちなみにこの近辺、世の混乱に無縁だったかというとそういうわけではない。戦国期、すぐそばで合戦が行われている。蒲池という豪族と、田尻という豪族が近くにおり、それら豪族は九州御多分に洩れず切り取り合戦の餌食となっている。
この時期、九州三強といえば島津家、大友家、龍造寺家であるが、蒲池家も田尻家もこれらに付いたり離れたりしながら徐々に消えていったようだ。
よって、根っからの漁師町といえども多少の政治的曲折はあったはずだ。
が…、昭代という場所は、それら合戦の場所から適度な距離をもっている。たぶん町の方針としても、この適度な距離を活かし、政治的曲折に巻き込まれないよう政治的な努力を重ねたのではなかろうか。
彼らは頭を下げるのがうまい漁師を外交官に任命し、したたかに集落を守るべく智恵を持ち寄ったであろう。それでどうにかなると思われ、現にどうにかなった。言い換えれば、政治的に魅力のある場所でもなく、あくまでも魚を取るための集落だったのではないかと思われる。
九州は戦国以降平穏ではない。
前述の三強が争っているところに、山口を拠点とする毛利家がちょっかい出してきたり、終いには島津家が九州を平定しかけたところで豊臣勢が乗り込んでくる。
漁師町を取り巻く環境は荒れに荒れているが、そんなものどこ吹く風で、
「トヨトミ? おら、しらねぇ。ワラスボのほうが好きだ」
徹底的に無関心を装ったに違いない。
彼らを束ねるべき領主も勢力争いに沿って変わっていく。豊臣の命により立花家が領主となり、関ヶ原の後には田中家が領主となる。田中吉政は熱心な土木家で柳川城を固めたり、久留米へゆく道を作ったり、有明海の堤防を作ったりしたが、この漁師町に大きな変化があったとは想像し辛い。
役人から求められれば人や魚は出したかもしれぬが、この漁師町にとって、そう劇的な変化はなかっただろう。
江戸時代、中心部の柳川城下は急速に栄えていく。
漁師町から城下へ行く人は多かったかもしれないが、城下から漁師町に行く人は極めて少なかったであろうし、村を通る大きな道もない。
つまり、この集落には超閉鎖的な時間が流れていたのではないか。
時代が近代になると村同士の水争いが激化したと郷土史に書いてある。たぶん古代から続いている事だろうと思うが、瀬高、久留米、柳川、皆で水の取り合いをし、多数の死者が出ている。水の問題は何も筑後だけでなく、穀倉地帯はどこも同じ歴史を持っているが、昭代はどうだったであろうか。
今でこそ干拓地が整理され、米と麦の二毛作が営まれているが、当時は農家というものがそう多くなかったのではないか。そう仮定すると、この漁師町は近代まで近隣の争いとは関わらず、のんびり平和な時代を悠々自適に過ごしてきた事になる。
これら背景を踏まえ、超強引に、
「そっけんがら」
この言葉に対する解釈を考えたい。
漁民は争いが嫌いであった。農村も、政治も、商人も、生きとし生ける全ての人が争わずには生きられない、そんな仕組の中で、
「海のみと戦いたい」
彼らは心底そう思った。
集落には武運長久を祈るわけでもない、鎮護国家を祈るわけでもない、水難を避けるための水天宮が置かれ、それこそが彼らの生活、そして望みであった。
俗世とは関わりたくなかった。しかし、生きるため、集落を守るために他と交じわらざるを得なかった。俗世は時の勢力を語り、その結末として、どちらに付くか決断しなければならない。
漁師町の代表としてこの談議に参加した者にも決断は迫られた。
「さあ、お前んとこはどっちだ?」
どこぞの村長が脂ぎった顔を近付け、唾を飛ばしながらそう叫んだに違いない。
迷う漁師、口ごもる漁師、この発言如何で集落の明日が決まると思うとやりきれない思いに駆られた。彼は逃げたかったはずだ。どっちでもいい、勝手にしろ、そう思っていたはずだ。そして、ついに彼は重い口を開いた。
「そっけんがら」
漁師は突然、隠語を発した。
「は?」
戸惑う質問者。その隙に男は違う話を展開した、相手が元の話に戻そうとしても、
「そっけんがら、そっけんがら…」
何度も話の腰を折ったに違いない。
次第に彼らはこの村と話す事を諦め、漁師町は変な勝利を得た。
漁師町ではこれら隠語の事を「京都風ちっご弁」と呼び、最後の手段としたに違いない。
京都では権力がコロコロ変わる。そのためどっち付かずの言葉が多く存在する。それらと同じように、気を逸らわすための呪文として、どっち付かずの呪文として、「そるけん」という地方語に「がら」を付けて隠語にし、相手を惑わそうとしたのではないか…。
以上、無駄な空想をしてみた。
この空想の発端は、つい先日、焼き鳥屋でいじめられた事による。
近隣の漁師四人にいじめられた。
「なんか、お前の喋り方は? 熊本か?」
「はい」
「アクセントのおかしかて思たぞ」
「はぁー熊本かー、そっけんがら、なまっとっと」
「わっはっはっはー」
この漁師達は私に言わせると完璧になまっていた。そう、非の打ちどころがないほど完璧になまっていた。
が…、指摘するには多勢に無勢であった。
「ぼ、僕は、なまってなんかいないんだぞっ!」
続いて「あなた達がなまっている!」そう言いたかったが、それらの言葉を飲み込まざるを得ない雰囲気と腕っぷしが彼らにあった。
漁師の性格はいい。性格はカラリとしており、裏表の感じられない真っ黒に日焼けしたオジサマの目は少年のそれである。声も太くてよく通る。
「ほうら飲め飲め、大漁じゃー!」
「はーい、飲みます、大漁じゃー!」
「若者飲め飲め、大漁じゃー!」
何やら祭りの神輿に乗せられた感じで大いに盛り上がってしまった。(初対面なのに)
楽しかった。しかし、悔しくもあった。
「おお、熊本君、なまっとるねぇー、むふふふ」
節目節目で笑われる屈辱。何度も言うが、彼らの方が格段になまっていたのである。
悔しさを押し殺しつつ反論の機会を窺ったが、結局その機会を得られず、次第にどうでも良くなった。(アルコールのせいで)
今、これを書き始める数分前、パートさんと会話をした。
「そっけんがら」
その言葉と共にあの晩の悔しさを思い出し、猛烈な勢いでこれを書いた。
これを書けば溜飲が下がるだろうと思った。
しかし、彼らに対する空想を続け、勝手な仮説を立ていると、
「海のみと戦うなんてカッコよ過ぎる…」
笑うつもりが英雄っぽくなってしまい、どうも始末が悪くなった。
「がら」を付ける事で隠語になってしまった「そっけんがら」に関しても、よくよく考えれば熊本では「そるけんたい」という。つまり「がら」か「たい」、どっちを付けるかの違いで五十歩百歩である。
ある晩、地元の漁師が例の焼き鳥屋で酒を奢ってくれた。
「本当にいいんですか?」
恐縮する私に漁師はこう言った。
「気にせんでよか。落ちてた金で奢るんだけん」
「落ちてた?」
「そう、神社に落ちてた」
「人はそれを賽銭泥棒というのでは…?」
「そうとうも言う」
「・・・」
「ま、気にするな。近所の神様には手を付けとらんけん」
「なぜですか?」
「近所に手ば出すと海が荒れる」
今年、海の日が荒れに荒れた。
この漁師の仕業ではないと思うが、そうではないと言い切れないところに恐ろしさがある。
「そっけんがら大丈夫! なんかあったら神様に文句ば言うてやる! ほら、飲め、飲め、大漁じゃー!」
世に悪人多かれど、気持ちの良い悪人というのは確かにいる。
悔しいが、この文章で溜飲を下げる事は困難であった。
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