第23話 次女と母、そして家族(2008年4月)

前話に引き続き次女との二人旅について書こうとしている。
長女と次女の三歳七ヶ月に至るまでの大きな違いは、母親との密着度にある。
次女はヒルシュスプルング病という厄介な病気を持って生まれたために生後一年間は入退院を繰り返した。嫁は付き添い入院というかたちで病院に泊り込むものだから必然的に長女と私は二人で過ごす時間が長くなり、嫁と長女は適度な距離を持つに至った。そのため長女においては母親と離れる事に慣れており、且つ私と二人でどこかへ行くというのは決して珍しいものではなく、
「二人旅に出るぞ!」
そう誘った時、ノリノリで付いてきた。
が…、次女は違う。前述のように入退院を繰り返しながら母親とベッタリだったし、その後、健康体になってからも母親と離れた経験が少ない。更に長女は早生まれ(三月)であるため三歳七ヶ月の時点で幼稚園生だったが、次女は八月生まれであり、三歳七ヶ月という時点で三年保育の入園規定に達していない。
つまり、この旅行というのは次女において初めての本格的な母離れであった。
(泣くかな?)
その事を心配したが、すぐさま泣いた。
「バイバイ八恵ちゃん、元気でね」
「やだー、さみしいよー」
「元気がなくなったらポッケに元気玉を入れてるから、それを舐めなさい」
「ふえーん、やだよー、行きたくないよー」
家を出る時からこういった感じであり、長女の時とは出だしから違っていた。
ちなみに嫁が発した「元気玉」とは単なる飴の事であり、この前後、嫁の次女に対する優しさが尋常ではなかった。やはり嫁においても、初めて離れると思うと、いつもは叫び蹴飛ばし泣かせている次女でも可愛く思えて仕方がないのだろう。
「ままー、やだよー」
「八恵ちゃーん」
名残を惜しむ二人を引き離すべく、私は車を出した。
楽しいところに連れて行くというのに悪人のような扱いを受けて心外ではあったが、いつも喧嘩ばかりしている二人がこうしたやり取りをするのは何か良い気持ちで、たまには離れる事も必要だと思ったりした。
ちょっと脱線するが、嫁について触れたい。
私の嫁は妙に冷めているところがある。
感動する映画を見ても普通に寝るし、変なところで笑うし、基本的に怒った時を除いて熱くなるという事がないようだ。(怒る時は凄まじい。瞬間湯沸かし器といえる)
若い時分においても熱くなる典型であるスポーツを全くしておらず、小集団による活動といえば唯一吹奏楽部に属したらしいが、話を聞くに燃えた形跡がない。つまり嫁を形作る段階においての温度が低い。
私の知る嫁は22歳からである。
その頃の私は熱い絶頂であったが、嫁はこの頃から何となく冷めていた感がある。
情感豊かな付き合いたての頃、丸一週間会えぬ別れ際にあっても嫁はモジモジしたり振り返ったりもせず、普通にスタスタ歩き去り、何度も振り返った私が草葉の陰で泣いた事、一度や二度ではない。更に出会いや別れの演出という点において、私は様々な事を試みているが、鼻で笑われた、もしくは「何それ?」と言われてしまった事、これも一度や二度ではない。ブレーキランプを五回点滅させた後、
「何してるの? 早く行けば」
そう言われた時、私は仏門に身を投じる事さえ考えた。
あれから約八年、嫁の体温は下がる一方で、飄々とした感じに磨きがかかりつつある。長期に私と離れても心配ご無用だし、久々の再会を果たしても、
「あら、おかえり」
全く普通で、情感というか感情の起伏というか、そういったものが感じられない。
(こと子供においてはどうか?)
その点、夫に比べれば多少の熱は感じられるが、それとて私のイメージには遠い。何か目の前の生活を均している感じがあり、感動屋の私からすれば、
(もうちょっと何かこうさー、盛り上がれよー!)
そう思っているのであるが、それは感動屋の目線であって、人様から見れば「普通の情感を持った人」という分類に入るのかもしれない。
が…。
やはりその嫁においても一日と離れたことがない次女と丸三日も離れる事は何か考えるところがあるらしく、「ポッケに入っているのは寂しい時に舐める元気玉だよ」という演出を施したようだ。
ちなみにこの元気玉、
「さみしいよー、おっとー、がまんできんよー」
阿蘇を出る前に封印が解かれ、すぐさま次女の口に入った。嫁もその事を想定していたのかどうか、計五個用意していたが、それらは初日の船の中で全て消費されてしまった。
その後の次女であるが、船に乗ってからは特に「寂しい」を発する事なく、至ってお利口さんであった。が、大阪に着き、高野山へ入った頃から暴れ始め、その具合については前の話で書いた。
その後、伯母の家に泊まり、甘いものをモリモリご馳走になり、伯母と一緒に風呂へ入り、バタンキューで眠るというベストな流れを見せ付けてくれたが、その翌日、反動がきた。
前の話でも書いたが、翌日はジンベイザメがいる海遊館へ出かけた。予定だとユニバーサルスタジオジャパンへ行く予定であったが、パンフレットを見せても興味を示さず、更には「こわい」と言い出したため水族館に変更した。
個人的にはこういったところは好きでなく、せっかく大阪まで来たのだから山崎の天王山周辺を散策したり、楠木正成が守りぬいた千早城に行きたかったのであるが、多少は娘の事を考え、今日という日を娘の目線に合わせた。
それにしてもこの日は憎たらしいほどの晴天、空が眩しい。
この空なのに、嗚呼、この空なのにあえて室内の水族館へ入らねばならいというだけでも腹が立つのに、入った瞬間、更にギャフンとなった。
「やだー、さかなきらいー、かえるー」
二千円のチケットを買い、水族館に入り、「さあ、楽しむぞ」という段階で魚が嫌いと暴れ始めた。水族館で魚が嫌いと言われては、東京でコンクリートが嫌いと言っているようなもので逃げ場がない。
「ラッコもいるぞ、ペンギンもいるぞ、クラゲもいるぞ、魚じゃないぞー」
凄まじい人ごみの中、ビューポイントを確保し、娘をそこへ押し込むかたちで見せてやるのだが、
「おもしろくないー、おっかーしんぱいだよー、おなかすいたー」
暴れるばかりで楽しもうとしない。仕方がないので休憩場所でお菓子を食わせた。腹さえ満たしてやれば良い方向へ向かうと思ったが、その後も泣き続けるばかりで水槽を見ようともしない。
「何がお前は気に食わんとや?」
「しんぱいとよー、しんぱいとよー、おっかーがしんぱいとよー」
聞けば母親が自分の事を心配している、その事がたまらなく寂しいらしい。
「じゃあ、電話してオッカーと話したら水族館を楽しむや?」
「うん、だいじょうぶ」
母親の声を聞けば元気が出ると言うので電話をかけた。すると、
「さみしいよー、うん、うん、やだー、かえるよー、やだよー」
何やら寂しさに拍車がかかったらしく、電話を切った後は七転八倒転げ回る始末であった。
この翌日、嫁から話を聞くに、
「泣いてる八恵ちゃん、とっても可愛かった、うん、あの電話の八恵ちゃん、とっても可愛かった、うんうん」
しみじみそんな事を言っていたが、こちらはそれどころではない。春休みの人が多い水族館でゴロゴロ転げ回りながら「さびしいよー」を連発するのである。
そこにジンベイザメがいようが、エイがいようが、イルカがいようが、カップルがいようがお構いなし。暴れまくってどうしようもないので逃げるように水族館を後にした。で、その後、お隣のサントリーミュージアムで世界最大のスクリーンによる飛び出す映画がやっているという事だったので、
(映画なら静かに見るだろう)
その思いで、映画を見に行った。恐竜の話と海洋生物の話、その二本が別会場でやっており、恐竜は怖くて泣く危険性があったので海洋生物の話を見に行った。亀とかクラゲとか鯨とか、とにかく海で生きる生物たちのドキュメンタリーで怖い要素のカケラもない。
(これなら大丈夫!)
確信を持って飛び出すメガネを装着したが、それでも泣いた。
まず、予告編で例の恐竜が出た。それで泣いた。画面が大きい。更に恐竜。極めつけは初めての3Dメガネによる飛び出す映像に仰け反るように驚いた。凄まじく泣いた。以降、泣き続け、そのまま寝た。
(何をしに大阪まで来たのか?)
まさにその事で、雨で高野山が楽しめず、せめて子供にだけには楽しんでもらおうと海遊館まで来たのにこの調子。疲労だけが蓄積され、虚しくなった。
映画館を出ると天気は更にいい感じになっており、このまま寝てる娘を抱いて歴史散策に出ようという気になってきた。
(せめて俺だけでも楽しまねば!)
その事であったが、出たところの広場で大道芸がやっており、その音で次女が目覚めた。
大道芸の内容はジャグリングであったが、目覚めた次女はそれに食いついた。長い時間座り込み、二人目のパフォーマンスも見続けた。
「おっとー、これ、たのしいねぇ、むふふ」
毎日一緒にいるようで娘のツボを全く心得ていない自分を恥じたものの、何となく救われた気がした。
帰りの船に乗るまでには約四時間を消費しなければならない。いつもは時間がなくてアタフタしているが、こうなると時間の消費というのは難しいもので、飯を食い、酒を飲み、子供を遊ばせ、それでも二時間しか経っていないという感じで、大いに持て余した。
帰りの船も大変であった。
春休みの入りっぱなという事もあって、二等席は満席であり、更に子供の席はなく端っこで寄り添うようにして寝た。娘に害が及ばぬよう娘を壁側にし、私は娘を守るべく毛深いオッサンの隣で寝たが、そのオッサン、モゾモゾ動きながら私に引っ付いてくる。これには閉口した。が…、オッサンにしてもギュウギュウで逃げ場がなく、結局は引っ付いて寝ざるを得なかった。
九州に着いてからも娘は何か機嫌が悪かった。
「おっかー、しんぱいしよるよー」
その聞き飽きた譫言を繰り返すばかりで、どうも調子が出ない。更に大阪でお好み焼きを食った際、鉄板をモロに触って火傷したのであるが、それがここへ来て熱を帯びてきたらしく、たまらなく痛いらしい。
どうにかしてやりたがどうしようもない。次女は本当によく泣いてくれた。
家に帰り着いた時、嫁は三女と二人で庭にいた。
私たちの車を見付けるや、
「八恵ちゃーん!」
嫁は駆け寄ってきたが、次女はどうも恥ずかしいらしく、何やらモジモジしている。今の今まで「しんぱいだよー」と泣いていたくせに、実物を見るとどうしたらいいのか分からなくなってしまったらしい。こういうのをハニカミというのだろう。
「やっぱ、久しぶりだと可愛いー!」
嫁はそう言っていたが、その三十分後には、
「お前なんて帰ってこんでいいっ! 泣くなっ! 出て行け!」
オヤツ欲しさに泣く次女に、そう怒鳴っていた。
また長女は私たちが帰った時、保育園にある。保育園から帰ってくるや否や、
「八恵ちゃーん!」
三日ぶりの再会を喜び抱きついたそうだが、その十分後にはオモチャを取った取られたで殴り合いの喧嘩を始めている。
いつもそこにあるものが、ふとなくなると妙な寂しさを覚える。その事は旅行中の次女において顕著であったし、長女や嫁においても相当なものがあったであろう。
そのなくなったものがいつもの場所に戻り、安堵し、そして喜ぶ瞬間がどれだけ続き、その後にどういう影響を与えるか、私は興味を持って眺めた。
喜びはほんの一瞬であった。ほんの一瞬、弾けるような瞬間を皆が見せ、そしてすぐ日常に戻った。
そんなものである。
そんなものであるが、その前段、皆で感じた三日間が発見であり、家族を感じる貴重な時間ではなかったか。
いつもいる次女がいない、その事で次女を含めた家族全員が違和感を感じた。その事がありふれた日常を知るキッカケであり、その日常のありがたさである。
次に三女が三歳七ヶ月を迎えるまでには二年弱の時間がある。嫁から徐々に離しておかねば次も大変だと今から思っているが、三女に関してはまだ乳離れもできていない。
「そうそう、オットーがおらんで寂しかったろ?」
オマケのようにその事を問うてみたところ長女は大きな声で「寂しかった」と言ってくれた。嫁に至っては大きな背中をクルリと見せ、急ぎ足で立ち去っていった。
(さてはハニカんでいるな?)
前向きにそう捉えたが…。さて、どうだろう…。
これを書いている今、嫁子供が里帰りしていて家はシーンと静まり返っている。
「お前たち、ちょっと静かにせいっ! テレビが聞こえん!」
叫ぶ日常であるが、今日は小さな音でもハッキリ聞こえる。
家族とはそう、かえがたいものである。
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