第47話 優しい男(2009年3月)

多田隈(ただくま)という友がいる。
姓も珍しいが、その性格も容貌も珍しい。基本的にクネクネしている。見た目もそうだが、性格的にもクネクネしていて掴みどころがない。
多田隈とは中学時代の三年を軟式テニス部で過ごした。中学の三年というのは私の青春において最も熱っぽかった三年であり、その大半を軟式テニスで消費した。友人・多田隈においても同じ事だと思うが、この三年があまりにも熱っぽかったため、その後の運動というものがどうも白々しく感じられ、大した熱が注がれていない。日が昇ると白球を追い、白球の霞みで日暮れを知るという典型的青春であった。
多田隈とは十年以上会っていない。そのつもりであったが、彼の話を聞くに、私の結婚式に出席してくれたらしく、そうであれば九年ぶりになる。
昨日、多田隈と九年ぶりに会った。今度は彼の結婚式であった。
中学卒業後の多田隈を私は何も知らない。私は市外の高専へゆき、多田隈は地元の高校へ行った。それから完全に音信不通であったが、互いに結婚式だけ呼んでいるというのは実に奇妙な光景に思える。熱の三年が骨の髄に溶け込んでいて、互いを「青春の象徴」みたいに思っているのかもしれない。
久々の多田隈に触れ、色々驚いた。嫁さんは高校時代からの付き合いだという。子供もいるらしい。式の翌日、つまりこれを書いている日、満一歳になるという。
多田隈から「多田隈」という姓が消えていた。田代になっていて、養子縁組をしたらしい。
中学を卒業して十五年以上経つが、私は多田隈の人生を全く知らない事に気付いた。知らないだけに、多田隈の半生をまとめて聞いた。面白かった。多田隈らしい優しさが滲み出ているように思われた。
多田隈ほど優しい男を私は知らない。クネクネクネクネ、テニスをやっても恋愛しても、ニヤニヤしていて、どうも締まらぬ男であったが、今、目の前にいる久々の顔も締まっていない。ニヤニヤしていて掴みどころがない。あの頃と変わらず底抜けに優しいのだろう。
私は多田隈のクネクネを褒めている。クネクネは多田隈の長所であり、特徴である。多田隈ほど敵をつくらぬ男は稀で、人との摩擦を避けるべく、無意識のうちにクネクネしていると思われる。その点、気を使う事は彼の性格であって、安心できる雰囲気が彼の風貌に溶けている。ただ、締まりがなく、常にクネクネしている。
振り返るに多田隈は早熟であった。今思えば早い段階から高いレベルの社交性を身に付けていて、子供っ気が抜けきれない私たちの良い保護者であった。
保護者といえば多田隈の家族とは十五年ぶりであった。中学時代、私は多田隈家を第二の家としていたため、休息場所として大いに活用した。今は家を潰して引っ越されたという話であるが、古い家は小さくて味のある平屋で、どこからでも入れるオープンな家であった。玄関があったかどうか記憶にないが、庭に向かって生活空間が開けっ広げになっていて、リカちゃんハウスのような逃げどころのない開放感があり、実に心地良かった。
私は常に庭から和室(客間?)に上がった。寝転がって多田隈と駄弁っていると必ず多田隈兄が現れた。
「また来てるのか、キサマ!」
「キサマ」というのは多田隈兄の口癖であり、
「キサマ、出て行け」
私を見るや兄が食って掛かる、それがいつもの光景であった。多田隈兄は三つくらい上であろうか、当時高校生であったが、この兄と絡む事を私は無上の喜びとしており、「キサマ、出て行け」は翻訳すると「ようこそ福山」になる。むろん我々の言葉で返さねばならない。
「へい、兄ちゃん! オナラプー!」
「待て、キサマ!」
多田隈はそれを横目で見、ニヤニヤしている。多田隈の母は庭で洗濯物を干している。いつもの事ゆえ気にしていない。奥の部屋では多田隈父がテレビを見ながら新聞を広げ、ある時間が経過すると、
「お前たち、ちょっと静かにせんか!」
私と兄に向かって少しだけ叱る。が、すぐに二人は暴れ出す。また怒られる。あまりにも繰り返した風景だけに、今でもハッキリ思い出され、風景として限りない優しさがある。
多田隈父は教職にあった。当時どこかの教頭先生だったと記憶しているが、多田隈家は教職に対する私の考えを一変させてくれた。教頭先生といえば馴染みの薄い堅苦しい存在であったが、多田隈父は丸見えの家で惜しみなく生活を見せてくれた。うちの親父と何も変わるところがなかった。
「教職も人である」
それを感じるにこれ以上の空間はなく、以後、先生を見る目に血が通った。
多田隈が持つ何ともいえない優しさは、このオープンな家が育んだものであろう。隅々まで見渡せる環境で、人は卑屈になれやしない。ましてやワルガキ絶頂の私に休息の場所を提供するなどは、底抜けの優しさなしにはありえない。優しさがこの家を覆っているように思われた。
結婚式が始まると、私は一番に多田隈の両親を目指した。多田隈の両親から見れば死人がビール片手に現れたようなもので、ビックリしたろう。
「福山です」
名乗ると、両親の目が疑わし気に光った。
「福山君? 本当に、あの福山君?」
しばし無言の後、
「面影が、微塵も、見当たらない」
一つ一つ文節を区切り、じっくりそう言われてしまった。あれから三十キロも肥えている。記憶の糸を引っ張っても、何も付いてこなかったに違いない。ちなみに多田隈兄は私が福山だと気付いてくれた。
「キサマ、福山!」
そう言ってくれた事が身震いするほど嬉しかった。言葉が少し変になっていたので、所在を聞いてみると武州川越にいるらしい。ちょっと髪が薄くなっておられたが、他は何も変わっていなかった。「キサマ」と言われて嬉しいのは生涯で多田隈兄一人だけだろう。
多田隈本人である。彼と話したいが、今日は雛壇にいて人が彼を囲っている。一言だけ話したが、
「美人な奥さんで得したね」
「福山は太ったね」
それしか話せず、そのまま式が終わってしまった。
多田隈の嫁さんは本当に美人であった。農家の娘さんらしいが、どうも土っぽさが見当たらない。今日は主役であり、化粧もバッチリ、衣装も煌びやかなので、今話せば要らん事を言ってしまいそうな気がする。
「ジュディオングですか?」
言った瞬間、取り巻きの親族に殺されかねない。世辞に関し、多田隈は得意だろうが、私は古くから苦手で、裸の会話が許される場でなければ雰囲気を乱してしまう。話さぬ方が得策であった。
二人を遠目に見ながら多田隈の古い恋愛を思い出した。いつもクネクネしていて、言うのか言わないのか煮えきらぬ奴だったが、思い出も実に微笑ましく、青春の余韻がある。常にハニかんでいる。
「好きなんだろぉ?」
「分からん」
「好きなら行けよ」
「分からん」
「行け、行け、行けよー!」
「もう、どうでもええじゃにゃー、福山には関係にゃー」
「関係にゃーばってん関係ある、なぜなら興味がある、おもしろか」
部室の隣は女子テニス部で、多田隈とは覗き穴を設けた仲だが、どうも生身の人間を前にすると足が進まぬ多田隈であった。が、その多田隈が時を経て飛躍し、十年以上の恋を実らせ、一人の子を授かっている。
多田隈は神奈川の大学に行ったらしい。彼女は熊本にいたらしいから遠距離である。もめた事もあったろう。受付で渡された紙には二人の馴れ初めが書いてあり、それによると別れた事もあるらしい。神奈川では生活が荒れたそうな。私が知る多田隈は、そういう曲折にあって、何を言うともなく、ただ彼女を待ち続けている愛すべき存在にある。
詳しい事は何も知らない。知らないから勝手に「青春の象徴」を想像している。多田隈は熱っぽい三年の象徴である。多田隈は結果として純愛を実らせた。養子縁組を請われ、快く受け入れたそうだが、多田隈の絵として「ハワイまで泳げ」と言われても泳ぐだろう。多田隈の優しさは純愛へと昇華し、彼女を震わせたに違いない。彼女の笑顔が多田隈を信じ寄り添っている。
「ありがとう」
式の最後、多田隈はそう言って泣いた。「ありがとう」は我々に向けられたものではない。多田隈は実の両親を指し、他を除いて感謝した。ピンポイントな分、感謝が熱い。これは嘘偽りない多田隈半生の嗚咽であろう。彼は今という瞬間を家庭がくれた優しさに因るものだと冷静に分析している。勝手な想像だが、それは間違っていない。
多田隈父は多田隈そっくりの顔を歪め、涙を堪えている。多田隈母も同じ顔で気丈に笑っている。多田隈兄は写真を撮りまくっている。私と目が合うや、
「キサマ、何を見てるか!」
自衛隊でもあるまいし、また「キサマ」と言ってくれた。多田隈家の風景は私にとって何も変わっていなかった。存在そのものが、泣けるほど優しい。
悲しい演出もあった。最近の結婚式はドラマの見過ぎである。オープニングからエンドロールまで、全てがドラマ仕立てで主張がなく、流行りを見て人を見ていない。主役には私個人の勝手な解釈で青春の後光が差しているが、演出の普遍性はどうもそれを邪魔してくれる。私は多田隈・田代、両家の声が聞きたいのだ。文明の細工は既にお腹いっぱいで、凝っていれば凝っているほど悲しくなった。
久々に会う級友がいた。ワルゴロに愛され続け、なぜかイベント毎に顔を見る中学時代の恩師がいた。多田隈と並んだ美女の顔は終始笑顔で、多田隈の誇らしい十五年がそこにあった。眩しい青春が至るところにカタチを変えて散らばっていた。
時間は一部の感性を寝かすらしい。起きた瞬間、色々なものが変わっていて、変わらないものもそこにあって、新鮮じゃないのに新鮮な喜びが感じられた。寝起きの感性は結婚式が終わってしまえばまた眠ってしまうだろう。
多田隈という青春の象徴はこれからどういう人生を歩むのだろう。まったくもって分からぬが、十年に一度しか会わない友人が一人ぐらいいてもいい。多田隈ならば会わぬ優しさというのもあるように思える。
今日だけは優しい男の行く末を祈りたい。どうぞ、お幸せに。
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