第55話 泣けた(2009年9月)

阿蘇市のスーパーへフラリと出かけた。
これといった用事があるわけではなかったが、日曜ではあるし、翌週からは「谷人たちの美術館」で多忙になるため、家族揃って少しだけ離れた場所へ買い物に出かけた。
習慣というのは恐ろしいもので、懐かしい風景を見てしまうと、あの頃に戻りたくなるらしい。
平成16年から17年にかけ、私たちはこの場所に住んでいた。私たちが住んでいた頃、この場所は阿蘇市ではなく一の宮町であったが、それ以外に変わったところはなく、今も阿蘇神社があり、行政の出先機関があり、左に根子岳があり、馴染みの店があった。
当時と同じように私が行き付けのホームセンターへ行けば、嫁は隣のスーパーへ行きたがった。気が向いて仙酔峡へ登れば馴染みのケーキ屋へ足が向くと思われる。日が傾き、外輪山の際が光れば馴染みの焼肉屋が手招きするに違いない。風景が数年前の流れを呼び覚まし、自然とそれに従った。
あの頃と変わった事があるといえば、三女がいる事と娘たちの成長であろう。家族のかたちを少々変え、行き付けのスーパーに立ち寄り、長々と買い物をした。
と…。
見た事あるような少年を発見した。記憶が曖昧だったので嫁を呼び、
「あれは阿蘇中央幼稚園のK君ではないか?」
問うたところ、
「そうかもしれない」
嫁もうなずいた。
平成17年といえば四年も前になるが、その頃、長女は幼稚園の年少さんであった。年少、年中をここ阿蘇市で過ごし、それから福岡柳川に引越し、年長さんの秋、南阿蘇に家を買った。転勤族でもないのに転勤したがる父親のせいで実に多忙な幼年期を送った長女だが、転園を繰り返す中で「好きな人」というのが次々できた。K君というのはその一人目であり、四歳の長女がイチャイチャしているのを父として歯噛みしながら眺めたので記憶が鮮明であった。
四年ぶりのK君は少年になっていた。長女と同級生だから小学二年生という事になるが、あの頃の面影が残っていた。記憶の恋敵そのものであった。
嫁はK君を追いかけた。直接聞き、K君である事を確かめたいらしい。
長女もK君を追いかけた。何をしたいのかよく分からぬが、衝動的に追いかけたと思われる。
K君は妹と鬼ゴッコをしていた。嫁はすぐに撒かれたが、さすが長女はK君の元彼女である。先を読み、乾麺コーナーからお菓子コーナー、鮮魚コーナーと渡り歩き、K君に張り付いた。
私は長女を追いかけた。K君は見ていない。長女だけを見た。長女の目がウルウルし始めた。長女は距離を保ちつつK君を追い、間違いなくK君であると確信したようであった。
(話しかけるのだろうか?)
この父親的ドキドキ感は冬ソナの比ではない。お菓子コーナーからK君を見つめる長女、乾麺コーナーから長女を見つめる父。実に奇怪な三角関係であった。
私は「失恋職人」と呼ばれるまでに数多くの失恋を経験しただけに、目の前にある何ともいえぬ空間が愛しくもあり、歯がゆくもあり、また娘の成長を感じる嬉し悲しき瞬間であった。
(話し掛けたいけど、第一声は何と放てばいいのだろう?)
(K君は私を見て笑わないだろうか?)
(K君は私の事を憶えているだろうか?)
遠くから見つめ、様々な事を想い、結局は後ろ髪を引かれ、静かに離れゆく。
「それが青春の道ですよ!」
父は勝手な想像を繰り広げた。感動し、人知れず乾麺コーナーで嗚咽を上げたが、そういうものが全く分からぬ身内もいた。嫁である。
失恋を知らぬ嫁が長女を発見した。その先にいるK君も発見した。嫁は長女を追い越すと、長女が放つ濡れた視線を巨大な背中で遮った。
「阿蘇中央幼稚園のK君だよね?」
「はい」
「今、小学校二年生だよね?」
「はい」
「福山春ちゃんって憶えてる?」
「いえ、憶えてません」
私は唖然としてしまった。嫁は空気が読めぬのか。若い心を、触れたら割れる小さな心を知らぬのか。
私は恐る恐る長女を見た。案の定、小さな心は割れていた。長女は散ってしまった小さな心を拾い集める余裕もなく、ただうろたえていた。
「私も憶えてない! 憶えてないもん! 知らないもん!」
K君は去っていった。悪気のない嫁は笑っていた。私は長女の肩を抱き、スーパーの外へ連れ出した。
「ほんとに憶えとらんとばい! 憶えとらんとよ!」
「なんも言わんちゃよか」
泣けた。娘に泣かされた。
心というのは罪な奴だが、これがなければ時間は光らぬ。
久方ぶりに長女を抱っこした。育っているのは体ばかりではない。色々重くなる娘たちであった。
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