第72話 女子大生に逢えません(2012年3月)

私はマジメな技術者だから浮かれてはいない。しかし男である。その点、浮かれてはいないが少しだけ浮いていたようにも思える。なぜなら今、これを書きつつ私は酷く落胆している。高いところから滑り落ち、全身の骨がバラバラに砕けた、そんな感じである。
3月25日、電話がなった。
「卒業旅行で阿蘇に行くんです!寄ってもいいですか?!」
キャピッとした声におじさんドキッとなった。女子大生からであった。
私の電話嫌いは有名である。基本すぐに切りたがる。が、この場合、会話を引っ張る方が健康な反応と言えるだろう。何と言っても女子大生。妄想を鷲掴みにする四字熟語。男を跪かせる四字熟語。水戸黄門の印籠より強烈である。
「いつですか? 何名様ですか?」
ありえない腰の低さで丁寧に予定をお聞きした。
「明日です!8人です!」
「ハッ、ハヒにンッ!」
女子大生8人はタダゴトではない。取り乱してしまった。私の状況もハンパじゃない。嫁子供が旅行で不在。更に女子大生が言う見学のメインはあの頃ボックス。つまり密室で女子大生8人に囲まれてしまう。
何度も言う。何度も言いたい。言わせてくれ。これはタダゴトではない。事件であった。
事務所のラジカセが小さな声で啼いていた。今日のBGMはフランク永井であった。
「田中邦衛とフランク永井、聴けばマネする日本人」
外国人が言うか言わぬか分からぬが、この日の私はフランクモードで低音域に力があった。それが良かった。
「了解、待ってますよ」
「声、渋いですね!明日が楽しみです!」
「南阿蘇でぇ♪逢いましょう♪」(有楽町で逢いましょう:フランク永井)
それからノリノリ。踊りながら仕事をした。
夜は消防団の寄り方に参加した。丸二週連続の寄り方にタフな団員も疲れ気味。半分寝そべって酒を呑んでいたが女子大生の話には食い付いた。脱兎の如く飛び起きた。
「夜まで引っ張れ!駆けつける!」
「頑張ってみます!」
「よしっ!」
やはり女子大生という四字熟語には日常を破壊する力があった。
さて、当日。
午前中はモノづくりをやった。作業場が切子や工具で散らかっていた。別に気にする事ではない。どんなお客様が来ようとも掃除などやった事がない。しかし今日のお客は女子大生。自然と体が動いた。数年ぶりに掃除した。
手が油で汚れていた。洗いながら着衣も汚れている事に気付いた。何となく体も汚れているように思えた。
「いいじゃない、技術屋だもの」
そういう声が聞こえて来た。で、そういう声が常に勝つ。どこへ行くにも作業着、それがカラクリ屋のポリシー。街へ出る時、テレビに映る時、オールウェイズ作業着。そうそう、投資家を前にしてのプレゼンも作業着でやった。その際こむずかしい役人が私の格好を叱責した。私は胸を張ってこう言ったはずだ。
「技術屋の正装です!何か問題でも?」
私はその正装を何のためらいもなく脱いだ。次いで温泉へ走った。
(何をやってるカラクリ屋!馬鹿、馬鹿、馬鹿!)
心の声は叫んでいる。しかし遠い。カラクリ屋の耳に届いていない。
私という人間は三段積みで成っている。「命」の上に「男」が乗っかり「男」の上に「カラクリ屋」(生活)が乗っかっている。中段が女子大生にやられてしまった。上段はスッテンコロリン転げ落ち、温泉の排水溝に吸い込まれてしまった。
湯上りの男は生活の衣を放り投げ、ひどく上機嫌であった。
「あらカラクリさん、昼から温泉?」
「はい!絶好調です!」
「絶好調?いいわねー!」
道ゆく人と明るい挨拶を交わしつつ事務所に戻った。
魅惑の女子大生8人組が来るのは午後3時。手元の時計は午後2時。パソコンでもやりながら時間を潰そうとモニターに目をやった。と、モニター横の電話機が点滅していた。留守電が入っているらしい。再生ボタンを押してみた。
「すいませーん!予定が変わって行けなくなりましたー!」
ガチャッ、ツーツーツー。
「・・・」
オッサンの時間が止まってしまった。どれぐらい止まっていたのだろう。分からない。次いで色んな疑問が生じ始めた。
「なぜだろう、俺の体から湯気が噴き出している?」
「不思議だな、作業場が片付いてる?」
「あれ?あの頃ボックスに酒が並んでいるよ?」
私は立ったり座ったりした。現状把握に努めた。いまいち理解できなかった。女子大生に電話をかけ色んな事を確認したかった。が、相手の連絡先が分からなかった。
女子大生は「卒業旅行」と言っていた。これから社会人になるだろう。
「社会って信用で成り立ってるんだよ!」
私は社会人の先輩として彼女たちにその事を伝えなければならない。
「そういう事は留守電に放り投げちゃいけません!」
その事も教えたい。しかし教える手段がない。
だんだん居場所がなくなってきた。呼吸が苦しくなってきた。恥ずかしい。私は作業着を脱いだ。風呂にも入った。掃除もした。ああ、なんて恥ずかしいカラクリ屋だろう。
「これじゃ女子大生を叱れない!こんなこと誰にも言えない!」
叫んで気付いた。昨日消防団で喋った。今朝ツイッターにも書いた。書いた内容を読み返してみた。悶絶の内容であった。
【昼からは福岡の女子大生ご一行がロボ見学に来るらしい。嫁もおらんし緊張するー。あの頃ボックスで盛り上がって帰りたくないとかなったらどぎゃんしよー。】
(嫌だー!消えてなくなりたい!)
温泉に流されたはずの上段が排水路を伝って戻って来た。カラクリ屋はこの状況をどう説明したら良いのか。嫁子供はいない。共に笑うべき家族がいない。火照りを冷ますカラクリはどこにもなかった。
それから一人でウロウロ。無駄に時間を使った。次いでこれを書き始めた。
夜は消防団の寄り方がある。ある団員、期待の眼差しでこう問うだろう。
「女子大生どうだった?」
何も言えねぇ。
だから書いた。
歌うしかない春休みがそこにあった。
「女子大生にぃ♪逢えません♪」(有楽町で逢いましょう:フランク永井)
残念ながらフランク永井は助けてくれなかった。
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