第76話 トニックの衝撃(2012年7月)

夏がくれば思い出すのは「はるかな尾瀬」ばかりではない。「トニックの衝撃」もある。
そもそも私の体は薬剤に対する反応が過敏なようで、造影剤で猛烈な薬疹が出たり、リポビタンDで眠れなくなったり、ピンクの小粒で丸三日下痢になったりと実に弱い。
人間には免疫があるし、性格的にも熱し易く冷め易いので慣れてしまえば人並に落ちついてしまうが、とにかく一発目の衝撃は色々と忘れがたい。中でも中学二年の頃、トニックシャンプーとの出会いは強烈であった。(シャンプーも薬剤の一つと考えている)
その頃、思春期の私は丸坊主であった。校則で男は全員丸坊主であり、長めの毛といえば股間しかなかった。私は初めて見る液体をおもむろにそこへぶっかけた。そして、
「はうっ!」
悶絶した。更に、
「う、う、うううう…」
のたうち回った。
痛いのなんの。しびれるのなんの。
転がりながらシャンプーを手に取りパッケージを見た。
「衝撃的爽快感」
(まさに衝撃! むぅん!)
唸ってしまった。
それから夏の到来をトニックシャンプーで知るようになった。
春秋冬は石鹸で洗うが夏だけはトニックで洗う。まず半ポンプ頭に注ぎ一気に泡立て、その泡をもって体を洗う。そして水に近いお湯をぶっかける。次に水をぶっかける。炎暑は一発目に水でも良いが普通の日は悶絶するから注意がいる。
昨日、娘たちと風呂に入った。私のリズムで洗うから全身をトニックで洗ってやった。
「やっぱ夏はこれやねぇ」
「流す時のヒョーって感じがたまらんねぇ」
「そうそう、ヒョーだんね、ヒョー」
娘たちもトニックに夢中であった。
トニックの連鎖は止まらない。娘たちはこれから大人になる。そして夏が来るたび思い出すだろう。トニックの衝撃、青い空、くだらぬ一齣、笑い声、こういう親父がいた事。夏の付箋は引き継がれた。
7月12日…。
消防団の出動で豪雨災害の現場に立った。土砂の下から泥まみれの日常が幾つも出てきた。唖然とした。泣けてきた。そしてトニックの事を考えた。
土砂に埋もれた家族にも夏がくれば思い出す色んなものがあったろう。思い出すのは人である。今、その人がいない。森羅万象は例外なくその瞬間過去になる。いずれ消える。それは明日かもしれない。一秒後かもしれない。はかない。はかないが、はかなさゆえに今がある。
今日もトニックで洗おう。今日も家族で笑おう。
梅雨が明ける。夏が始まる。
今、何をしよう。何をしたらいいのだろう。
そうだ、嫁と無駄話をしよう。
嫁に走ったその瞬間、今はもうない。
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