第83話 地域の子(2013年2月)

「ま!待てい!」
小さい其奴に拳固の一発でも食らわせねば気がすまぬ。が、動けない。三度目であった。
今回は隣村のスーパーで買い物中、不意に、そう、芯から無防備な状態でやられてしまった。
その時、私の目線は惣菜にあった。頭の中も惣菜の物色一つで余念がなかった。小さい其奴は私を見付けると足早に駆け寄った。で、渾身の右ストレートを私の股間に放った。
コリッ!
「う!」
ジャストミートであった。
まずは第一波、下腹部への強烈な突き上げに苦しまねばならなかった。口から出るのは白い泡と呻き声。全身冷や汗で覆われ瞳孔が開いた。目の前には惣菜棚。ゆっくり腰から折れ、力の入らない上半身をそこに預けた。
確信犯は三人兄弟の末っ子(6)であった。集落の子供で馴染みも馴染み。ゆえ、遠慮がない。常に全力で向かってくる危険な奴。その存在を事前に察知できていれば防ぐ事も出来たと思われる。が、今回は完全に不意をつかれた。
痛みは第二波へ移った。突き上げる鋭い痛みは鈍痛に変化。下腹部へ居座った。これが最も辛かった。奥歯に力を入れ、歯の隙間から「シューハーシューハー」荒い呼吸をした。冷や汗が寒気を呼んだ。顔が真っ青になった。目は閉じた方が良かった。開けるとチカチカ、途切れ途切れの映像が吐き気を誘った。
末っ子は兄と共にカラクリ屋の撃沈を喜んだ。その後、二発目の準備をすべく身構えた。
姉もいた。姉は小学四年生。おっとりとした性格の彼女に弟たちの制止を期待した。が、彼女も苦しむ私を喜んだ。この家族にとってカラクリ屋は撃墜すべき存在らしい。
三人兄弟の祖母が来た。祖母は股間のジャストミートを見てなかった。
「あら福山さん、いつも子供たちがお世話になって」
普通に挨拶された。
挨拶は爽やかに笑顔で返したい。が、力が入らなかった。そのくせ顔面には異様な力が宿っていて、断末魔の形相で返してしまった。
「コチラコショ、イトゥモオシェワニナッテマシュ」
私は猛烈に苦しんだ。少年は苦しむ私を更に殴って楽しんだ。集落におけるカラクリ屋は悪を量産する悪の巣窟であり、小さな少年たちにとって、私を倒す事が正義のヒーローになれる煌びやかな道であった。
少年たちは大満足で立ち去った。が、その後の私は引き続き苦しかった。人通りの多い惣菜コーナーから寂しげなビールコーナーに移り「うーうー」悶えた。アルコールを前に悶絶する男、文句なし、アル中患者の体であった。
ちなみに…。
男なら誰でも知ってる第三波がある。半日ぐらいヘンな違和感に苦しまねばならず、ヘタすると腫れあがって熱が出る。書いてて痛い。そして分かってもらいたい。成人男性はホント色々デリケート。心も体もシャボン玉。割れないようソーッと扱って頂きたい。
さて…。
冒頭「三度目」と書いた。が、三度というのは地域の子から頂いたクリーンヒットを指していて、実害は優に百を超える。つまり日常茶飯事。とても慣れている。私自身クソガキだった事もあり、
「少年は来る!股間に来る!必ず来る!」
それが分かっていて常に身構えている。むろん我が子にもクソガキはいて、三人娘の真ん中がひどい。これには何度も泣かされた。おかげで真ん中と風呂に入る時は常に内股。絶えず警戒していて気の休まる時がない。
股間の衝撃を書いてたら気持ち悪くなってきた。お腹も痛くなってきた。痛くなったついでに後二つの衝撃も書きたい。
昨年、三女を迎えに保育園に行った。すると集落の子に見付かった。
「ヘンなロボットつくるオッサンがきたー!」
集落の子だけかと思ったら色んな子が集まってきて「バイキンマンのマネをせよ」と言う。やった。やったら増えた。恐ろしい数が殴る蹴るで向かって来た。軽い拳固で応戦した。が、防ぎきれずカンチョーを食らった。背後に気を取られた。一瞬スキが生まれた。そのスキを寺の長男が見逃さなかった。全速力で走り、私に向かってダイブした。
ゴリッ。ジャストミート。
イガグリ頭の強烈な頭突きをモロに受けてしまった。拳と違い重かった。爪先までズーンときた。これは効いた。私はうずくまった。子供たちは殴る蹴るを止めなかった。先生も「やめなさーい」と言ってはいるが、この状況の深刻さが分かっていなかった。
「はい、バイキンマンやっつけた!終わり!終わりー!」
本当にやっつけられたバイキンマン、まさかゲロ吐く寸前、虫の息とは思うまい。痛くてピクリとも動けなかった。声かけられても右から左。この痛さの前には森羅万象あらゆるものが風に舞う塵に同じ。這いつくばって鉄棒へ移動し、もたれかかり、真っ青な顔で二波が去るのを待った。吹けば飛ぶよなボロ雑巾であった。
もう一つ。あのカンチョーは凄かった。
私の住む集落は阿蘇下田という。田舎はどこも同じだが子供が近けりゃ親も近い。父親は消防団で顔を合わせ、母親は奥様会で顔を合わせる。何もせんでも会う機会はたくさんある。が、それとは別にやたら呑む。健全な集落のかたちで何の問題もない。
その日も集落の呑み会。私は少し酔っていた。小用に立った。みんなそうだが誰もトイレを使わぬ。そこらの土手で用を足していると、背後からクソガキが寄って来た。私は常に警戒中。だから気付いた。警告した。
「それ以上寄ったら金の水ぶっかけるぞ!」
大人の余裕を見せつけた。が、向こうは一枚上手であった。私に気付かせたのはクソガキの伏線。もう一人クソガキが潜んでいて、其奴が草むらから現れた。クソガキは祈るように両手を握り、人差し指だけピンと伸ばした。迷いがなかった。大人になるというのは迷う事だが、クソガキに躊躇はなかった。全てを指先に集中し、手の塞がった私の尻に二つの指をぶち込んだ。
「パピッー!」
奇声を上げて転がる私。効く、痛い、そういう話ではなく、死ぬかと思った。
「うわっモロ入った!くさっ!きもちわるっ!逃げろっ!」
ヒットアンドアウェー。全力で逃げるクソガキ。追いたいが追えなかった。
私は初めて呑み会を早退した。それぐらい痛かった。辛かった。大声で泣きたかった。着衣の乱れそのままに、クソガキに犯されたオッサンは尻を押さえて夜道を歩いた。涙で星が見えなかった。
奇跡のカンチョーは一ヶ月ぐらい痛かった。毎日思い出した。あの衝撃、あの悔しさ、このヒリヒリ。
次の呑み会でクソガキに会った。クソガキは憶えていなかった。私はハッキリ憶えていた。だから無言で捕獲し、無言で金玉砕きの刑に処した。処しながら少年時代を思い出した。私も意味不明に金玉砕きされていた。
(ああ、こういう事か…)
何となく分かり、許してやろうと思った。が、クソガキ見てると怒りが湧き、砕く力が蘇った。なぜだろう。クソガキのいる風景には熱と元気があった。
先日、近所で子が産まれた。同じ消防団だから知らぬ仲ではない。彼は一週間、産まれた事を誰にも言わなかった。産後の色々があってそういう風に判断したものだと思われる。「産まれたら庭先で宴会しよう!」そう宣言していたのも言いたくないに拍車をかけたであろう。が、一週間後に知った私は何だかショボーンとした。隣の先輩もショボーンとしていた。気になる。気になった。やはり一緒に喜びたかった。集落の慶事だもの。
ショボーンの並びが可笑しかった。ショボーンは地域の子たる証左。言い換えれば偽りなき集落愛。これだけは逃げようがないし、逃げてもしょうがないし、なきゃ寂しい。だから田舎に住んでいる。
社会と人の世は違う。社会は人間が造ったもの。だからネッチョリ気持ちが悪く、その運営に階層がいる。人の世はたまたま偶然そして愛、丸みを帯びて転がるモノしか残らない。ゆえ立前や偽りを許さない。
私はたまたまここに住んだ。そして、たまたま元クソガキであった。現クソガキに目を付けられ、たまたま玉を蹴られた。私は玉のような汗をかき、クソガキを恥じた。何と見事な人の世の循環だろう。
蹴られて分かるクソガキの罪と罰。因果応報。まさに人の世の面白味、生きる醍醐味であった。
もう勘弁して。
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