第94話 父子のバスケ(2014年3月)

小学校の四年五年六年と長女はバスケ部に在籍した。三年を通して応援団のポジションを譲る事はなかったが、何はともあれ辞めなかった事が素晴らしい。
「最後の試合は気合を入れて観に行くぞ!」
「絶対来んで!お願いだから来ないで下さい!」
長女の嘆願虚しく、嘆願されたゆえ父は燃えた。ノリノリで観に行った。保護者応援席のセンターを陣取り、仁王立ちで観た。
「三年分の思いを込めて最高の一本を決めよ!」
長女は公式戦でシュートを決めた事がなかった。
「一本決めて終わりたい」
私には言わぬが嫁にそう洩らしたらしい。それを聞いて父は燃えた。ここで青春を叫ばずして、どこで青春を叫ぼう。娘の青春に父も立ち会う必要があった。
「よぉーし!」
観戦する父の鼻息は荒かった。
この日、長女は試合に出た。監督もさすがに分かっていた。温情全開、出してくれた。
「行けー!燃えろー!踊れー!噛みつけー!」
父の熱い応援を長女は徹底的に無視した。その代わり、嫁の応援にはマメに応えた。分かりやすい差が極めて腹立たしかった。
そもそも私が試合日を知ったのは前日であった。知らなかったのは私だけ。危うく出張を入れるところであった。
胸に手を当てて考えると確かに私にも落ち度はあった。
「応援ロボを作ってベンチの娘を応援する!」
過去にそれを提案。本当に応援ロボを作ったら長女がキレた。試合日を教えてくれなくなった。
「それだけじゃない!」
長女は言う。
「試合中に笑わせるのもイヤ」
が、それには理由があった。長女は常に力んでいた。力みを削いでやる必要があった。だから目が合うと猪木のマネをした。悪気はなかった。本番は気が抜けてるぐらいがちょうどいい。ヘタクソは気が張ってるからヘタクソであって、まずはリラックス、それが肝要であった。
何はともあれ父は興奮していた。長女の青春に奇跡の一発が欲しかった。
祈り祈って観ていると長女がフリーでボールを持った。ゴール前には誰もいなかった。長女、無人のゴールへ走った。嫁、狂わんばかりに娘の名を連呼した。嫁だけかと思ったら色んな人が娘の名を呼んでくれた。
「あの子だけがゴールの味を知らず卒業しようとしている」
その事を皆が知っていた。ありがたかった。
長女は青春の滑走を始めた。離陸した。着陸した。
「ボールはどこへ?」
大きく外れて明後日の方向に転がった。
バスケはいい。ずっこけた瞬間、流れは次へと移っていた。長女は走り続けた。
「追えー!叫べー!泣けー!青春の勲章はくじけない心だー!」
大好きな阿久悠を引用するほど父の本気は爆発した。が、また外した。
二度ある事は三度ある。もう一度チャンスは来るだろう。
「三度目で決めろー!さらば涙と言えー!」
隣の保護者はチンプンカンプン。理解できたら昭和通。気分はすっかり森田健作。俺は男だ。嗚呼青春。夢と希望を撒き散らしての熱き応援であった。
この日、長女はシュートを決めた。言うまでもなく私と嫁は天を仰いだ。この世の終わりの如く盛り上がった。嫁に至っては感動のあまり泣いてしまった。
「なんで泣いてるの?」
人が聞いたら笑うだろう。
「長女がシュートを決めまして」
「は?」
意味不明かもしれない。が、幸せは小さいほどによく沁みる。父と母が手を取り合い、
「よかったなぁ」
「ええ、ほんとに」
それぐらいがちょうどいい。
生きてるって素晴らしい。こんな日はチョットだけ夕食を豪勢にし、照れる長女を囲って美味い酒を思いっきり呑みたい。
試合終了後、私は長女の元に駆けた。一言だけ「おめでとう」と言いたかった。が、長女は全力で逃げた。あれぐらい速く走れるならもう数点取れたろう。見事な逃げっぷりであった。
それから数日後、部活最後の日が来た。相変わらず私にだけ詳細が入って来なかった。が、嫁のヒソヒソ情報によると、
「保護者も来て下さい」
書面で案内が来ているらしい。
「行って何するとや?」
「親と子の対抗戦があるらしいよ」
平日だから行ける親は少ないだろう。カラクリ屋は行ける。運動も意外とイケる。太っているけど割かし球技はイケるクチで、
「サモハンキンポー(燃えよデブゴン)みたい」
褒められ続けて十五年、ついに見せ場を得た。
「よぉーし!俺も行く!動けるところを見せてキャーキャー言われたい!」
夕方、意気揚々小学校へ乗り込んだ。イメージトレーニングは完璧であった。フェイントをジャンジャン入れ、残像のみを残して全員抜き。帰る頃には、
「キャー!カラクリよ!ステキー!」
黄色い嵐となる計画であった。
思えば長い道のりであった。ナニコレ珍百景という番組で「登録ならず」を連発して以来、登録ならずのおっさんと呼ばれ、忘れた頃に誰が言ったかバカラクリ、最近では残念なおっさんと言われる始末。ガキンチョに石ばかり投げられてきたけれど、明日からは花束が飛ぶに違いない。今日という日は全ての汚名が晴れる記念すべき一日であった。
体育館に入った。ちょうど練習試合が始まったばかりであった。
長女はピッチに立っていた。立っていたにも関わらず父を見付けて叫び始めた。いつもより本気の口調であった。
「来んでよ!どっか行って!恥ずかしい!」
この反応は想定内であった。無視し、保護者の群れに合流すべく中へ入った。長女の叫びは止まなかった。試合中なのにコートを飛び出した。涙目であった。
「周りば見てよ!男は誰も来とらんでしょ!女の中に男が一人よ!恥ずかしくないと?」
私の足は止まってしまった。周りを見た。周りも私を見た。確かに女の中に男が一人であった。「笑ってあげましょワッハッハ」まさにその状況に陥ってしまった。
猛烈に恥ずかしくなった。
幼年期より「それだけはいかん」「それだけは避けよ」言って言われた黒一点。あの頃の私はそういう奴を見付けたら全力で駆け寄り指差呼称でバカにした。
「オカマ発見!」
痛い。痛過ぎる。会場全ての声がオカマコールに聞こえてきた。
先生が椅子を用意し、案内された。
「福山さん、奥へどうぞ」
「はい・・・」
クビを縦に振るけれど体が前に進まなかった。ヘンな汗が止まらなかった。奥は大奥。奥様に囲まれてしまう。そこはオカマの入口。
「不思議発見!」
誰かが私を見付けるだろう。続けて、
「オカマ発見!」
指差呼称で笑われるに違いない。いけない。奥へ行ってはいけない。
顔が熱くなった。熱は全身に伝播した。先生は奥へ奥へと勧めたが、私は一歩、また一歩、徐々に徐々に後ずさった。
分かってる。大人になれ。
分かってる。そういう時代じゃない。
分かってる。九州男児は死語。
諸行無常の響きの中、全てが大きく揺れ動いている。古いタイプの男なんて既に社会は求めていない。女の中に男が一人。そんなものは風に舞う塵に同じ。誰も気にせん。突き進め。あの椅子まで突き進み、ドーンと座って娘を見よ。お前の種から生まれた子、分身の戯言なんて聞いてどうする何になる。退くな。進め。なぜに退く。
「退くなー!」
私は体育館を出た。長女の顔が見えなくなった。
「どうして?」
これは病気であった。そうありたいと願いつつ、果たしてそれがいるのかいらんのか、全く分からず今日も守った。
理想の少年がそこにいた。少年の輝きを追い、少年の縛りに苦しみ、少年で死ぬ事を常に祈った。それ即ち美学。
美学を掲げ今を生きるは難しい。が、美学とは現状と青春とを照らし合わせる学問で、持つ以上は苦しまねばならない、それが宿命である。
長女は今、青春を育てていた。父は今、育ち盛りの青春に触れたかった。
体育館から娘の声がした。父は壁際で寝返りを打ち、背中で聴いた。
「娘の青春を聴いて何になろう?」
自分に問うのが悲しいほど昭和と家族と青春が好き。
阿久悠は名曲「青春時代」でこう書いた。
「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」
娘よ迷え。迷って迷って迷い尽くして何かに燃えよ。
父は未だに迷っていた。
「僕も真ん中にいたい」
今でもあがく父を許せ。
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