第100話 月賦で頼む!追徴課税!(2014年9月)

恥ずかしい話だが税務の事がさっぱり分からず今に至っている。
阿蘇カラクリ研究所は2007年10月に創業した。その際、サルでも分かる青色申告みたいな超初心者向けのマニュアル本を買った。読んだ。さっぱり分からなかった。
身近な人に教えを乞うべく実父のもとに走った。実父も個人事業主。30年以上プラモ屋を経営し、数年前に店を閉じた。実父に聞けば何とかなると思っていた。聞いた。ギャフンとなった。さっぱり分からんまま30年を過ごしたと言う。
税務署による無料指導もあるらしい。直接行って聞いてみた。あるにはあるがイレギュラーで、年に数例しかないそう。断られた。
最後の頼みはお友達。実地調査をした。規模を問わず独立経験者の元へ走り、単刀直入聞いてみた。
「皆様の税務はどうなってますか?」
ある人は商工会や税理士に丸投げらしい。ある人は伝票だけを整理して、そういうところに出してるらしい。ある人は税務ソフトにお任せだそう。
色んな話を聞いて税務ソフトを採った。丸投げだと年30万、伝票整理だと年10万、税務ソフトは終身1万円、圧倒的コスト差であった。
むろん税理士の話も聞いた。税に関する法律は年々変わるらしく、時機を見た節税対策で大きな差が出るらしい。また、税理士の印鑑があるかないかで税務署の印象が全然違うという。素人の書類は基本的にミスばかり。それだけで疑惑の対象だそう。
なるほど。全ての理屈に一理あった。理屈を元に考えた。考えた末、税理士案を捨て、先輩の言を採った。
「節税対策など儲かった人間がやる事だ!今、お前を見てハッキリ言える!お前は儲からん!税理士に払う金もない!儲かってなければ税務署も来ん!マルサ(税務監査)が来るって事は儲かったって事だ!マルサが来て一人前!その時は胸を張って追徴課税を払い、それから税務を考えよ!儲かるまで税務など知らんでよしっ!」
「うー、凄いセリフ!説得力抜群!」
そういう流れで税務ソフトに入力する事が私の税務となった。あらゆる伝票をマメに保存し、入力だけは怠らず、数字がキチッと合うよう努めた。確定申告の際はソフトが自動的に弾き出す数字を提出書類に書き写した。
数年この作業をやった。数年やって減価償却の仕組だけは理解した。未だよく分からないのは貸借対照表というもので、工具器具備品という項目が資産として膨れ上がっていた。事業主の貸しと借りの項目もよく分からず、元入金の欄も意味不明だった。
ある日、工具器具備品の欄をゼロにした。貸しも借りもよく分からないからゼロにした。膨れる数字がよく分からず、意味不明なだけに目障りだった。これが問題を引き起こした。合うはずの数字が合わなくなり、税務署の目に留まった。
初めて税務署から確定申告以外の手紙が来た。ちょっぴり嬉しかった。創業時に聞いた先輩の言葉を思い出した。
「マルサが来て一人前」
が、マルサは来なかった。マルサに呼び出された。
「貸借対照表について聞きたい事があります、税務署までお越し下さい」
乗り込むまでもない。この程度は呼び出しで十分。つまりはそういう事だった。悲しいかな一人前になれなかった。
税務署は私という人間が貸借対照表の意味すら理解してない事を察していた。数字が合わない事を指摘すると初心者用の手引きをくれた。手引きに沿って説明してくれた。分かりやすかった。なぜ最初にこの説明をしてくれないのか。
工具器具備品は減価償却で減らさないと経費にならないらしい。私は理解してないから1円も経費にせず、おもむろにゼロ化した。事業主の貸しと借りも税務ソフトがせっかく調整したのにゼロ化した。論外の蛮行らしい。
「なんでそういう事をしたんですか?」
「分からないから分かりません」
税務署は既に修正申告用の書類を用意していた。馬鹿野郎に一から十まで教えたら時間が幾らあっても足りない。その事を見越し、印鑑一発で全ての作業が終わるようになっていた。
結論は二年間の青色申告を認めない。白色申告に修正らしい。青色は貸借対照表が分かってなければならない。分かっているから控除額が65万円らしい。分からない人は白色申告。控除額は10万円だそう。つまり差額の55万円が二年分の課税金額に上乗せされ、追徴課税が発生するという理屈であった。
理屈は分かった。それはいい。
「で、幾ら?」
大事なことはそれ一つであるが、それは書類に書いてあるらしい。税務署はスナックのママ同様、数字を発さなかった。固唾を呑んで紙を見た。4万円であった。4万円は安くなかった。が、払えない額ではなかった。異論があれば受け付けると言われたが、数年分の書類をひっくり返し、色んな数字を整理算入する作業は極めて面倒に思えた。素直に受け入れ支払った。
その一ヶ月後…。
一通の手紙が来た。嫁が見た。見た瞬間「ギャー!」と叫んだ。
「何これー!」
今度は村からやってきた。4万円は所得税の追徴課税だそう。その他、住民税と県民税があって、極め付けは国民健康保険。その額およそ50万円と書いてあった。
「期限は?」
「すぐ払えって感じじゃない?」
「無理!払えん!月賦の線で交渉してきてくれ!」
私が行くより嫁の方がソフトに丸く収まるだろう。が、嫁は恥ずかしいと言った。猛烈にゴネて暴れた。
「ええい!ならば俺が行く!」
作業着のまま愛車のカブ50に跨った。跨って思った。この風景は寅さんに出てくるタコ社長そっくりではないか。タコ社長は零細企業の厳しい経営を嘆き、常に税務署対策に奔走していた。彼が乗るマシンもカブ50であった。
「はぁ、頭痛いよ」
タコ社長の口癖が言うように私も頭が痛かった。口を尖らせ、今度は村の税務課へゆかねばならぬ。最悪の場合、御上に土下座もありうるだろう。
「お代官様!そんな大金一度に払えませぬだ!なにとぞ月賦で、月賦でお願いしますだ!生きてゆけませぬだ!お慈悲を!お慈悲をプリーズ!」
想像するだけで気持ち悪くなった。
税務課に着いた。着いてすぐ吐き気がした。私はお役所の雰囲気が苦手であった。「仕事しているアピール」が複雑に交差する、あの無理にシーンとした感じ、これは病院に次ぐ息苦しさであった。用件をサッと済ませ、サッと帰らねば窒息死するに違いない。
近所の奥様が税務課で働いていた。手招きした。
「ごめん、壮大な課税を長期の月賦にして欲しい」
奥様は封書を出した張本人であった。内容を知ってるから余計な言葉は要らなかった。担当の偉い人を呼んでくれた。
「何でしょう?」
「月賦のお願いに馳せ参じました」
シーンとしたフロアに月賦の声が木霊した。
「月賦のお願いに馳せ参じ候」
タコ社長もどきは襟を正し、再び月賦を発した。知り合いの奥様が残金一覧表を用意した。偉い人はそれに目を通し「月賦という仕組はないけれど必ず払うという念書を書いて毎月の支払いを一定にする事は可能」と言った。ただし、遅延金が発生すると言う。
「どのくらい?」
「このくらい」
見て驚いた。銀行の利率より遙かに高かった。
「これは銀行から借りて払えって事ですか?」
「そういう方もいらっしゃいます」
「追徴課税を理由に銀行は貸さんでしょう」
「貸しませんね」
沈黙が続いた。沈黙の脇で知り合いの奥様が色んな人を呼び止めた。人が増えた。奥様曰く税務のスペシャリスト大集合らしい。
「カラクリ屋が税金の支払いで困ってる!さあ、みんなで考えよう!」
そういう感じになった。
ふと偉い人が声を発した。
「差し押さえとかされちゃ困るでしょう?」
知り合いの奥様がギョッとした。私はちょっと期待した。
「うちのロボットで払えますか?」
手持ちの変なロボットで払えるなら是非そうして欲しかった。が、差し押さえ物件に変なロボットやカラクリが並んでも値は付かないだろう。みんな「うーん」の顔になった。大勢で差し押さえの絵を想像した。やっぱり「うーん」が離れなかった。
結局は「念書を書こう」という運びになった。毎月2万円を月賦で払い、ちゃんと約束通り払い続けたら温情というかたちで遅延金が免除・減額されるそう。
「ちゃんと払うね?」
「払うものは払います!月賦なら払えます!払えない時は村から出ます!」
私の発言はどうも信用できないらしい。「うーん」を繰り返す偉い人に近所の奥様が熱弁を奮った。
「この人は大丈夫!必ず払います!逃げたりしません!信じてあげて下さい!」
凄く恥ずかしかった。近所の奥様(嫁の友達)から必死に援護される阿蘇カラクリ研究所という会社は一体どういう風に受け止められるのだろう。
(ありがとう!でも、やめて!その熱弁を今すぐやめて!)
心底そう思ったが奥様の熱い援護が功を奏した。村は裁きを下した。
「村の恩赦に期待せよ!ただし約束は守れ!」
「ははー!」
タコ社長もどきは月賦の木霊を残し役所を去った。人生において、これだけ月賦を連呼する機会は後にも先にもないだろう。実に貴重な経験であった。
家に帰った。嫁が出てきた。念書の写しと24ヶ月分の振替用紙が土産だった。
「大変だったね」
タコ社長なら下を向き、
「まいったよ」
そう言って頭かきかき恥じねばならぬ。が、意外と気分爽快であった。
「記念に写真撮って」
愛車と書類と嘆く男を撮ってもらった。撮ってもらいながら役所の今を想像した。カラクリ屋を笑い飛ばしているに違いない。もしかしたらマネされてるかも。
「月賦、月賦!お腹いっぱいゲップップー!」
「くそー!」
いいではないか。社会や行政に叱られようと未来に叱られなきゃいい。追徴課税は月賦の響きで笑い飛ばすしかない。
「ゲップー!」
ちなみに娘たちの宿題を見てたら税に関する習字があった。題材は自由らしい。「月賦課税」と書いて欲しかったが、その言葉は一般的じゃないらしい。仕方がないので「追徴課税」と書いてもらった。グッときた。何だか沁みた。大人心が大いに濡れた。これはいい。我が子初の金賞を受賞するかもしれない。
「追徴課税」
忘れたい。忘れられないその言葉。振替用紙、未だ2枚しか減っておらず、残り22ヶ月、長い長いお付き合いであった。
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御上の裁きを受け、晴れて帰還のカラクリ屋。




家族に浸透「追徴課税」という言葉。