第112話 腰痛物語(2015年12月)

四十路手前に膝を痛めた。パキパキ、コキコキ鳴り出して、鈍痛走って膨らんで、次第に曲がらなくなった。
病院へ行き、レントゲンを撮り、水を抜いてもらった。軟骨がすり減って炎症を起こしているらしい。
この病院は消防団の先輩が勤めているから選んだ。整形外科の先生は巷で噂の変わり者らしい。なるほど。どっから見ても変わり者で、徹頭徹尾変わり者だった。
「原因はテニスのやり過ぎでしょうか?」
「うーん、それもあるだろうけど、一言で言っちゃうと、いい?言うよ?老化だよ老化、むふっ、使えば減るのが軟骨で、つまり減っちゃったわけ、これから長いお付き合いになるね、むふっ残念無念、頑張って」
ロキソニンテープという貼り薬をもらった。テーピングもやった方がいいと言われたので、2千円もする最も上等なヤツを買った。
確かに病院に行く前の最悪期と比べたら断然良くなった。まぁまぁ走れるようになってテニスもやれるようになった。が、医者の言う通り次第に悪化、また膝が膨らみ始め、靴下が一人で履けないようになった。
先生の言を更に引く。
「このテープも、とどのつまりは痛み止めで良くなる事はないよ、むふっ残念だけど、運動を抑えて気長に付き合う事、また膨らんで痛くなったら遊びにおいで」
嫌だ。運動したい。付き合えない。遊びに行きたくない。笑顔で打たれる膝注射なんて真っ平御免。
「どうしよう?」
びっこを引いて項垂れてた時期、その人に会った。柿農家さん主催の「収穫祭」という名の大宴会だった。
初めて会う人ばかりだから手頃な話題を提供すべく、
「最近膝が痛いんです、老化現象って言われました」
笑い話として、そういう話をした。隣のおじさまは学校の先生だそう。教鞭を執るかたわら気功による整体もしているらしく、自身が気功治療で命を救われた経験があるそう。
「よし、ちょっとおいで」
おじさま会場脇の別室に私を転がすと、ゆっくり息を吐きながら腰と背中を押した。
「酷い!これは酷い!3センチはズレとる!」
膝が痛いと言うとるのに、なぜか腰をグリグリされた。おじさま曰く「膝と腰は一つところ」だそう。病院は膝と言うたら膝しか見ぬが、こと整体に関して言えば膝と言ったら腰、腰と言ったら膝だそう。
よく分からぬが治ってくれりゃ何でもいい。
「シュー!」
気功師はすかしっ屁のような息を吐き、私を押して捻じ曲げた。筋肉の緊張は万病の元で、私の右半分だけガチガチに緊張してると言う。先ほどの3センチと言うのは片側緊張による体のズレだそうで、それを修正するだけで何かが大きく変わるそう。
呑み会は100人規模の大宴会であった。その大宴会の脇で酔った大人が組んず解れつ悶える様をご婦人方は気持ち悪いと言った。何人か通行人と目が合った。みんな逃げた。嫁も子供も逃げ出した。
私事だが、私は昨今のパワーブームを正直言ってバカにしている。
「パワーを感じる」
それは勝手でよろしい。よろしいけれど、ブームで数の力を得、今がチャンスと言わんばかりに勧誘するのはやめて欲しい。更に否定されたら怒り出すのもやめて欲しい。
こんな事があった。
方位磁石がクルクル回って大混乱の場所があるそう。その人は怪奇現象をやたら宣伝し、そこにある石を触ればご利益があると言った。私は現場に拉致され、長い話に付き合わされた挙句、皆の前で見解を述べよと石の前に立たされた。
私は嫌々私見を述べた。
「この石は落雷による高電圧で着磁されたのでしょう、弱い磁石になってます」
正直に所感を述べた。すると一部熱狂的ファンがキレまくった。
「消えろ!消えてなくなれバカヤロー!」
凄い剣幕で追い払われ、こっちも戦闘態勢に入った。
「このインチキ野郎!石に宿る神様は証明できんでも磁力計さえありゃこっちは即証明じゃ!神じゃない!磁力のパワーじゃボケ!人と自分の心を騙すなコンチクショー!これは雷による着磁!自然現象!ご利益はない!」
人の心は弱い。弱さに付け込む邪念犯が一番嫌いで、消えろコールを百回受けても凛として消える事を拒否した。
ちなみにパワーの存在は否定しない。むしろ絶対あると思ってる。それが何なのかよく分からぬが、例えば磁場の流れだとすると、確かにその吹き溜まりはある。中央構造線という古い地層が熊本から伊勢神宮方面に走ってて、そのラインにパワーの吹き溜まりが集中してると言う。近所に幣立神宮という超有名なパワースポットがあって、感じる人だと失神しそうになるらしい。
「分かった!感じたい!僕は失神ならぬ失禁で応えたい!」
この神社が流行る前、手弁当で半日ほど過ごした。流行った後も一回だけ行った。全く何も感じなかった。唯一感じたのは周りの人の熱狂で、それは痛いほど感じた。トイレがなくて境内の端っこで野グソした。スピリチュアルな人にその話をしたら僕を押し退け全力で逃げた。彼ら曰く罰当たりの極みで嵐に巻き込まれるそう。
「待て!俺はティッシュを使ってない!葉っぱで拭いた!巨木の栄養になりこそすれ、どこが罰当たりか?」
「寄るな!寄らんでくれ!嵐が吹く!ひぇー!」
僕も嵐を感じたい。ブームという嵐じゃなく、パワーの嵐を感じたい。
昔の人は磁場(気?)の流れに敏感で、地球のツボを察する事ができたそう。そのツボに木を植え、神を宿らせ、水を探し、ムラを作った。林から森(杜)へ成るには木が増えたらいいというわけじゃなく、神が天降(あも)らねならぬ。天降って初めて杜(森)になり、ムラの土台ができるそう。
「スピリチュアル様!君の言ってる事は間違ってない!間違ってないから難しい言葉で誤魔化そうとせず、ちゃんと理屈を教えてくれ!」
「信じなさい!信じるものだけ救われる!パワーが源!パワーが命!パワーのためなら死んでもいい!」
「もー!分からーん!」
政治、宗教、スピリチュアル、色んな世界が地球や人間に良い方向を指せばいい。指せばいいと願うけど、ザッと見、善意より悪意の方が圧倒的多数に見える。パワーを語る人には超然としていて欲しい。観光に寄り添って娑婆の権化・カネを臭わせるなど以ての外、美しいパワーの理屈と出会いたい。
ちなみに私という人間はパワーに縁深い。
私の高専時代の卒業研究は宇宙から来るシューマン共振波というパワーの揺らぎを音にしてストレス解消を研究するというものだった。ハッキリ言って怪しかった。「これほど浮いた研究テーマは未だかつてない」と現役教授に言わしめるほど浮いていた。この時の担当教官がSさんという気功師で、スプーン曲げもするし治療もするという人で、二日酔いや腱鞘炎を気で治してもらった事があった。気持ち悪いほど治った。
みんなそうだと思うけど、私も私自身が見たもの聞いたもの感じたものしか信じない。気功は怪しい。それは今でも変わらぬけれど確かに効いた。効いたというのは真実で、それは変えようがない。
「雰囲気に騙されないぞ!曇りなき眼で真実を見たい!」
そのスタンスで数年ぶりの気功治療を酔っ払って受けた。むろん駄目元の気分だったけれど、以前の体験があって「もしかして?」という気分もあった。
効いた効いてないの線引きは靴下が履けるかどうか。治療前は全く履けず嫁に履かせて貰ってた。
「さあ、どうだろう?」
ふたを開けてギョッとした。履けた。それもすんなり履けてしまった。
「なんでー?」
気功師が笑った。酔って上気した顔をゆるりと崩し、
「よし効いた」
そう言って足早に去った。
私は後を追った。幾らか払わねばなるまい。「ハンドパワーです」と言うてくれたらチップを投げる隙もあったに違いない。が、気功師は間髪入れずに去った。追いかけ、捕まえ、払うと言った。
「好きでやった、治療費はいらん」
かっこ良過ぎて項垂れた。これは魔法に違いない。
「なぜ効いた?なぜ履ける?なんでー?」
詳細はさっぱり分からぬが、やはり真実に勝るものはなく、意味不明な気功治療の恐ろしさを知った。
それから一ヶ月。
気功師に「毎日やれ」と言われた体操が二日に一回、三日に一回、段々おろそかになった頃、テニスをやってて派手に転んだ。
僕は顔がデカい。デカい割に足が長く、転びやすい絶妙なバランスらしい。転び慣れてるゆえ、その日も何て事ない、すぐ立てる、すぐ続行できると思っていたが、ぜんぜん立てなかった。
「なにこれ?」
膝を痛打したはずなのに腰がピキピキなって全く力が入らなかった。
「膝と腰は一つところ」
気功師の言葉を思い出しつつコートを這った。何度も何度も立ち上がろうとするけれど全然ダメ。居合わせた御歳72歳の肩を借り、ようやく端へ移動した。
「やったなー!」
老人、満面の笑み。
「ぎっくり腰だ!ぎっくり腰に違いない!やったなー!」
老人、大はしゃぎ。
ぎっくり腰は色んな人がやってるので噂で動けない事ぐらい知ってたけど、こうも動けないものなのか。老人が嬉しそうに過去の経験を語り始めた。大便時に尻が拭けん、一週間は絶対安静、家族の介護に感謝の日々。ああ嬉しそう。何と嬉しそうに若者を脅すのだろう。
やりかけてる仕事があった。
「仕事をしなきゃならん」
なぜ病気の時ほどそういう使命感が芽生えるのだろう。健康な時は遊んで暮らしているくせに病気になるとやたら仕事をしたがる自分が怨めしかった。
家に帰って横になった。嫁に世話して欲しかったが、その日は嫁も多忙だった。娘のバスケが試合日で、その観戦と、夜は呑み会が入っていて、夫に付き合う暇がなかった。
嫁は面倒臭い夫を病院に入れたいと思ったのだろう。執拗に通院を勧めた。その日は日曜。当番医を探すから早く行けと言う。
ぎっくり腰は未だ原因不明の病らしい。病院は理屈の分かる事柄を論理的に治す場所で、ぎっくり腰には向いてないと思った。
ふと呑み会の時に会った整体師を思い出した。私は呑み会の時しか知り合いができない性分で、シラフの時に会っても全く記憶に残らず、思い出すのは酒の席ばかり、たしか南阿蘇で整骨院をやってると言ってた。評判がいいらしい。「この人に揉んでもらうと他の男じゃ満足できない」誰かがそう言って「凄い日本語!うらやましー!」そういう会話で盛り上がった記憶があった。整体あるある、鉄板のシモネタらしい。
「そこに行こう!」
ネットで調べ電話した。日曜もやってると言われた。
「ぎっくり腰に効きますか?」
「楽にはなると思います」
嫁の運転で現場へ向かい、即やってもらった。
人生初の整骨院は痛かった。痛かったけど確かに楽になった。少しだけ腰が曲がるようになった。明日になれば普通に歩けるかもしれない。希望の光が見えた。
人生初といえば針もやってもらった。針の付いたテープをピンポイントに貼るというもので、効果や理屈が全く分からんところが何となく効きそうな感じがした。
さて、その翌々日、快方に向かうと思われた矢先、洗面所で少し腰を曲げたところで振り出しに戻った。またピキッてなって崩れ落ちた。
嫁は「今度こそ病院に行け」と言った。嫁は大病院の信者で都市文明こそ健康の味方だと信じて疑わない。最終的にはそうかもしれない。論理に勝る説得力はない。が、私には経験があった。それもほんの一ヶ月前、フレッシュな経験。
「気功師に電話してみる」
「えー遠いよー」
嫁なりにぎっくり腰を調べ、動かしちゃいけないという知識を得、横で色々言うてたが、とりあえず気功師に電話をかけた。
「ぎっくり腰に効きますか?」
「効く!」
断言された。整骨院は「楽にはなる」と答えたが、気功師は「効く」と断言した。その後も展開が速かった。発する日本語に自信が満ちていた。
「今日は予定があるから明日出てきなさい、いや、やはり今日がいい、早い方がいい、今日の夕方なら大丈夫、鳥栖駅まで出てきなさい、迎えに行く、治る」
列車に乗って鳥栖へ出た。気功師の自宅は鳥栖駅のそばらしい。
小さな平屋の一角にベットが置いてあって、前回同様ズレの診断から始まった。
「こりゃまた酷い、あんたストレスも多いね、内蔵に血液が流れてない」
体が緊張していると交感神経というのが優位になるらしい。そうなると副交感神経というのが働かず、内臓が弱ってくるらしい。
「あんた血液検査やった事ある?悪かろう?」
当たっていた。メチャクチャ悪かった。一つも正常値がなかった。
「酒も残りやすかろう?」
当たっていた。二日酔いは体質だと思ってた。
「あんたの精子からは女しか産まれん、子供は女じゃないか?」
当てて欲しくなかった。今後の夢が潰えた。
「この内蔵じゃ精力もなかろう?」
それだけは外れ。ニヤリ無言で流した。
「はい終わり」
小一時間ぐらい気功治療を受け、試しに駅前まで歩き、ついでに色んな体勢を試してみた。気持ち悪いぐらい自由になってた。
帰り際、気功師はこう言った。
「滞ってた色んなものを散らしたから背中とか肩とか別のところが痛くなる、それは好転現象と言って良くなる前兆だから気にしない事」
その翌日、気功師が言うた通り、腰が楽になり背中や肩が痛み始めた。
「なんでー?気持ち悪いよー!」
文明信者の嫁が僕の体とその現象を気持ち悪がった。それはこっちのセリフ。何が何だか分からず、効けば効くほど意味不明。ネットや家庭の医学を見てもさっぱり分からなかった。
とりあえず治った。嬉しいやら悲しいやら、次回はこの気持ち悪さを払うべく、是非そのメカニズムを乞うて教えてもらおうと思った。
ちなみに私の体がなぜ右半分だけ緊張してるのか、その原因として思い当たるフシはないかと気功師に聞かれた。それを取り除かねば気功治療をしても直ぐに硬くなるらしい。考えた。考えたけれど思い当たるフシがなかった。
「片側だけでやってる作業?テニス?仕事?」
確かに利き腕に寄るけれど、それはみんな変わらぬだろう。そんな話を呑みの席で話していたら、一人の中年がハッとなった。
「お前、毎晩腕枕してるって言ってたな?それ大丈夫?」
確かに毎晩してるけど左腕だから違う気がした。違うと思ったけれど気になるので気功師に聞いた。
「それだ!腕枕が悪い!」
「でも左ですよ」
「左に荷重が乗るから右はバランスを取ろうと緊張する!な!それだ!」
「えー」
結婚16年。付き合っている頃から換算すると17年。腕枕は私という人間のライフワークであった。私の左で寝る人はそれが男だろうと女だろうとライフワークの餌食になり、首下に温いそれを差し込まれた。みんなギョッとし、目覚め、吐き気を覚えるそう。むろん私はグッスリゆえに分からない。無意識無想の発するそれでやめたいけれどやめられない。
嫁も私もこの問答を受け腕枕をやめようと試みた。が、起きたらホームポジションになっていてどうしようもない。一人で寝て起きた時も必ず左手が伸びている。
悩んだ末、気功師に次のメールを打った。
「腕枕が悪いと知って愕然と山を眺めてます、僕の16年は何だったんだろうという虚無感です、どうしたらよいでしょう?」
メールが直ぐに返ってきた。
「新たな愛の表現創造に向かってのステップアップだと受け止めて下さいね、もっと大きな愛となって嫁さんを感動させますよ」
さっぱり意味が分からなかった。
兎にも角にも「分からぬ凄味」で腰が治った。
世の中まだまだ分からない。分からないから人生は楽しい。
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