第121話 雨のくにがみ放浪記3(2016年9月)

沖縄本島は今も三つに分かれている。放浪中の「くにがみ」はその一つで国頭と書く。他に中頭(なかがみ)島尻(しまじり)とあって、鎌倉時代から室町時代、沖縄でいう三山時代の国割が凡そ踏襲されている。古琉球の国割である。
「沖縄はね、観光客にはいいけれど旅人には見るとこないよ、リゾートそしてアメリ化です、でもね、琉球はいい、琉球と沖縄は全く別もんで墓と城(ぐすく)御嶽(うたき)に民謡、みんな琉球の産物です、ウチナンチューは琉球の事、沖縄は仮の姿、戦後に作ったニセモノです、ホンモノは琉球を見なきゃ分かりません」
旅の話、酒の肴を思い出しつつ今帰仁(なきじん)に入った。
今帰仁といえば世界遺産の今帰仁城(なきじんぐすく)がある。観光認定された所は極力外すのが旅人のポリシーだけど、ここだけは等高線付きの地図を見ながら絶対行きたいと思った。中世山城が欲する条件を見事に満たしていて、楠正成、上杉謙信、浅井長政、織田信長、彼らも「ここがいい」と言うに違いなく、ここに城を構えたろう。
歴史も良かった。グスクとしての防衛機能を放棄した後、祈りの場所になった。城内に幾つも祠があって今もユタと呼ばれるシャーマンが祈りを捧げているらしい。
とにかく行った。行けば分かるに違いない。
駐車場に着いた。世界遺産なのに人っ子一人いなかった。それもそのはず豪雨だった。
雨の対策は万全。名護の街で折り畳み傘を買っていた。足元も島ぞうり。豪雨など恐れるなかれ。チケットを買ってグスクへ向かった。が、すぐに戻った。傘が小さ過ぎて一瞬で濡れ鼠になってしまった。本気の雨はいけない。ここは南国。スコールだった。横から大粒の雨が飛んできた。
チケット売り場で「カッパはないか?」と聞いた。「ないけどコレはある」と、大き目の傘を貸してくれた。折り畳み傘の倍は広くて強かった。が、やっぱり濡れた。
濡れ始めのパンツが気持ち悪くてモジモジした。が、すぐに吹っ切れた。横雨のせいで腰から下がビショビショになった。濡れきってしまえば雨のグスクは実に気持ちがよかった。観光客皆無。誰にも遠慮する事なく鼻歌が歌えた。かたちばかりに傘差して、水の流れる岩道を滝登りのかっこうで登った。鼻歌は天城越え。
「わさび沢、隠れ径、小夜時雨、寒天橋、ここは天城じゃないけれど何だかいいっ!岩のゴロゴロ加減が最高だ!」



今帰仁グスクには祈りの祠が点在していた。



濡れた瓦の重い赤茶がうずくまり、素通りできぬ凄味を帯びてそこにあった。これが白黒なら黒澤映画の舞台と言ってもおかしくない。



何だか泣けた。泣いても泣かなくてもビショビショだから、そこも雨に救われた。
白く煙った城壁も良かった。湿った岩の積み上げがウロコのよう。崖っぷちを蛇がうねっているように見えた。



グスクの頂で地元の人に会った。その方曰く世界遺産登録以降、平日も観光客でごった返しているらしい。この雨なら観光客はおらんだろう、そう思って来たそうな。残念、旅人の私がいた。
沖縄の人が「ユタ」と呼ぶ地元のシャーマンも来た。合羽を着て現れた。意味不明な文言を唱えながら祠に入って行った。私は隠れた。観光客不在のタイミングを見計らったに違いない。邪魔しちゃいけない。城壁に隠れ、ユタの祈りを見守った。ユタは太い線香(?)に火を点けた。それから地面に頭を擦り、不思議な文言を唱え続けた。



ユタは民衆向けのシャーマンで、東北でいうイタコみたいなものらしい。これに対し公金で雇われ中枢に属す世襲のシャーマンもいるらしく、それはノロと呼んで区別してるそう。
「あそこで祈っておられるのはユタですか?ノロですか?」
地元の人に聞いたら「ユタだろう」と言われた。「ノロは見た事ない、首里城(那覇)もしくは斎場御嶽(せーふぁうたき:南城市)のそばにしかいないでしょ」との事だった。
ところで沖縄の葬式はどんな感じなのだろう。ユタというシャーマンはどういう風に活躍するのだろう。気になったので旅の途中、地元の人に聞きまくった。
「葬式?本土とあんまり変わらんよ、普通に坊さんが来るよ」
「ユタはどの場面で活躍するんですか?」
「知り合いにユタがいたらお墓に呼ぶ事はあるけど普通の葬式でユタを見る事はないね」
「ユタはどうやって飯を食ってるんですか?」
「使った事ないからハッキリ分からんけど、判断で迷った時とか、人生相談とか、そういう時に使う人が多いと思う」
「まっぽしさん、占い師、陰陽師って感じですね」
ちなみに男のシャーマンはトキって呼ぶらしい。
「トキとかユタとかテビチとか、沖縄の言葉って何だか北斗の拳っぽいっすね」
「それは知らん」
とにかく色んな人に話を聞いて「ユタは土着の占い師」という地元の認識を理解した。祠で祈りを捧げるのは山伏と同じく霊力維持の修行だそう。当たると評判のユタは方々から引く手あまたで政界財界人も足繁く通っているらしい。
むろん、そういう世界には反感もある。反感ばかりよく聞いた。全員発したウチナンチューの言葉があった。
「いんちきユタにだまされた人を知っている」
古今東西、占いというものはそういうもので、それは言っちゃおしまいだと思った。

先に進む。
島ぞうりはなかなか履き心地がよかった。



「ビーチサンダルと何が違うのだろう?」
ふとそう思い、後日、夜の宴会で皆に問うた。問うた事で宴会は大混乱に陥った。喧々囂々皆で違いを出し合うも腑に落ちず、結果、沖縄で買うビーチサンダルが島ぞうりという事になった。
何でもいいけど安っぽい見た目に反し履き心地最高。気に入って熊本でもずっと履いていたのに旅館で便所サンダルと履き違え、そのまま紛失してしまった。

話が脱線した。
この放浪記第三話は三ヵ月後に書いている。写真を並べ、それに沿って思い出とメモを引っ張り出して書いている。よって、しばしば話が飛ぶ。ごめんくさい。

グスクを下りて駐車場に戻った。
車から着替えを取り出し、駐車場横の博物館に向かった。そこのトイレで素っ裸になって全着衣を替えた。乾いた服は何と温かいのだろう。幼少時におけるプールサイドのバスタオルを思い出した。
乾いた服で博物館を見学した。
私は箱物嫌いだが、入ってしまえばたっぷり時間をかける。嫁と喧嘩になるのはまさにその事で、嫁は走り抜けて通過する。私は歴史に敬意を表し、いちおう説明書きを全部読もうとする。
「ねぇまだー」
イオンではさんざん夫を待たせるくせに博物館では立場逆転。
「ねぇまだー」
聞けば聞くほど日頃の鬱憤を晴らすべく努めて時間をかける。で、その後どうなるのか。嫁は気ままだから、どこか適当な場所へ移動して勝手に楽しんでる。
「ねぇどこー?」
今度は私が追わねばならず、イオンでジッと動かず苦しみ続けた自分を想い、とても悲しくなる。誰が何と言おうと気ままな奴には勝てない。
今回は旅先だから嫁がいなかった。気負いなく説明書きを読み、近くに王族の墓がある事を知った。
百按司(むむじゃな)の墓と呼ぶらしい。按司とは王族の意味で、百按司はたくさんの王族という意味だそう。横穴(ガマ)を活用した昔ながらの墓と書いてあったので歴史と戯れたく現地へ急行した。が、迷った。ナビが全く機能せず、道なきところを指し示した。
近くに港があった。運天港といって薩摩の琉球侵略はこの港から入ったそう。港の人が言うに今も昔の沖縄の重要港湾らしい。
「重要港湾」
メモに書いたこの言葉は港の人の造語かと思ったら国が定めた港湾のランク付けらしい。沖縄は6港、熊本に至っては3港が重要とされている。
この日は大荒れゆえ重要港湾も人がいなくて寂しかった。が、数人いた。漁師というより漁協っぽい人がいて百按司墓の場所を聞いた。港の背後、崖の中腹にあるらしい。水色の亀甲墓が入口にあるそう。親切に地図まで書いてくれた。
いらん話も聞いた。百按司墓は地元で有名な心霊スポットらしい。洗骨された立派な骨が丸見えで、写真を撮ったら按司の霊にやられるそう。
「やられる?」
「こんな日に行くもんじゃないさぁ」
雨の日は特にやばいらしい。
私は霊感皆無なのでそういうのは全く気にしないタチだが徐々に不安になってきた。書いてもらった地図を見ても迷い、通行人にも道を聞いた。すると、
「そこを登ったとこが入口だよ、でも今日はやめた方がいい、雨だから」
雨の百按司墓に何があるのか。ワクワク半分ドキドキ半分、坂を登って水色の亀甲墓を見付けた。普段なら「シャレてる墓だ」と笑って覗く亀甲墓が何だか恐ろしく思えた。試しに写真を撮った。



普通の写真だった。
「ほら幽霊なんているはずない」
この墓の道向かいに草ぼうぼうの小道があった。小さく百按司墓の看板が出ていた。車を道の入口に停め、濡れた草を掻き分けて百按司墓へ向かった。と、その時、雨が土砂降りになった。景色がズンと暗くなった。ワクワク2割ドキドキ8割に変わった。
蚊が多かった。耳元をブンブン飛んで私の血を吸いまくった。
「これはインディージョーンズ的トラップじゃないか?墓へ着く前に僕の血を吸い取ってしまうつもりじゃあるまいか?」
蚊の次は吸血コウモリが飛んで来るに違いない。墓は目の前、試しに写真を撮った。



「げっ!」
白い点がたくさん写った。
「雨粒に違いない」
同じカメラの同じ状態で墓と逆の方向を撮った。何も写らなかった。
「オーブ?」
オーブとは玉響現象(たまゆらげんしょう)の事でオカルト系が言うに霊魂の証明らしい。
「信じない、僕は絶対信じないぞ」
言いつつ聞かせつつカメラをポッケにしまった。墓を撮ってはいけない。墓を撮らなきゃ大丈夫。その代わり懐中電灯を持った。「ガマの見学には必需品」と事前の勉強で知り、ちゃんと買い求めていた。昔からく余計な事だけちゃんと予習するタチだった。
崖の中腹にガマが続いていた。奥に骨壷が見えた。
「でかい!立派!派手!すごい!」
骨壷を見た瞬間、恐怖が飛んだ。コロッと丸い本土の骨壷とは違い、もはや工芸品だった。懐中電灯をガマの奥に当てつつ草を掻き分け崖に沿って進んだ。ガマの中には入れなかった。幾つか割れた骨壷があって懐中電灯が真っ白い骨を照らした。洗骨による埋葬はこうも立派に残るのか。ギッシリ詰まった立派な埋葬に琉球の風を得た。
結果として来てよかった。写真は撮らなかったけれど、帰ってインターネットで検索したら色んな人が載せていた。
「呪われるがいい、僕は撮ってないから呪われない」
ところで入る時には緊張して気付かなかったけれど入口に源為朝上陸記念碑があった。運天港から上陸したらしい。


源為朝といえば鎮西八郎、保元の乱の後、伊豆に流され琉球に来たかと思いきや創作の臭いが濃い。「初代琉球王舜天は源為朝の子」となっているから薩摩藩がむりやり創作したのだろう。「源平藤橘どれかじゃないと偉くない」という大和の思想は色んなところで面倒なこじつけを生んでいる。たぶんこの碑は「運天港から薩摩藩が上陸し、それから琉球は大和の国になったんだよ」それを言いたいんじゃなかろうか。当たってる気がする。
そうそう、博物館で見た資料に琉球征伐における薩摩の兵三千と書いてあった。なぜ、たった三千の兵に琉球が負けたのだろう。薩摩藩が精鋭揃いとはいえ、その程度なら水際で追い払える気がする。調べて笑った。信仰によるものらしい。
前述の通りノロというシャーマンを琉球王国は世襲で抱えていた。そのシャーマンがある決戦の場で「お粥をぶん投げろ!薩摩軍にはお粥が効く!熱々お粥をみんなでぶん投げろ!そうお告げが出てる!」って言うたそう。琉球の兵は純粋だった。熱々お粥をたくさん投げて槍と鉄砲に抗ったらしい。これじゃ負ける。とんとん拍子で負けて琉球は滅んだ。
笑った。心底笑ったけれど笑えんなぁとも思った。今この国に誰かが攻めてきた時、我々は肩を組んでラブ&ピースを叫ぶだろう。いや、八神純子のMr.ブルーを歌いつつ「我々のふるさとは地球でしょ」って泣くかもしれない。「乱暴な事したらネットで書いて炎上させちゃうぞ」ってプンプンする奴も絶対出る。相手は槍と鉄砲を収めてくれるだろうか。話を聞いてくれるだろうか。まず電話に出てもらう必要がある。相手はそこにいないだろう。原子と水素をロケットに乗せ、遠くから飛ばしてくるに違いない。
「お粥攻撃、笑えんなぁ」
しみじみ思い、ちょっと切なくなった。

終了には早いけれど豪雨衰えず今日の旅はこれにて打ち切った。
今帰仁の街で酒と肴を買い求め、ゆるり宿に向かった。
ゆるりには理由があった。前が見えないほど降りまくった。



後に地元の人に聞いて分かったが、毎年梅雨の最後に凄い雨が降るらしい。コレがソレらしく、ソレは私が沖縄を離れるまで続き、離れた直後、沖縄の梅雨が明けた。
その日の宿は古宇利島という離島のゲストハウスをとっていた。島には古宇利大橋という絶景ブリッジが架かっていて沖縄観光のメッカらしい。が、見えなかった。何も見えずに通過した。



「こうなりゃ呑んでやれ」
素泊まりのゲストハウスは色んな人が集う場所。この雨だから、みんな宿から出れずワイワイ呑んでるに違いない。が、ふたを開ければ客一人、貸切だった。
「こうなりゃオーナーと二人酒」
オーナーは半分漁師、半分ゲストハウスの経営で飯を食っているらしい。シーズンオフの梅雨時は毎日海に出ているらしく、今はモズクの養殖その手伝いが忙しいと言う。
「呑みましょう」
「呑めねーんだよ」
呑みたいけれど漁師仲間の法事に呼ばれているらしく、それまで呑めないそう。
天候不順の影響があって朝から色んな仕事がキャンセル順延になったらしい。イライラの具合を横目で拝見し、元ヤンキーとお見受けしたが澄んだ目をされていて真っ直ぐな人っぽかった。こういう人は呑むと楽しい。
ウチナンチューではないらしい。十年ほど前、本土から古宇利島へ越してきたそう。私もそうだが移住者ゆえに地元の約束だけは神経質にならざるを得ず「連絡まだかよー」って時計ばかり見ておられた。
「呑んでいいよ、先に勝手にやっちゃって」
スマホをいじるオーナーの横で一人オリオンビールを呑んだ。オーナーがビールの缶をチラチラ見た。
「沖縄だからって、みんながみんなオリオンって思っちゃいけないよ、この島は麒麟端麗、それもグリーンラベルが主流だ」
肴にはアンダカシーという豚の脂を油で揚げた脂の塊を食った。「今帰仁の街で最もメジャーな肴は何?」スーパーで聞いたらアンダカシーをすすめられた。
「それ地元じゃアブラカスって言うんだぜ」
脂を油で揚げるからアブラカス、やはり地元の呼び名が最高だと思った。
オーナーはアブラカスについて語り始めた。家によって塩加減が違うらしく、オーナーが作るのは絶品らしい。
「味見して下さい」
「どれ」
「どうです?」
「そうね、いいあんばいじゃない」
アブラカスは確かに美味かった。酒の肴にピッタリだと思った。が、若くなけりゃ量は食えない。四つ五つ食ったら気持ち悪くなってきた。何と言っても脂に油、書いてるだけで胃がもたれてきた。
オーナーは段々気が急ってきた。大のビール好きらしい。知らない中年が隣でビール呑んでる。更に肴といったらコレのアブラカスをちょいとつまんでしまった。
「うー電話まだかー」
申し訳ないがオーナーのイライラが楽しかった。オーナーは料理好きらしい。色々教えてくれた。
「今はこれ、このモズクが美味い、塩漬けにして寝かしてんだけど、これを水で洗って掻っ込むの」
「掻っ込む?何かにつけて食うんですか?」
「この島じゃめんつゆにつけて食べるな」
オーナーが冷蔵庫を開けた。端麗グリーンラベルがギッシリ入っていた。
「モウダメ!ムリー!」
言ってはないけど心の声が聞こえてきた。急いでどこかに電話をかけ、笑顔で戻ってきた。
「よし!今日は出ないぞ!呑もう!」
オーナーはよほどのビール好きらしい。一気に6本呑んだ。それ以上は明日の漁に障るから決して呑まない、誰かにそう誓っているらしい。
オーナーから元ヤンの気配が失せた。真っ直ぐな少年になって沖縄の事を色々を教えてくれた。自慢のモズクもご馳走してくれた。
「あんた量食べる人?」
「はい普通に食べます、並です」
「並は500グラム、500グラムでいいか?」
よく分からんのでうなずいた。するとステンレスのボウルでモズクが出た。モズクそうめんという料理らしい。
「めんつゆにつけてズルズルすすれ」
すすった。すすってすすって腹いっぱいになった。美味かった。初めてモズクで満たされた。モズクといえば沖縄らしい。それもそのはず国産の99%は沖縄産だそう。
「それぐらいで腹いっぱいになっちゃいけない、俺は最高2キロ食う」
オーナーがドヤ顔で自慢した。私にはそれが凄いと分かった。が、本土で自慢しても誰も分かっちゃくれんだろうと思った。
とりあえずオーナーがご機嫌になってよかった。
「明日どこ行く?またグスク?歴史ばかりじゃつまらんでしょ!沖縄に来たらタコライス食わなきゃ!沖縄はタコライスだよタコライス!沖縄って野菜採れずに本土からの輸入だからメチャクチャ高いの!だからタコライスで野菜採んの!店名はキングタコス!絶対行きなキングタコス!金武町ね金武町!」
オーナーは50回ぐらいタコライスの素晴らしさを語った後「寝る」と言って電気を消した。明日は漁に出るから早いらしい。
「あんたが起きた時、たぶん俺はいないよ」
翌朝、確かにオーナーはいなかった。
顔を洗うべく洗面所に行った。「水を大事に使え」という貼り紙が貼ってあった。離島の水は貴重らしい。オーナーが机を叩いて怒った話を思い出した。
「都会の女ってやだ!長々シャワー浴びてやんの!どこ念入りに洗ってんだよ、まったく!沖縄の離島は本島のダムから水引いてんの!真水ってのはホント貴重で水不足になったら離島はすぐ取水制限!そのへん分かって欲しいよ!」
このオーナーのいいところは一本気なところ。そういう込み入った事情を万人が知ってると思い込んでるところにおかしみがあった。
「マタ熱イ話ヲ聞カセテクダサイ」
書置きを残し、古宇利島を去った。
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