第135話 その日〜四十路の嫁が出産した日〜(2018年2月)

その日は突然こなかった。序章があった。

2月2日、予定日十日前。
弟が牛肉を持ってやってきた。高い肉らしい。私も嫁も三姉妹も慌てた。先に食わなきゃ誰かに食われる、家族の掟にならい我先に慌てて食った。
その夜、嫁は激しい腹痛に見舞われた。
「これは陣痛?」
肉を食い過ぎたという伏線が嫁を困惑させた。高齢出産は早まる率が高いらしい。普段なら迷う事なく「きたー!」と叫ぶけれど単なる肉の食い過ぎだったら恥ずかしい。朝まで待った。待った上で「きたかも?」小声で言った。
むろん私は身構えた。陣痛ならばさぁ急げ。前日から泊まっていた長さんという馴染みの友達を送り出し、嫁のGOを待った。が、STOPがかかった。
「ごめん、単なる下痢みたい」
ギャフンてなった。

2月5日、予定日七日前。
夜中に違和感を覚えたそう。
「どうも変だ」
が、前回みたいな空振りがあるとまた笑われるから夫に言わなかった。三人娘を学校へ送り出し、ゴミを捨て、夫の不在を確認し、こっそり病院に電話した。
「茶褐色のおりものが出てます、お腹もちょっと痛いです」
病院は「とりあえず見せろ」と言った。
私は仕事中だった。配線作業の真っ只中。手の放せぬ状況だったけれど、嫁が「きたー!」と叫ぶので、やりかけ全てを放り投げた。
嫁の目を見た。自信にあふれていた。今度は「おしるし」らしきものがあるし、症状を説明したら病院が来いと言った。
「間違いない!」
入院セットを準備して即家を飛び出した。
診察には1時間ぐらいかかるらしい。私は待つという作業が極めて苦手なので友達がやってる定食屋でちゃんぽんを食った。病院から歩いて行ったので途中知り合い数名にあった。状況を説明すると、みんな「おめでとう」と言ってくれた。
1時間後、入院セットを抱え病院へ戻った。嫁が恥ずかしそうに立っていた。
「出る気配なしだから家に帰れって言われちゃった」
ギャフン。
出会った知り合い数名に「ゴメンナサイ、嫁ノ想像陣痛デシタ」とメールした。

さて、臨月を迎えるにあたり、私は嫁と約束していた。
「臨月に入ったら減酒、そして産まれそうになったら禁酒する」
二月に入って「産まれそう」って言い続けるもんだから長い禁酒が続いていた。このまま予定日まで半月も禁酒が続くと思うと気が重くなった。
「本当に産まれそうな時に産まれそうって言ってくれ、そうしないと俺は気が狂ってしまう」
土下座せんばかりにお願いすると嫁と三女がキレまくった。
「そんなの分かるわけないでしょー!」
「我慢しろバカオヤジー!」
辛い日々が続いた。

2月8日、予定日四日前。
その日は定期健診で産婦人科へゆく日だった。高校生の長女も同じ病院の皮膚科へゆく事になっていて二人を車に乗せた。「急に産気付いた時のためにお前が運転せよ」という令により、私は運転手として付いていった。
産婦人科は待ち時間が長いので二人を降ろし、私はホームセンターに行ったり図書館に行ったりして時間を潰していたら長女からの電話が鳴った。
「みっちゃん(生意気に長女だけ母の事をみっちゃんと呼ぶ)入院だって!」
「は?」
嫁の見立ては常に外れた。「きたー」は来ず、「こない」は来た。
二度目となるが入院セットを抱え暗い階段を駆け上がってゆくと白い待合室に嫁と長女だけが座っていた。嫁はヘラヘラ笑い、長女は産婦人科に置いてある冊子を見ながら「赤ちゃんの事しか書いてねーつまんねー」と怒っていた。
嫁と先生が言うに羊水がないらしい。空っぽの中の赤ちゃんは危険なので陣痛誘発剤を使って明日出産させるそう。
「いいですか?」
いいですか?と聞かれても私はよく分からない。
「全てをゆだねます」
テレサテンみたいな日本語を発してしまった。
そういうわけで嫁を病院に置き、長女と二人で家に帰った。

2月9日、予定日三日前、その日。
前々から立ち合い表明していた次女と二人で家を出る予定だった。が、またも長女から電話があり「家に戻るからちょっと待って」と言われた。
長女は立ち合う気がないから学校へ行った。学校へ行き、友達との雑談の中で状況を話したら「えー貴重な経験もったいない」って言われたらしい。が、既に学校へ来てしまった。長女は笑って受け流した。が、友達は納得いかなかった。授業が始まると手を挙げた。
「先生、この人もうすぐ妹が産まれるそうです」
「なにー!」
先生は怒った。
「お前こんなの(自分の授業)受けてる場合じゃないだろー!すぐ行けー!担任の先生には俺が言っとく!」
そういう流れで長女はバスに乗り、バスの中から電話をかけてきた。
長女を待ちながら私は少し焦った。嫁からもメールが来ていた。
「早めに来てね、今回もスピード出産かも?」
嫁の言うスピード出産は並のスピード出産じゃなかった。ややもすればカップラーメンより早かった。音速の道子と呼ばれるゆえんだった。
病室へ飛び込むと嫁がいなかった。ナースセンターで嫁の所在を聞くと既に分娩室に入っていると言われた。
「しまった!もう産まれた?」
過去の事例を三つ引っ張ると嫁は分娩室に入ったら全て十分以内に産んでいた。既に産まれていてもおかしくなかった。
恐る恐る聞いた。よかった。まだ産まれてなかった。今回は薬を打ったり、その他色々処置があるとの事で今まさに始まったばかりと言われた。が、音速の道子を侮っちゃいけない、ほら、言わんこっちゃない、言ってるそばから慌しくなってきた。
「あ!こりゃ産まれそうだぞ!」
いきなりザワつき始めた。助産師が使い捨ての前掛けを持ってきた。
「立ち合う人はどなたですか?」
長女と次女が手を挙げた。私は後ろを向いた。
「旦那さんは?」
「僕は血が苦手です、それに分娩室は女の戦場だし、僕なんて何の役にも立たないし」
色々喋ったけど全部無視された。そんなの聞いてるほど助産師は暇じゃなかった。それが出産の現場であった。
助産師は娘二人に前掛けを着せると分娩室の入口で待つよう指示し、いそいそと分娩室に入っていった。
開いたドアの隙間から先生と助産師の声が聞こえてきた。「見えるよ」「今だ力め」「楽に」「頑張れ」運動部の体育館みたいな声がした。「嫁は文化系なのに」って笑っていたら娘たちが呼ばれた。
長女と次女がいなくなり私は一人になった。分娩室のドアが閉まると声も聞こえなくなった。寂しいので病室に戻りテレビを点けた。オリンピックを観ようと思った。が、点けた瞬間次女が来た。
「おっとー産まれたよ!」
「え?」
何という速さだろう。後に助産師が「電光石火の出産です」(たぶん元ヤンキー)と言ったけれど四人目も見事なスピードだった。
ちなみに次女が撮ったビデオを見てみると録画開始から80秒で産まれていた。何という編集要らずの女だろうってふるえた。
分娩室の隙間から元気のよい泣き声が聞こえた。私は専用前掛けを付けてないから分娩室に入れないと思い入口でウロウロしてたら「入っていいですよ」と言われた。全員医療現場の格好をしてるのに私だけ作業着。恐縮するも娘が背中を押すので忍び足で入った。
「うわー」
まだ血がいっぱいで握力がなくなった。血を見ないように嫁の顔を見たら少し痛そうにしていた。
「お前でも痛いのか?」
「痛いよっ!」
突っ込む嫁が元気そうで安心した。
次いで赤ちゃんを見た。
保育器に入っていた。オムツをしてたので男か女か分からなかった。
「さて、どっちでしょう?」
次女がニヤニヤした。嫁も痛そうにしながらヒクヒク笑った。
「どっちだろう?」
私はこのドキドキのために半年以上性別を聞かなかった。嫁も私にバレぬよう気を使った。
「男だったらいいな、でも元気ならどっちでもいいや」
顔を見てもどっちか分からなかった。
「さて、どっちだろう?」
このドキドキをたっぷり楽しみ、オムツで見えぬなら焦らして焦らして後で聞こうと思った。が、先生が私の独り言を聞いていた。聞いていてボソリもらした。
「女だよ」
先生は嫁の股間を縫合していた。縫合しながら嫁の陰毛越しに私を見た。笑顔だった。私は無言で分娩室を去った。次女が私の肩を叩いた。
「どんまい」
優しい声でそう言った。
助産師さんに話を聞くと羊水はホントに空っぽだったそう。胎盤も普通の人の半分ぐらいしかなかったらしく、ある程度まで育ったら栄養が足りなくなり、最後の一ヶ月はほぼ太らなかったそう。現に、ほぼ満期の十月七日(とつきなのか)入ってたのに低体重児(2170グラム)で産まれてきた。
「ちっちぇなぁ」
「小さ過ぎて触れないよー」
触れないという我々夫婦の意見に助産師が冷静な意見を述べた。
「2000グラムあったら普通に触れますよ」
おたくらプロと我々素人を一緒にしないで欲しいと思ったが真顔で言われるので黙って「はい」とうなずいた。
そうそう、これも大事。立ち合った長女と次女に感想を聞いた。



次女が何かそれっぽい事を言ったけれど長女の一言で全て忘れた。
「産む時は毛を剃らなきゃダメだという事が分かった」
高校生のリアルな感想かもしれぬが「大発見」と連呼しながら陰毛剃らなきゃ宣言をする長女に父と母は教育の失敗を思った。
分娩室から出てきた嫁は未だ辛そうだった。食事が出ても食えず、それを見ていた次女が、
「どうせ食えないでしょ、私が食うね」
ためらいなしに全部食った。



嫁は小一時間苦しみ続け、点滴を外したら元気になった。子宮を柔らかくする点滴らしく、それが痛みの元だったらしい。
昼を過ぎて実母が来た。開口一番「道子さん頑張って」と叫んだがもう作業は終わっていた。既に産まれた事を伝えると「うそーん」と叫んで新生児室へ走り、パンダを見る上野の人みたいにギャーギャー暴れてガラス越しに対面した。



「小さく産んで大きく育てる、さすが道子さん」
狙ったわけじゃないけれど、小さく産んだ嫁を褒めまくると、立ち合った二人の孫を連れ、嵐のように去っていった。
私は日が暮れるまで嫁の隣にいた。赤ちゃんは保育器に入ったまま新生児室から出なかった。病室と新生児室を行ったり来たりして午後を過ごした。
「・・・」
案の定、暇だった。
病院の隣が図書館で、暇を見越し本を借りていた。この冬は大雪の日が多かったから川端康成の雪国を読んだ。
暖房が効いた部屋で嫁は疲れ果てグッスリ。窓の外には雪が舞い、時折どこかの部屋で新生児の泣き声が聞こえた。
私はページをめくった。
「長いトンネル抜けると雪国であった、夜の底が白くなった」
さぞや絵になるだろうと思って読み始めた。が、またギャフンてなった。冷めたプレイボーイがいろいろ屁理屈言いながら芸者や素人を振り回す話だった。
日が落ちた。
一眠りした嫁は食欲も復活し、モリモリ病院食を食べ始めた。
「病院食は病人仕様だから味が薄い、米がすすまん」
嫁は文句を言う事がライフワークだった。文句が出れば日常の復活で、それを以て母体の健康を確信した。

家に帰ると実母が親族に電話しまくっていた。四姉妹確定を親族皆が笑うだろうと思っていたら、案の定みんな笑ったらしい。御歳94の祖母まで笑ってくれたらしく、その点、親族の期待に応えてしまった。
実は祖母も四姉妹、義母も四姉妹、実母も四姉妹、四姉妹の系譜というのがあって、途切れるかと思いきや意図せず逆転パンチで継いでしまった。
「縁だ縁!これは縁!」
喜ぶ親族の陰で私一人が「えーん」と泣いた。
尚、友達やお客さんにはSNSで報告した。



報告後、電話やメールでたくさんメッセージを頂いた。その内容は嫁の労をねぎらうものと男子を期待した私を小馬鹿にするもの、その2点に限られた。私は全てに目を通した。そして一番カチンときた秀作を以下と定め、そ奴に手作りゴミ(巨大なオブジェ)を贈呈する事に決めた。

「四女おめでとうございます、ヨンジョ、確かにカタカナで書くと韓国人みたいですね、ハスキーボイスで泣かせてね、キムヨンジョ(ヨンジャ)、ぷっ!」

その日、何だか興奮して眠れなかった。羊が一匹じゃないけれど、頭の中で何度もすごろくをやった。何度振ってもゴール直前で振り出しへ戻った。
長女は高卒で家を出て働くと言う。赤ちゃんはその頃2歳。一緒に暮らした記憶は残らず姪とおばみたいな関係になるだろう。
「あーヘンな感じ」
全て他人事絵空事。まだ全然実感湧かず、何だかふわふわした気分が続いた。
いずれ分かる。すぐに分かる。そして今日その日、一つだけ分かった。
「子育てすごろく、振り出しに戻った」
否応なしにそれだけ分かった。
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