第十八話 鉄道ファンと私(1月14日)

数日前、飲み会のお誘いを受けた。
夢挑戦プラザという熊本県が支援している歳若い企業連の新年会で、熊本市でやるという。
むろん承諾した。
飲む事に対する欲は減少の一途を辿っているが、飲み会へ欲は愛へと昇華し、その程度は増加の一途を辿っている。何か障害があろうとも、まずは「行く」と言うのが私の行動指針であり、約束であった。
二つ返事の後、最大の障害である「足」についてあれやこれやと考えた。
我家の自慢は交通の便がいいという事である。最寄の駅まで徒歩4分、阿蘇という広大なスケールで考えれば奇跡的環境といえるかもしれない。ただ、その電車の終電が早い。参考までに熊本市からの最終電車を調べてみた。
「20時31分」
飲み会は19時開始。これでは全く使えない。
熊本で飲む時の常として弟の家に泊まるという手もあるが、弟の出勤は早い。昨年も三度ほど世話になったが、どれもこれも深酒で転がり込み早朝出ていく格好なので酒の残りが気になる。
これだけ飲酒運転に対する圧力が強くなってしまっては翌日の事を気にするのもドライバーのマナーであろうと思うし、福岡で例の飲酒事故があった時、
「今後、二度と飲酒運転はしません」
強く反省したところであった。(死んだ子供三人とウチの子供の年齢が一緒)
そういうわけで飲み会承諾後に弟へ「泊まる」という決定事項を伝え、その上で電車にて飲み会へ出かけた。
アクの強い経営者だらけの飲み会は意外に体力がいる。皆が皆イソイソと挨拶回りに励むため、中腰の運動会みたいな格好になってしまい疲れるのだ。
挨拶をしたいターゲットが絶えず移動するため追わねばならない。追ってると別の人に捕まりターゲットを見失う。これを繰り返すうちに酒が回ってターゲットが誰だったのかよく分からなくなるのである。
とりあえず飲み会が終わり、いつものように弟の家に泊まった。そして翌早朝には戻りの電車に乗ったわけだが、その中に今回の主役である「鉄道ファン」がいた。
鉄道ファンは二人組の男であった。熊本駅から私と一緒にJR九州に乗り込み、私と一緒に阿蘇の入口・立野駅で降りた。立野駅から先はJR線を離れ、超ローカル線・南阿蘇鉄道になる。
鉄道ファンはJRの改札をくぐると駆け足で南阿蘇鉄道のホームへ行き、
「ああ、これだよ、これ! ☆*#&%!」
よく分からぬ車両の型式を叫び、デジカメで列車を撮りまくった。列車だけかと思ったら、入口にある整理券ボックスを撮り、両替機を撮り、車内風景を撮った。
「列車なのに整理券だよー! これで両替するんだよー!」
「ああ、たまらないねー!」
「レトロだよー!」
「本当にたまらないよー!」
関東弁で感動に震える二人組を私はポカーンと眺めている。他にも地元の爺様が隅っこの方にちょこなんと座っていたが、その爺様もポカーン鉄道ファンを眺めている。
御歳八十は超えておられるであろう、その爺様が隣に座った私に問うてきた。
「ありゃ、なんじゃい?」
「鉄道ファンです」
歳をとるという事は驚きにくくなるという事らしいが、爺様は鉄道ファンという初めての生き物にそれはそれは驚いておられた。爺様は私と同じ駅で降りたが、最初から最後まで鉄道ファンに釘付けで、ポカーン開いた口は最後まで閉じる事がなかった。
「そうだっ!」
やっと席に座った鉄道ファンは忙しげにブ厚い時刻表を取り出すと荒い息遣いでページをめくり、
「後2分で出るよっ!」
これまた厚そうなメガネをクイッと持ち上げた。
「もうすぐ出る」と車内放送が流れているので時刻表を出す必要はなかろうにと思うが、それを出さずにはいられないのが鉄道ファンなのであろう。
片方の鉄道ファンに至っても落ちつきがない。
「凄い景色だね! 早く出ないかな! あー、もー、待ち遠しいっ!」
大興奮である。
むろん、私と爺様はこれをポカーン眺めている。
電車は定刻に出た。出た瞬間、彼らは最前列に飛び出した。
「ビデオ大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫! あー、これ、これ! この加速だよっ!」
「ガタン、ガタタンだねっ!」
列車はワンマン運転である。
運転手は肩越しに鉄道ファンをチラリ見たが、その後は気にする素振りを全く見せない。たぶん鉄道ファンに慣れているのだろう。
列車はゆっくりと進む。そして、ビューポイントである鉄橋に差し掛かると更に減速し、鉄橋や景色に関する車内放送が流れた。
「むはっ! たまらないよー!」
「あはっ、はっ、ははっ、ふぃー!」
一人は時刻表を手に死んでしまうのではないかと思えるほどの大興奮。もう一人はビデオ片手に肩を震わせている。
正面から二人の様子を見たいが、車両の隅っこから最前列まで行き、
「泣いてますか、どうですか?」
そう聞くのも不自然な話で、引き続き後方より観察を続けた。
列車は二つの鉄橋を超え、最初の駅「長陽」に着いた。
着いた瞬間、
「駅っ!」
ビデオを持った方が叫んだ。すると時刻表を持った方が列車を飛び降り、デジカメで駅のホームとそこから見える風景などを撮り始めた。
何度も言うが、私と爺さんはポカーンである。
時刻表は理解不能な写真を撮りまくった挙句、「列車出ますよー」の声で列車に舞い戻ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ、ふぅー!」
彼の息は大きく乱れている。そして、ビデオを持っている方と目が合うやハツラツと親指を立てた。
列車が出た。
相変わらず乗客は四人である。一般客が一人になっては心細いので爺様にどこで降りるのか聞いてみた。
「加勢ですたい」
つまり次の駅で降りるらしい。その事で私も次の駅で降りる事を決意した。最寄の駅は「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」という次の次の駅であるが、一人で彼らの観察を続ける勇気が湧かなかった。
確かに「更に見たい」という好奇心はある。時刻表を持った男が終点の高森駅まで七駅のホームを撮り続ける体力があるのか、ビデオのバッテリーが切れた時、彼らはどういう反応をするのか、それら非常に気になるが、この雰囲気は何となくやばい。宗教活動の集会みたいな「世の常識を覆そうとする力」に満ち満ちている。たぶん、高森まで同席すれば私も明日から時刻表が手放せない男になってしまうであろう。
しばらくすると車窓から三脚を構えている写真家らしき男が見えた。
不意にビデオを持っている男が、
「同志っ!」
そう叫んだ。そして時刻表は写真家に向かって親指を立てた。写真家は敬礼らしき動作を返した。
「ど…、同志だそうですよ…」
爺様にそう呟くと、爺様は魂が抜けたように鉄道ファンを見つめ続けていた。
鉄道というものが「志」になっている事に驚きと奥深さを感じ、そしてコレを書き残そうと心に決めた。
私と爺様は加勢駅で降りた。同時に時刻表も降り、「はぁはぁ」言いながら写真を撮った。何を撮っているのかと見ていたら、駅舎の傷まで撮っていた。
「いいなぁ…」
ファンにあっては傷もご馳走らしい。
時刻表は前駅の時と同じように運転手に促されて列車に飛び乗った。
列車が出る時、私は時刻表とビデオに向かって敬礼をした。
彼らは私と目が合ったにも関わらず無反応であった。やはり同志でないと見抜かれたらしい。
爺様は弱っている足をかばいながら駅の先にある坂道を登っている。既に鉄道ファンへの興味を失っているのかどうなのか、よく分からぬが苦しそうであった。
私は走って老人の手助けをした。老人は「すまん、すまん」と頭を下げながら、
「今日はぬっかねぇ、よか日和ばい」
目を細め、そう呟いた。
ちなみに鉄道ファンの話の中で一つだけ間違いを発見した。
「南阿蘇鉄道は長い駅名が多いんだよ。阿蘇下田城ふれあい温泉駅だろぉ、それに南阿蘇水の生まれる白水高原駅、楽しみだねぇ」
「うんうん、日本一長い駅名だね」
私は鉄道ファンではないが、それでも新米の地元民であるため気付いてしまった。
彼らは「南阿蘇水の生まれる白水高原駅」と言ったが二文字抜けている。途中に「里」(さと)という字が入るのだ。しかし、これを指摘したらどうなるだろうか、たぶん猛烈な反論を受けるか彼らの旅行を台無しにしてしまうに違いない。
運休している南阿蘇鉄道のトロッコ列車は春に復活する。
電車好きな方は南阿蘇村へ是非…。


第十七話 独立の醍醐味(12月15日)

独立して二ヶ月が過ぎた。
おかげ様で想定よりも順調な滑り出しを見せてはいるが、それは売上のみの話である。入金される金額がサラリーマンより多いため、
(うむうむ…、俺もなかなかやるではないか)
何も考えずニヤリ笑っていたものだが、指定の日に「支払い」というものがある。
私の場合、本当に本当に運転資金が少ないため、入金を受けてからの支払いという事で各方面にご理解を頂いている。そのため通帳に記載される額としてはドンと増えた後にシュンとなる格好で、それが毎月末繰り広げられる。
事業を始めてみると想像以上に工具などを揃えねばならず、机や棚などもいる。電気代もドーンと跳ね上がってしまうし、ガソリン代も痛い。ネジ等、小物部品もちょろちょろ買い揃えねばならないし、それらを合算すると支払いは結構な額になってしまう。
「サラリーマン時代の半分ぐらい稼げりゃいい」
そう言って独立したものだが、それすら厳しいのがここ数ヶ月の現実であった。
業務にしても、
「分業は飽きる。仕事は自己完結せにゃつまらん」
サラリーマン時代そう言っていたものだが、実際、営業から設計、経理、購買まで全てをやり、それなりの利益を出そうと思うと、
「こりゃ大変だ」
一人作業の限界を感じざる得ず、利益の割に働き詰めというカタチになってしまう。
更に、これが最も痛手となっているが、猛烈に平日が寂しい。
出張や来客があれば別だが、たいていは一人で仕事をし、一人で仕事を終わり、それから家族のもとへ真っ直ぐ戻る。そういう明け暮れがひたすら続く。「五時から男」を自称していた私としては、それがどうも寂しく、心にポッカリ開いた穴を埋められないでいる。
仕事中も辛い。
工場と関わる仕事が長かっただけに、日中ふと寂しさを覚えれば体は自然と現場へ向かい、パートさんとくっちゃべるのが常だっただけに、今はふとした寂しさの解消法にも苦しんでいる。
そういうわけで…。
「独立して良かった」と思える事が今のところあんまりないのであるが、数日前、
(これはいい…)
プラスドライバー片手にニヤリ独立の醍醐味を味わった事があった。
その日の天気は雨であった。
しとしと雨が降り続く中、私は古巣より発注を受けた設備の組立を行っていたのだが、ふと例の寂しさを覚え、試しに坂本冬美と石川さゆりのベストアルバムを大音量でかけてみた。
窓から見える小高い山々は白く煙っている。降り続く雨は鋼板の屋根に当たり、バチバチと乾いた音を振り撒いている。設備の隣にはストーブがあって、その上の薬缶からはもうもうと湯気が噴出し、窓を白く曇らせている。
私は聴こえてくる音に合わせて鼻歌を歌い、延々と組立作業を行う。
坂本冬美のコブシが私の寂しさを慰め、石川さゆりの卓越した歌唱力が仕事にリズムを与えてくれる。雨と鋼板のハーモニーは絶え間ないやる気を与えてくれ、窓に映る白い山々は溢れ出た余熱を吸い込んでくれる。
ノリノリで作業を続けながら、ふと、そこに徹底的に自由な環境がある事に気付いた。どんなに歌おうとも、どんなに踊ろうとも、お尻を出そうとも誰も叱らない。
「俺は自由だ!」
こんなにも良いリズムで組立作業を終えたのは初めてだった。約半日その作業に没頭したが、まさに踊るような感じで仕事を終え、自画自賛なかなか良いカタチに短時間で仕上がった。
味をしめた私は次に設計作業でも演歌を用いてみたが、これは集中力を欠くようで、どうも合わないようである。
居酒屋、焼酎、冬、日本海、これらに演歌が合うように、歌にも適材適所がある。環境に合う良い組み合わせを探しながら「最高の職場」を模索できるのも独立の醍醐味なのだろう。
そう…。
一長一短は万物の宿命である。宿命ではあるが、悪い事は笑い飛ばし、良い事は過剰に喜ぶ。そうせねば十人に一人が鬱病になる時代、良い時間というものはなかなか過ごせないのかもしれない。
そういえば…。
最近、新聞の政治欄をすっ飛ばすようになってきた。むろんストレスがたまるからであって、他意はない。
「いかん、いかん」
小さい子供が三人もいるのに虚無僧みたいな世捨て思想になりつつある自分を恥じ、今日も慌てて図面を書いたり、ネジを締めたりしている。仕事をしている瞬間だけは阿蘇にいようが一人でいようが現実社会の一員で、それから離れた私はどうも危ない。頭の中が詩人や音楽家みたいに非生産的な方向に傾いてゆく。今は傾いた後に元に戻す作業をしているからモノが作れるが、その戻し作業が長期になかった場合、きっと当たり前のモノは作れなくなってしまうのだろう。
「お…」
今、これを書きながら一人孤独な職場で爆音の放屁に至った。
「誰かに聞いて欲しかった」
そう呟いた私は現実を見ていない。
「誰もいなくて良かった」
そう呟くべきが現実であろう。
さ…、仕事にかかろう…。


第十六話 日常温泉(12月2日)

温泉が近い。
自宅から徒歩四分弱のところに掛け流しの温泉があり、車を使えば五分圏内に十以上の温泉があるため、もう長いこと自宅の風呂に入っていない。
お値段もリーズナブルで村民であれば二百円、子供は小学校まで無料なため、こうも燃料代が上がった今、温泉へ行った方がお得でもある。
そもそも私は温泉街・山鹿の生まれであるため温泉が嫌いでない。
小一時間、ぬるい露天などにダラダラ浸かり、上がる間際、熱い湯へ飛び込む。ぶっ倒れる寸前まで熱いところで我慢し、湯気をもうもうと噴出しながら脱衣所へ駆け込む。汗を拭いているのか湯を拭いているのか、そのよく分からない状態で一気に拭き上げ、湯気を閉じ込めるべく服を着る。すると真冬の寒空、その下にあったとしても長い時間火照りが続き、実に心地よい。
そういう温泉が好きである。(秋冬限定)
が…、子連れだとそうはいかない。たいていの流れとして、私が長女と次女を入れ、嫁が三女を入れるのであるが、ゆるり露天に浸かっていると、
「プリキュア、メタモルフォーゼ! でやっ!」
「やられたー! でも、負けんよー!」
露天を囲む立派な石を舞台に長女と次女の寸劇が始まる。他に客がいなければ勝手にやらせているのだが、やはり誰かいれば親として止めねばならない。
「おい、暴れんなよー!」
一時は止まるがすぐ再開は子供の常で、落ち着く事はない。
壁一枚隔てた女風呂では、
「あー、何してんのよー、あー、もー!」
自由気ままな三女に向けた嫁の叫び声が響いている。
頭と体を洗ってやって、「さぁ、次こそはゆっくり入ろう」と湯船へ向かうが、
「暑いー、上がるー」
「おっとー、飽きたー、上がりたいー」
スタコラサッサ、娘二人は勝手に脱衣所へ向かう始末でぜんぜんゆっくり出来ない。
本来なら湯の質や雰囲気などを入念に考察し、常連の湯となるに相応しいところを模索するのが常であるが、こういう感じゆえ、湯の質や雰囲気は二の次にならざるを得ない。広々している事や人口密度が低い事、洗い場が広い事がポイントの対象となってしまい、今現在、村営の大型温泉施設を行き付けとしている。
長女は保育園から帰ってくると、その足で仕事場へ駆け込み、
「おっとー、今日もおっきい温泉行こー」
叫びたてる始末で、自宅浴場へ続く道は開かずの扉となっている。
温泉というものは非日常の代物であって、だからこそ広々とした湯船に喜んだり、露天の冷たい風に心癒されたりするものであろうが、足繁く通うようになり、それが子供という生活の代名詞と一緒に入るようになったりすると、日用品にならざるを得ない。
「毎日使うものだから、より良いものを」
そうも思うが、子供の声、そして慌しさを受けながら好きだった温泉が置き去りにされつつある。
贅沢な話だが、ある程度の距離を置かねば見えるものも見えないようで、そういうものは世の中にごまんとある。
「嫁よ、ちょいと遠目に俺を見てくれ。日用品にもきっと良さがあるはず」
襖一枚隔てたところから、嫁のイビキが聞こえる。
「日用品」とはなくなる事が想像できない「尊いもの」の呼称であると信じたい。


第十五話 田舎暮らしの一ヶ月(11月13日更新)

南阿蘇村へ越してき、早一ヶ月が経とうとしている。
家は中古住宅を買った。前の持ち主は広島の方である。
裏山の斜面に皮膚病に効く事で有名な秘湯があり、そこへ通うための別荘として買われていたらしい。近所の人の証言によると実に素晴らしいご夫婦だったようで、家の隣に畑を設け、土と共にひっそり暮らしておられたそうな。
そこへ私ども慌しい五人組がやってきた。
やってくるや近所でも評判だった良い畑をぶっ潰し、そこへプレハブ事務所をほんの二週間でおっ建てた。
180坪もある広い庭には一年を通して花が枯れないようにと様々な木が植わっていたが、
「真ん中に立っとる木は邪魔だけん抜いて下さい」
ユンボで根っこから抜き、人に譲ってしまった。
工事現場には次から次に近所の老人が現れた。ある人は杖をついて現れ、ある人は旗付きの電動カーに乗って現れ、皆が皆、変わりゆく庭を嘆き悲しんだ。
「あれは立派な椿じゃった。今から紅い花が所狭しと咲くとこれ。雪の中に紅が映えるのを知らんとか」
「ここの土は評判で、去年はこの辺で一番立派な大根が取れた。ああ、それなのに、それなのに…」
気が付けば老人たちは断りもなく敷地内へ入っており、色々なところを物色しては重い溜息を吐いている。ある老人に至っては、
「記念に土ば頂戴」
と、バケツ持参で土を持ち帰る次第で、よほど良い土だったのだろう。
柿の木の評判もいい。
敷地内に柿の木が三本立っているが、それらは近所の人に言わせると全て種類が違うらしく、実る時期も違うため、かなり長い間いろいろな味が楽しめるらしい。とりわけ今は葉隠(はがくれ)という種類の柿がたわわに実っており、家族や通行人に言わせると実に良い味らしい。
ある通行人に至っては、菓子折を持ってこられ、
「前に頂いたのが本当に美味くて、嫁にたっぷりちぎってこいと言われました」
そう言ってバケツ二杯持って行かれたほどである。
私は柿とスイカとアンコが何よりも嫌いなため、その木を完璧に観賞用としているが、人によっては味覚からも楽しめる本当に良い庭のようだ。
ちなみに近所の老人率は極めて高い。
地方の高齢化が叫ばれて久しいが、この辺りはその代表格ではあるまいか。
幸運な事に気さくな方ばかりで良かったが、一つ難点を言えば目が合えば会話が始まるため、忙しい時は本当に困る。出勤しようと体半分を車に入れているのに、息子の自慢話が永延終わらなかった時は、このまま出勤を断念しようかと思ったほどである。
ただ、色々と面倒を見てくれるのはありがたい。
「家の隅っこ小さい畑を持ちたいと思っています」
嫁がそう宣言するや、全面的な農業指導を約束してくれたり、高菜の種をくれたりと、
「田舎に住んでるなぁ」
干渉の具合によって、その事を実感するに至るのである。
チビ三人と嫁が発する騒音に関しても(柳川では西の横綱と呼ばれていたので)心配していたのだが、
「聞こえるばい。ギャーギャー聞こえるばい。ばってん子供の声はよか。地域に元気の出る」
実に温かく受け入れてくれた。
生活のリズムも合う。
私、そして嫁も含めた家族のリズムが早寝早起き田舎型のため、今現在、何の違和感もなく六時半にはテレビ体操を行い、七時には朝食を食い終わっているのであるが、田舎の朝は更に早い。
裏は酪農家であるが、仕事をしようと四時半に起きた時、既に何かゴソゴソされており、コンスタントに四時起きの気配がある。その代わり夜十時くらいに外へ出ると辺りは真っ暗で、寝静まっておられる感じがある。
ちょっと一杯呑み屋へ行こうにも村内の飲食店は八時で閉まるし、それ以降に呑もうと思えば家から10キロ以上離れねばならない。更に熊本市で呑んだとしても終電は八時半で公共交通機関も全く使えない。
隣人が他人、夜型人間、父親が家に帰らないなどなど…、文明化・都市化の影響がマスコミを賑わしているが、そんなものどこ吹く風、文明に縁遠い、ちょっとズレた環境が南阿蘇にはあった。
「うーん、これだからいい!」
求めていた方向性が得られた事に興奮気味の私ではあるが、その中で文明によるところが大きい「ものづくり」で生活できるのか、正直さっぱり分からない。分からないが、
「できるだけ挑戦したい!」
愛すべき環境にしがみついていたいというのが一ヶ月目の所感である。
もう一点、近隣の子供たちにも惚れ込んだ。
この辺の子供は実に礼儀が良く、凄まじい挨拶をする。
自転車立ちこぎの中学生が急にドリフト気味で私の横で止まった。何かと思ったら、
「ざいあーす!」(おはようございますの体育会系挨拶)
深々と頭を下げて挨拶すると、また立ちこぎで去って行った。小学生にもその風向きがある。
更に長女が地元の保育園に通い始めたが、妻曰く、皆が皆、山猿の集団のようで落ち着きがなく、運動神経が並じゃないそうで、カリキュラムも授業らしい授業が全くないらしく、教育方針は「挨拶のできる子供を目指す」らしい。
「今までの感じとぜんぜん違うよー! 野放しだよー!」
うろたえているが、私はそれで良いと思っている。
小学校にも行かぬうちから英語を教える必要があるだろうか、習字をやる必要があるだろうか、広い庭で集団で遊ばせるだけで学べる事はたくさんあろう。
足し算、引き算、作文ができる人間よりも止まって挨拶のできる元気な人間の方が、今の、このご時世にあっては貴重で有益な人材ではなかろうかと、近辺の子供を眺めながらそう思うのである。
ちなみに長女は来年から小学校。つい先日、小学校の説明会があり、教育の重点方針は「挨拶」であると又も力強い説明を受けたそうな。嫁は不安げな表情を見せているが、私は村ぐるみの挨拶重点方針に村の人間造りへの関心が見て取れ、良い方向に受け取った。
さて…。
建ったばかりの事務所の前で、阿蘇五岳の外れに位置する夜峰山を眺めていると、
「ざいあーす!」
いつもの丸刈り中学生が元気な挨拶を投げてくれた。
夜峰山は事務所から見ると真ん丸な山で、根子岳みたいなインパクトはないが、この丸刈り少年みたいな爽やかさ、人懐っこさがある。挨拶を徹底的に教え込まれた子供たちが、この山を背に元気な挨拶をする様は実に絵になるが、一つだけ危惧される事がある。
この山は横から見ると薄っぺらい尖がり山で、何となく十円玉みたいな感じがする。
挨拶に集中するがあまり、薄っぺらな脳味噌になってもらっては困ると変な空想をしてしまったが、それは嫁の愚痴を受けた要らぬ空想であろう。
ああ…。
夜峰山から転げ落ちる風が冷たい。
そろそろ、この山も白い帽子をかぶるはずである。