第38話 恋慕の人と芸術(9月9日)

阿蘇の音楽家といえばビエントである。西原村に住んでいる二人組で美女と野獣の組み合わせがビジュアル的に何ともいえない。音もいい。情熱家の私にとって意味不明に鬼気迫るサビの部分は何かをやろうとしている時に具合が良く、仕事のBGMとしては打ってつけである。ただし、私は音楽に関し無知の極みにある。従って、ろくな感想が言えない。素人の発する好きか嫌いか、そのレベルであるため実際は己が耳で聴いてもらうのが一番よく、薦める事はできない。私は「断崖の翼」「戦人」という曲をその盛り上がりっぷりにおいて好んでおり、嫁子供は「名もなき草花たちの行進」「ありが10ぴき」、それらが軽妙で心地いいらしい。芸術というものは家族でも意見が分かれる。
ビエントとの出会いは四年ほど前である。当時、阿蘇市の会社へ山鹿から通っていて通勤に片道1時間半を要した。それが辛かったため、内牧のライダーハウスへ泊り込む生活を続けた。その時、管理人から薦められたのがビエントで、半ば強引にコンサートへ連れて行かれた。それ以来、近場でコンサートがあれば必ず見に行っている。が、ファンというには遠いような気がする。好きではあるが何が何でも見なきゃいけないという熱意はないし、真似しようとも思わない。ビエントがなくとも生きていける。
(そもそもファンとは何なのか?)
考えた事もなかったが、先日ある音楽家を見て、
(ああ、そういう事か)
漠然とではあるが、何となくファンというものを理解する事ができた。
今、長女が「孝女白菊の会」という舞踊の会に入っている。孝女白菊というのは明治に書かれた大衆文学で、西南戦争時代の阿蘇を舞台にしている。ストーリーに無理があり、登場人物は高飛車で、ハッキリ言って面白くないが、過去に教育文学として全国的認知を得た実績があり、今更ではあるが阿蘇観光の呼び水として期待されつつある。
長女はその一端を担うかたちで様々なイベントに呼ばれ、ステージに立ち、小さな体を揺すっている。踊りが好きな長女にとって村の思惑はどうでもいい事で、無邪気に和装と化粧を楽しみ、親も子の舞台を楽しんでいる。で、この日も村内でボランティア祭りというイベントがあり、長女はモジモジしながらステージに立ったわけだが、そこにビエント好きのバンドが出ていた。パンフレットによると「風夢」というバンドで、本来は三人組だが今日は一人が欠席し、二人でやるという。最初、中央に立っているおじ様が馴染みの赤帽さんにソックリで、
(あの人は酒以外にこういう趣味を持ってたのか!)
ビックリしたものだが、話を聞くと菊池の人らしく、瓜二つではあるが別人であった。もう一人の女性は光の森という県下最強の新興地から来たらしく、育ちの良い音楽家、そのゆとりある雰囲気を漂わせる正統派美人であった。
この二人、登場の段階から何となくビエント的芳香を放っており、美女と野獣の組み合わせ、取り出したオカリナ、そしてハーブに向かう女性の笑顔、全てがビエントを真似ているように思われ、
「このバンドはコピーバンドじゃなかろうか?」
「私もそう思う」
客席で嫁と話していたら、冒頭で「ビエントファンです」と告白された。というよりも、風夢というバンドの自己紹介より熱く、「ビエントに感動した」「ビエントになりたい」「ビエントの曲をお届けします」みたいな事を語られ、演奏が始まるとそれはビエントそのものであった。
ビエントそのものをアマチュアがやれば、ビエントを際立たせて終わってしまう。赤帽に似たおじ様もそれは分かっているようで、音が出なかったり間違えたりしながらも一生懸命にやってるそれは演奏をやっているというより「ビエントが好きだ」という心の開示であり、それは傍目に見て、熱意が真っ直ぐ伝わる心地よい演劇であった。
風夢の二人は冒頭からの数曲と終わりの数曲にビエントを入れ、半ばの数曲に本来のスタイルを挿入したと思われる。美人の女性がピアノを弾きながら奄美大島の歌を歌い、続いて赤帽に似たおじ様が「千の風になって」を素晴らしい声で歌い上げた。二人とも芯から上手い。それで飯が食えるような上手さであり、それこそが本来のスタイルなのだろう。が、ビエントの楽曲をやる事に風夢というバンドの主眼があったと思われる。
これは私の想像であるが、風夢は別の名を持っていたのではなかろうか。別の名を持っていたがビエントと出会った事で風夢と名乗ったのではなかろうか。
ビエントはスペイン語で風という意味らしい。風夢の数人はビエントと出会った瞬間、それになりたいという強い夢を持った。風夢は風を追いかけ、その片鱗を食す事でこの上ない満足感を得た。これは想像であるが確信に近い想像であり、その根拠として、ステージ上の風夢に隠しようのない笑みがこぼれていた。
私は今、ファンの真髄、そこに触れている。風夢は与えられた時間の大半をビエントに捧げた。風夢は客を喜ばせる力量を十二分に備えている。それを中盤に放出し、手応えを感じながらもあえてビエントにこだわった。それは心底惚れた者の弱みであり強みであり、風夢というバンドの存在意義であって、これぞまさしくファン、混じりっ気のない恋慕の情ではないか。
私は道具屋である。赤帽に似たおじ様が最後に取り出した笛は見るからに素人作りであった。が、そこに風を追う愛情が滲み出ていた。おじ様は膨大な時間を費やし、その笛を無我夢中で作ったに違いない。世界で一つだけの笛を握り締め、ビエントが愛して止まない阿蘇、そのステージに立っている。音が出ないところもある。はずれるところもある。が、おじ様は誇るべき時間をその笛と共有しただろう。
道具屋として、これ以上、幸せな笛はない。
そして生きる醍醐味を模索する身として、無我夢中に追われるビエントの幸せと苦悩がうらやましく思われた。芸術は人間の営み、その象徴であり、それぞれの喜びと苦しみが交錯せねば前に進めず、ぼんやりしてるといずれ他に飲み込まれてしまう。進み続けるしかないビエントの時間は他に替え難い人生の宝物であろう。
(近所にそういう人たちがいる…)
それが嬉しくて、恋慕の音は胸に沁みた。
一昔前、南外輪山寄りの山西村と長陽村は同じ手永・布田手永であった。手永とは江戸時代の肥後藩行政区であるが、私の住む長陽下田から南外輪山を越え、ビエントの住む山西村小森を通って大八車が行き来していた。行政区は変わり、道は変わり、流れる車も変わってしまったけれど、人の心はそう大して変わっていない。芸術の骨頂は変わっているようにも変わってないようにも見える「心」という厄介な抽象体をどう表現するかにある。
風夢が手作りの笛で吹く「ふるさと」に涙する婆様がいた。婆様は耳も遠く、目も霞んでいるらしい。白い割烹着を濡らす婆様に何が見えていたのか。
「一生懸命ちゅうもんは、見えんちゃ聞こえんちゃ伝わっとですたい」
婆様の言は恋慕の人を震わせ、芸術を震わせ、また新しい芸術を生むだろう。
生きる醍醐味もまた、その心の捉え方にある。


第37話 出動(9月5日更新)


8月25日午前8時半、村内放送にて消防団の出動要請があった。
南阿蘇村へ住んで初めての出動要請であったが、私はフライス盤を前に黙々と金属加工をしており、放送があっているのは分かったが、それが出動要請とは全く気付かなかった。
私に告げるべき嫁は家にいない。次女を保育園のバスに乗せるため集合場所に出ている。夏休み中の長女もそれに付き添っており、家にいるのは私だけ、完全に出遅れてしまった。
気付いたのは走る団員を発見してからである。血相を変えて走っておられたため、何かがある事に気付いた。事務所を出た。サイレンの音が木霊していた。空を見た。熊本市の方向に高々と黒煙が上がっていた。
「火事だっ!」
私は六角レンチを放り投げると隣にある自宅へ駆け上がった。嫁子供がいないので自分で団服などを探さねばならないが、衣食を嫁に任せっきりなので何がどこにあるかサッパリ分からない。手当たり次第に引き出しを開けまくった。が、さっぱり分からない。
「どこやっ! 分からん!」
混乱していると嫁が帰ってきた。
「前から言ってんじゃん、ここだよぉー!」
実に手際よく色々なモノを出してくれたが、いかんせん全て未開封の新品であり、我が身に貼り付くまで多くの時間を要してしまった。極めつけは長靴で、箱に入っている上、靴の中には形を崩さぬための詰物が入っている。焦っている時、こういうものを取り除く作業は実にイライラする。
「ああっもうっ! なんじゃこりゃっ! もぉよかっ!」
中途半端な格好で家を飛び出したが詰所に団員はいなかった。その代わり野次馬のおじさんとおばさんが数人いて、
「もう車は出たばい! あたは遅か! 急がにゃん!」
キツイ言葉を頂いた。
仕方がないので急ぎ足で家へ戻り、バイクで現地へ向かった。
幸い風はなかった。墨汁をこぼしたような黒煙は真っ直ぐ上に上がっており、その位置も分かるが燃えっぷりも分かる。ボヤではない。これはまさしく火事であった。
現地へ着くと黒煙の下は紅蓮の炎、それが縦横無尽に暴れ狂っていた。知ってる人に合流しようと野次馬を掻き分け前に進み、火事場へ寄ったが知り合いに全く会わなかった。火事場へ続く道はお祭騒ぎで、足元には消火用ホースが何本も走っている。それを跨ぎながら白水、長陽、久木野の消防団員が走り回っている。
「水、取れるかー?」
「角のところー、ホースが曲がっとるぞー!」
「放水よかかー?」
「放水はじめー!」
「まだですー! 筒先が付いとらんですー!」
「え! 聞こえーん!」
「うわっ、水が来たー!」
「あー! ○○君が吹っ飛んだー!」
「圧が強えー! 圧ば落とせー! 振り回されよるぞー!」
「ぎゃー!」
現場は混乱の極みにあった。どこの分団か分からぬがホースに筒先を付けている最中に水が来て、一人の青年が後ろに吹っ飛んだ。吹っ飛んだ先は水田で見るも無残な姿になってしまったが、それどころではない。制御する人がいないホースは暴れ狂い、周囲の野次馬や団員に凄まじい量の水をぶっ掛けながらのたうち回っている。泥だらけの団員は暴れるホースと格闘しながら「とめてくれー」と叫んでいる。
遅れた分際で申し訳ないが本気で笑ってしまった。が、笑う場面ではない。目の前では真っ黒になった木造二階建てが大量の水を欲しがっている。
(何か手伝わねば!)
と、仕事を欲したが、知る人はおらず、ポンプは使った事がなく、人は足りているように思える。変に手伝おうとしても邪魔になるだけだろう。野次馬の隅で静かにしとこうと道の端で佇んでいたところ、重要な任務が与えられた。
「そこの君!」
知らない人に声を掛けられ、
「はいっ!」
返事をすると、「ホースの穴を押さえて欲しい」と指示を受けた。確かにホースから水が漏れ、小さな噴水となっている。
「お任せ下さい!」
私は仕事が与えられた事を喜び、溌剌とした動作で穴に指を宛がった。が、予想以上に水圧が強く、指では押さえきれない。足で押さえた。長靴のゴムが直径3ミリほどの穴にジャストフィットし、完全に水漏れを防いだ。そしてホースの先を見ると、筒先から出る水の飛びが明らかに変わった。
「よぅし!」
私はこの変化を見た事により、初めて自分が消化活動に加わった実感を持った。ただ傍目には暇そうな団員と映ったろう。事実、これが延々続くと暇であった。ホースを足で踏み、ただひたすら立ち続ける作業は予想以上に退屈で、飽きっぽい男の典型としては別の仕事を求めざる得なかった。が、持ち場を離れると小噴水が野次馬を濡らし、周囲から睨まれてしまう。もちろん火事場へゆく水量も減る。
私は人間である事を捨て、ホースの絆創膏に徹した。10分や20分ではない。1時間も絆創膏になった。そして記念すべき初出動、その全てを絆創膏に捧げてしまった。
下火になり、野次馬が離れた段階で私は逃げるように場を去り、知り合いのところへ走った。仕事を欲した。そして露骨に求めた。が、片付け以外の仕事がなかった。
「福山君どこにおったと?」
団員に問われ、「火事場のそばに」と返したが、その内容「ホースの穴を押さえ続けた」とはとても言えなかった。草深い道をポンプ運んで沢へ下り、水を確保した団員の服は汗と汚れにまみれていた。筒先持って火事場へ乗り込んだ団員の服も煤で真っ黒になっていた。私の小奇麗な団服はただでさえ浮いているのに、それが全く汚れていない。何となく恥ずかしかった。
家に戻ると嫁や長女が問うてきた。
「どうだった?」
「穴ば押さえ続けた」
「は?」
「だけん、穴ば押さえ続けて終わった」
「は?」
詳しく説明する気が全く起こらなかった。
消防と飲み会はセットである。この週末、「出動の慰労会」という名目で小さな宴が開かれた。「詰所でこじんまり飲みます」という事だったので、恥ずかしながら参加した。私は隅っこで小さくなって飲むべきであった。が、なぜかそこにコンパニオンがいた。三人もいた。若かった。ノリが良かった。
(静かに呑め! お前は騒げる身分ではない!)
心の声はそう言うが、徐々に徐々に、そう10分に1センチずつ体はコンパニオンへ寄ってゆく。
「いぇーい!」
それから先は何も知らない。
翌朝…。
ホースの絆創膏は完全に二日酔いであった。動けなかった。が、脳味噌は健全で、猛烈な後悔は波の如く止む事を知らない。
(駄目だ…、心に貼る絆創膏が欲しい…)
今年31になったが成長の跡が全く見えなかった。
遠くでは布団から出れない大きな子供を嫁と娘が冷ややかに眺めていた。
「またか」
女四人の冷たい目線、そして溜息、今週も胸に痛いがたぶん来週も繰り返すのであった。


第36話 夢のつづき(8月25日更新)

田舎の要諦は保守的思想にある。
万物は諸行無常であるから理屈としては変化に順応していかねばならないが、こと田舎にあって、変化は大いなる事件でしかない。それは田舎の営みが自然に拠っていて、自然は同じ循環を繰り返しながら時として大いに暴れる。人間はそれを如何ともし難く、結果としてなるようにしかならない。人間も動物も変わらない。結局は自然に生かされている存在であって、明治までの谷人、その美徳は自然に拠った静かな循環にあった。
自然は神様・仏様というかたちで祀られる。なるようにしかならない世界でそれは絶対的存在であり、成功も失敗もそれは神のみぞ知るところで、人々は熱心に祈った。しかし技術の発達は水害を押さえ込み、農作業に余裕を与え、トンネルをも通した。谷人たちは保守的な思想を抱えつつも文明の力を認めざるを得ず、ついには現代文明を受け入れた。この点、アフリカや中国の少数民族が消滅しつつあるのと何ら変わりはない。文明の拡大は、いとも簡単に文化を飲み込む。
私は地元の消防団に入っている。引っ越した直後、団長自らが軽トラで現れ、有無を言わさぬ勧誘の嵐に飲み込まれた。谷にあって、どの集落も若者が少なく定員の確保に四苦八苦している状況らしく、そのスピードは電光石火であった。私としても田舎に住む者の義務として、いずれ入団するつもりであったがあまりに早い。創業して一ヶ月足らずという事もあって、
「せめて半年待って下さい!」
嘆願したが無視された。そういう事で引越し直後すぐに消防団員となってしまったが、入ってしまえばなかなか居心地がよく、地元へ溶け込むには、これ以上の方法が見当たらない。
消防団に入るのはこれが二度目である。前回、私の年齢は低く、それに対し団の平均年齢は高かった。人の内訳も農業関係と役所関係ばかりで、結局は馴染めないまま引っ越してしまったが、今度の消防団は何と言っても若い。そして雑種である。同年代・年下がたくさんいるし、職業も農業関係を筆頭にサラリーマン、自営業、建設業、お寺さんと幅が広い。
消防の活動は火を消すのは当然だが、その他もろもろ多岐に渡る。まず野焼きがある。各集落に広大な担当が割り振られるのだが、消防は延焼を防ぐため森林と草原の間に立ち、消火活動に励まねばならない。他にも神輿を担いだり、地域のイベントに出たりするが、まぁ、それは余興であって、本番は夜半繰り広げられる親睦会にある。必ず飲む。そして長い。私も好きな方であるが、この消防団の好きっぷりは私を遥かに凌駕しており、手製のピリ辛ホルモンをツマミにとことん飲む。そして詰所で寝る。起きたらスナックへ出動する。
団員はとにかく仲がいい。皆が皆、青年までの過程を共有しており、興に乗ると小中学校の校歌が飛び出し、思い出話に花が咲く。当然、私は付いていけない。また集落には同姓が多いため下の名を愛称で呼ぶ。下の名を知らぬ私は誰の事を言ってるのかサッパリ分からず、その点も苦労している。私だけが「ふくやまさん」「ふくやまくん」と呼ばれていて、私や嫁は死ぬまでヨソモノであろう。集落に地元の者として認知されるためには幼少期の共有が不可欠なように思え、その点、娘たちは地元の者として認知されるに違いない。
で…。
この輪に入って飲んでる時、ふと飛び出した話が「市をやろう」という事であった。市とは辞書で調べるに「物品の交換や売買を行なう所」となっているが、つまりは出店の連なりである。
下田という集落は一昔前までは村の中心だったらしく、古くは阿蘇家の支城・下田城の城下町として栄え、新しくは南郷谷のメインルート、その宿場として栄えたようだ。明治の大水害、その後には人夫を慰めるための遊郭まで出来たらしく、その名残からか昭和四十年くらいまで立派な市が立っていたらしい。老人の証言によると、夏のある数日、詰所から駅くらい(約一キロ)まで出店が立ち並んでいて、南郷谷全体から人が集まっていたらしい。
団員で下田の市を経験したのは僅かである。僅かであるが、四十年しか経っていないので話として生々しく、それを蘇らせようとする動きがあったとしても不思議ではない。
「市ばすっばい!」
「よかねぇ、すっばい、すっばい!」
誰が言いだしっぺか知らぬがすぐに決まり、「打ち合わせ」という名の飲み会が何度か開かれた。
私は間違いなく出遅れている。団員は私以外、全員地元で育っている。皆の頭には鮮やかな市の姿が浮かんでいるに違いない。
「子供が喜ぶ賑やかな市にすっばい!」
「金は一切取らん! 団費と志で何とかしよう!」
「生ビールはいらん、ばってん金魚すくいは要るばい、綿菓子もいるばい、あっ、そうそう、クジ引きもすっばい、意味はなくともクジ引きすっだけで子供は燃えるけん、少なくとも俺は燃えよった」
「うっひょー! 楽しそー!」
「あいつら、喜ぶばぁーい!」
消防団の集まりとして月一回の設備点検日がある。それとは別に祭の打ち合わせで何度も集まり、何をするか考えたり、テントのレイアウトを考えたり、昔の事を語り合ったり、小さな集落の青年たちがキラキラした目で子供の事、集落の事を語り合う姿は何となく美しかった。私は唯一のヨソモノであるが、客観的に感動した。が、帰宅時間は誰よりも早かった。飲み会は永延と続き、昔話は止む事がなかった。申し訳ないが少々退屈であった。
市の決行日は八月二十三日と決まった。この日を決めるため、ビールが何本消費されたか分からないが、間違いなく地域の結束は高まっている。
「晴れてくれ!」
団員総出で願ったが、その前日は凄まじい雷雨、そして当日朝も豪雨であった。モノは全て揃っているので、とりあえず準備をしようと昼から集まり、テントなどを張りながら天気の回復を待った。
消防団幹部衆のヤル気は並々ならぬものがあった。酒を愛して止まない数人が一滴も飲まず準備に走り、あれやこれや私たちに指示を出し、脇目も振らず働いた。そこには邪念というものが全く見当たらなかった。
夕方、小雨になってきたので「決行」という事に決まり、消防車で夜市決行のアナウンスを行い、ぼちぼち人が集まり出すと豪雨が舞い戻ってきた。全くもってタイミングが悪いが、団員のハートは消防車の如く真っ赤に燃えている。
私は金魚すくいの担当になった。申し訳ないが一滴も飲まず夜市の成功を祈る気分ではなかったため、飲みながら食いながら適当に子供の相手をした。隣では何も食わず鬼の形相で氷を削るSさんがいる。クジ引き会場では飲まず食わずでハイテンション、全身全霊を夜市に捧げているHさんがいる。この二人と幹部衆数人が夜市を支えた枢軸であって、ロマン溢れる熱量を会場全体に振り撒いていた。
その効果あってか人は予想以上に集まった。年配衆(消防OBらしい)は詰所の一階、焼肉場を陣取って気炎を揚げ、口々に昔の下田を語り合った。奥様衆は子連れで寄り添い、他愛ない茶話で盛り上がり、よい歳の子供は狭い会場を縦横無尽に走り回った。
一人の老人が目を細め、隣の甚平を着た中年に何かを語っているのが遠目に見えた。老人は泣いていた。中年は老人に頭を下げた。なぜか分からぬが、この光景に不思議な感動を覚えた。
客が帰った後、消防OBと現役消防による長い長い打ち上げが始まった。先ほど見た甚平の中年は団員の父親で私の隣に座っていた。この人が隣の人と雑談をしていて、私はその内容に寒イボが立つほどの感動を覚えた。
泣いていた老人は夜市の賑わいに昔の下田を思い出し、甚平を着た中年に頭を下げたのだと言う。甚平を着た中年は本来なら途切れさせるべきでなかった市を途切れさせたのは世代の大罪であり、芯から詫びたと言う。が、老人は市が途切れたのは時代の力、時代の要請であったと言い切ったそうな。目まぐるしい変化に誰も付いていけず、混乱の中、集落というものが何かに飲み込まれ、そして気が付けば心身共に寂れていた。
「それは誰の責任でもない。世代の責任でもない。あの時代、何が何だか分からなかった。この集落に一人でも何か分かっていた人間がいたろうか?」
そういった事を告白し、老人は静かに落涙したそうな。
「が…、嬉しい」
老人は涙を拭いて続ける。こうして孫の世代になって市が蘇ったのは、心が繋がれていた結果であり、世代の懺悔が次世代へ響いていた結果であり、集落がまだまだ続いていく事を意味していて、久しぶりに胸を張りたくなったと言う。
「わしゃ下田の人間じゃ!」
老人の叫びは文化の叫びであろう。
「孫たちがどこに飛び出して行ったっちゃよかったい。ばってん、あの爺さんのごつ大きくなった時に下田に生まれて良かったてだけは思わせてやらにゃいかん。俺は息子から夜市の話ば聞いた時、何があったっちゃ協力するって思った。あやつらは俺らがやらにゃいかんかった事ば俺らに代わってしよるとだけん」
甚平の中年が放つ熱い語りを聞きながら、私は不覚にも涙ぐんでしまった。
文明は全てをごちゃ混ぜにしてしまう。文明の中にあって、この感動は生まれようがない。三世代が芯から地元を愛し、大いなる変化の中、必死になって昔というものにしがみ付き、何かに抗っている。このように熟された感動は使い捨ての文明からは生まれようがない。
「おっとー、たのしいねぇ、おいしいねぇ」
カキ氷を持った子供の声がよく沁みる。
もうすぐ夏も終わる。


第35話 田園の営み(8月5日更新)

標高400メートルの南阿蘇といえども夏は暑い。理論値で3度ちょいしか変わらず、平地が35度の猛暑日であれば谷の温度は32度。やはり暑い。
仕事をやっててヤル気がなくなる瞬間といえば、やはり昼飯の後である。雇われの身であれば「ヤル気がなくなりました」は禁句だが、私は全て自己責任ゆえ、それが言える。
昼飯を食い、事務所へ戻る一歩を踏み出した瞬間、強い日差しと熱風を受け、
「今日はやめ!」
愛車のカブ50に跨り、古道へ出る日が数日あった。
愛車は南郷谷の中央、白川沿いの田園をマックス30キロでゆっくり走る。
つい最近、私の住む下田から白川の集落(白川水源で有名)まで、田園を割るかたちで走っている見事な一本道を見付けた。定規で引いたような直線で、周囲は田んぼと川しかないため、恐ろしいほど眺めがいい。
この道と併走するかたちで南阿蘇鉄道が走っており、ちょうど昼飯後にはトロッコ列車が走る。そやつと並びながら一本道をのんびり走ると、丸い夜峰が左に見え、それが三角になり、続いて阿蘇五岳が見えてくる。夜峰しか見えない下田にいると視界全てが夜峰だが、ちょいと前へ進むだけで夜峰は五岳のオマケになる。その具合が何とも滑稽で、世の仕組を教え諭してくれているようにも思える。
右手には外輪山と白川が見える。一本道に寄り添うかたちで付いてきて、離れようとしない。
道幅は狭い。狭いが、軽トラ用にアスファルト化されていて、その脇を水路が走っている。水路を流れる水は谷の至るところに湧く清らかな湧水であるから、透明この上なく、そして冷たい。
涼しげな風が外輪山から流れ、青田を優しく揺らし、阿蘇五岳に吸い取られてゆく。
何ら遮るもののない広い空には赤とんぼが舞っている。
なかなかどうして、良い道であった。
この道は唯一の古資料である明治35年の広域図には載っていない。載ってないが、その原型は農道として古くからあったと思われる。その理由として甲斐有雄の道標があった。この人は十九世紀に生きた人だが、南郷谷に生まれ石工として育ち、晩年は村会議員などをやりながら二千弱の道標を古道の辻に落とした。いずれも私財を投げ打って作ったものらしく、昔の篤志家はやる事に味と徹底性がある。
この道、真っ直ぐ整備されたのは農地整理の後だろうが、昔は田んぼの隙間を縫うグニャグニャ道だったと思われ、路面は赤土を踏み固めたものだったろう。
川沿いの低地ゆえ、公道には成り辛かったと思われる。というのも一昔前、海沿いにおいては防波堤、川沿いにおいては堤防の技術が今より格段に遅れていた。水は近い将来必ず溢れるものであり、溢れた後の修復を想えば、少々起伏があって遠回りしようとも高台を通した方が無難であった。で、海と暮らす天草において、道は山の上を走り、川と暮らす南郷谷においては谷から数十メートル上ったところを南郷往還が走っていた。
田園の風景といえば田んぼである。
八月頭の田園は青田に覆われていて、谷の底は青と緑を混ぜたような若い色で塗られている。
南郷谷というキャンバスは狭い。ちょいと上へ登れば全てを見渡す事が出来てしまうが、その絵自体も深みというより、若いエネルギーに覆われている感がある。若い色の中央を青線一本の白川が走り、道も小川も集落も、全て若い命に隠されていて発見が危うい。
上から見下ろす生命の南郷谷もいいが、下から見上げる田園の営みもいい。
青田の隅に小さな墓地がある。畦道の交差する場所に一本だけ大きな木が聳え、それを巻くように二つ三つの小さな墓石が立っている。その脇を綺麗な水がのんびり流れている。
ちょっと前まで人は土葬であった。火葬といえば疫病で死んだ人や普通じゃない死に方をした人に限定されていたようで、普通は土に還された。土の恵みを受けて生き、最後は土に還る。残された人々は先人が眠る田んぼを守り、その恵みを受けて暮らし、いずれ土になった。
青田と墓地の寄り添った絵は何となく感動的で、昨今の直線的で立派な墓が林立する街中の墓地群とは良いコントラストを成すように思われた。
墓の脇を流れる湧水は私を水源地へ誘った。
水源地は南郷谷に数え切れぬほどある。最近では水汲み場として整備されており、ポリタンクを持った村外の人で溢れかえっている。
水源の水は青田を潤し、村民の口へ入り、その残りは川へ流れてゆく。一昔前、憩いの場であった水源は上水道の整備により憩いの場としての役割を終えた。その代わり村外の客が賑わいを与えてくれている。これらの人は客であるから駐車場もいるし、それなりの整備もしなければならない。アスファルトで固められた。
人が寄れば店も出る。金も落ちる。自治体も宣伝する。
ほんの一握りだろうが、この顛末の末に大金を得た人もいただろう。
青田に寄り添う循環は大してカネを必要としない。カネを得た田園の人はどうしたか。愛車カブ50から眺めるに、とりあえず豪邸を建てたと思われる。
先人から伝わる田畑はどうなかったか。荒れ果てた末、人の手に渡ったと思われる。
地元の民俗学者が言うに、ムラというものはポッと出の富豪を生まない仕組になっていたらしい。その代わり突出した貧乏人も生まないようになっていたらしく、それを調整したのが祭であり、氏神様、そして長者どんらしい。
農業というのは実入りが見て取れる。儲かったところは祭において大きな出費を伴わねばならず、結局は例年とそう変わらぬ実入りに落ちついたらしい。これに対し、自然災害などにより大きな損害を受けたところには氏神の名において救済が行われたそうな。生かさず殺さず、集落みんなで仲良くやろうじゃないかというのがムラの仕組で、長者どんはいつまでも長者どん、農民はいつまでも農民、変わらないのがムラの美徳であった。
冒頭に書いた甲斐有雄という人がいる。この人は石工で成功し村議会議員になったが、併せて根っからのムラ人だったと思われる。得たカネを道標に変え、カネが懐に残る事を嫌った。ムラの目を意識したのだろう。ムラというものは文明の産物であるカネが一箇所に留まる事を嫌い、水の流るる如く循環する事を善しとした。その点、甲斐有雄は自らの首を絞めない良いカネの使い方をし、後世に名を残す英雄となった。
田園の中を走っていると、愛車カブ50が前に進めない光景に出くわす。例えば近代的豪邸が見てくれは綺麗だが、どこか荒れすさんで見えた時、一等地のお屋敷が廃墟と化している時、有刺鉄線を張ったり看板を立ててまで自分の財産を守ろうとされている時…。
ムラの仕組を壊すのは簡単である。変わらない営みに多量のカネを与えてしまえばいいのだ。微妙なバランスで成り立っている世の中の仕組というものは、それだけでいとも簡単に崩れる。現に南郷谷を鉄道が走ってからムラというものは凄まじい勢いで変わりつつある。
田園の一本道から、こんもりとした森が見えた。八坂神社の森であり、久木野神社の森であり、西野宮の森であった。
青田に寄り添った先人の循環は美しい。美しいが、それは既に風景であって、森を中心に繰り広げられた田園の営みはカネの中に消えつつあるのかもしれない。
行動範囲が広がり過ぎた。情報が増え過ぎた。人間の視野が狭過ぎた。詰めてゆけば、それは私自身が繰り返している何気ない営みの中にある。
一本道は家路へ続く。行きはよいよい帰りは怖い。景色はいいが、どうも心が晴れない。
(大きくなった子供たち…、俺に何て言うだろか…?)
田園は美し過ぎて心に痛い。山際に落ちる夕日も痛い。満天の星空も痛い。靄に射す明けの光もまた痛い。蛍の乱舞、これまた痛い。
目を閉じよう。それが田園においては賢明かもしれない。
田園は美しい。憎らしいほどに美しい。ああ美しい。
目と心は開くためにある。痛いが閉じてられない。