西巌殿寺の阿蘇山観音祭りを見た
西巌殿寺という寺が阿蘇駅近くにある。この辺りじゃ最も有名な寺で、御本尊は重要文化財のナントカという像、古くは阿蘇神社と双璧、色んな説明を受けたけれど、つまりは阿蘇山の寺。阿蘇山と二人三脚ゆえ栄華を誇った寺である。
ニッポンのありがたい山には古くから修験道が寄り添う。寄り添うゆえに一大勢力を成し、それっぽくなるのだけれど、阿蘇山も例外ではなく坊中(西巌殿寺の場所)を拠点に修験の民が歩き回っていたらしい。
「ふーん」
その日は誰だったか忘れたが、偉い人に連れられて西巌殿寺に来た。偉い人はやたら詳細に、やたら突っ込んで昔の色々を説明してくれたけれど、たぶんそれは歴史の勝者による「整理」という手番を経た文献の話で、どうにも話が固かった。
現地へ行く楽しみの一つは今をつぶさに見、勝手に想像する事にある。隣でワーワー勝者の記録を語られると、その方向に寄せられてるようで具合が悪い。
私は偉い人から離れた。この寺には見所が多かった。
漱石の小説・二百十日に出てくる石段があった。兎跳びをした。多種多様な地蔵がいた。変顔の地蔵を探した。不審火で燃えた本堂跡地が礎石丸出しで横たわっていた。寝転がって空を見た。
勝手気ままに一人歩きをしていると地元の人に声を掛けられた。
「住職さん」
「は?」
むろん私は住職ではない。向こうもそれに気付いたらしく、
「よく見たら違う」
そう言ってどこかへ行った。
一度の間違いなら気に留める事もなかったろう。が、その後も親戚と間違われた。
「住職の弟さん?」
「は?」
二度で済めばいい。今度は近所のスーパーで老人に声を掛けられた。
「ちょいと住職さん」
呼び止められ、延々お寺の話をされた。老人は私を住職だと信じ、疑わなかった。何度も違うと言ったけれど笑って聞き流された。
「おもしろかこつば言いなさる」
「だけん違うって言いよるでしょうが!」
ああっもうっ面倒臭い。この寺の住職はどれほど私に似てるのか。気になっていたところに当の住職からメールが届いた。住職も誰か分からぬカラクリ屋と間違われ戸惑っていたらしい。ホームセンターを歩いていたら「よっカラクリさん」そう言われ、自分自身が何者か宗教家として考え込んでしまったそう。
とにかく会った。会って笑った。私を二割増しすればこういう感じになるだろうと思われた。年齢も意外と近かった。
私の家族も噂の住職を見、全力で笑った。嫁に至っては笑いを我慢し過ぎ、シャックリが止まらなくなった。三女に至っては目の前で笑っちゃいかんと思ったのだろう。全力で遠方へ走り「ハゲのおっとーが来たー!」七転八倒笑い倒した。三女の気遣いは残念ながら距離が足りずにモロ聞こえであった。
住職には仕事も頂いた。こんな奴が仏の色々を作っちゃいけないと思うけれど、ノリノリで護摩木スタンプマシーンを作った。
宗教家の知り合いができた。
基本、私の知り合いは酒呑みしかいなかった。住職は極めて稀な呑まない知り合いであった。葬式に備える身ゆえ呑めるけど呑まないらしい。が、呑む席が好きで何度も一緒になった。住職は変わっていた。酒を呑まない代わり、人の倍は飯を食い、必ず茶を四リットル飲んだ。
「宗教家は何かが違うね」
嫁の感想が面白かった。
ある日、住職から観音祭りの話を聞いた。毎年4月13日、西巌殿寺の境内でやるらしい。西南戦争の際、薩軍から拷問を受けて憤死した住職がいて、その人の命日が4月13日。最初は招魂祭と題し、檀家でやってた地域の行事だったけれど、昭和の後半から修験者を入れ、火渡り、湯立てと荒行をやるイベントになったらしい。
「見たい!」
私はすぐに食い付いた。真言も分からんし、宗教にも寄らないけれど、やたら自分を追い詰める修験道というものに興味があり、吉野の山から那智勝浦に抜ける修験の道を歩いたりした。マゾ、もしくはストイック、その先に何があるのだろう。永遠の不思議であった。
平成27年4月13日。
その日は雨であった。
子供らを学校へ出し、嫁と二人、のんきに出かけた。
「雨なのに火渡りできるの?」
嫁の素朴な質問に、
「雨だからって荒行をやめちゃ荒行にならんでしょう」
返しつつ、本当にやっているのか分からなかった。とりあえず現地へ向かった。現地に着いて驚いた。凄い人出であった。知り合いもたくさんいて、
「よっカラクリ!夫婦で修験っちゃ粋だねぇ!」
たびたび声を掛けられた。修験のパフォーマンスにこれほどの需要があるとは思わなかった。
早速火渡りが始まった。
火渡りの段取りはプロの仕事であった。この日に合わせ本物の行者が応援に駆け付けるらしい。プロっぽい動きで火の具合を確かめ、実際に歩いて青竹で火を均し、ヤケドしないけどチョット熱い状態で準備完了のサインが出た。
第一走者は住職であった。御守りか御札か忘れたけれど、民衆の祈りを抱いて颯爽と駆け抜けるらしい。



住職はマジメを装った。大好きなシモネタを封印し、とりあえずマジメを装い、私と似た顔を何度か振って一気に駆けた。



結界を囲む見物客がざわめいた。住職の凛とした姿に感動のざわめきかと思いきや、
「くまモンみたい」
その声が聞こえた。ごめん。知り合いをかばうべきなのに笑ってしまった。
住職は誰よりも速く駆け抜けた。あのスピードは熱かったのかパフォーマンスか、それは誰にも分からぬが、とりあえず歩くというより駆け足であった。
駆け抜けた先に祭壇があって、確か不動明王だったと思うが、それに一礼し、御利益に洗われた御洗米なるありがたい米を頂く、それが火渡りの流れだそう。
住職を含むプロが歩いた後、民間人による見よう見まねの火渡り体験が始まった。ヨボヨボで歩けない高齢の方もいた。そういう人には修験者が寄り添い手を取って歩かせた。ああいう人は観光客でなく信者だろう。信者っぽい人が約二割いた。
私も行こうと思った。が、この場所が捨て難かった。私は湯立てアリーナにいた。湯立てとは熱々の湯を笹に浸し、自分、そしてギャラリーに振り撒くというもので、その熱湯を浴びると無病息災、頭にかけてもらえば回転も良くなるらしい。私は湯立ての湯の字も知らず、たまたま大釜の前にいた。そこで湯立ての詳細を聞いた。離れられなくなった。
湯立て担当の行者は女性が三人。全員白装束。異様であった。三人は真言を唱えつつ湯に清めの塩を入れ、じゃんじゃん薪をくべた。大釜はぶくぶく沸騰した。
行者の一人がニヤリ笑ってこう言った。
「最後に私が入ります」
「えー!このぶくぶくに入る?」
三人の行者は自身を煮詰めるために薪をくべ、ぶくぶくの湯を見、嬉しそうに笑った。何というマゾ、何という修験っぽさ。これぞ非日常。これを見ずして何を見る。ダチョウ倶楽部がいたら泣いて喜ぶだろう。
火渡りは嫁がやった。
「写真撮ってやるけん思う存分御利益頂いて来い!」
「うん!」
嫁は並ぶのが苦にならない。長蛇の列を経て嫁の番になった。
嫁は一歩を踏み出し、ちょっとコッチを見た。私はその職責上、嫁にカメラを向ける必要があった。が、その脇に嫁より気になる人物を発見した。住職であった。結界の中で何かを夢中にいじっていた。スマホであった。



結界、火渡り、住職、スマホ、夢中、この言い知れぬアンマッチに私は心を奪われてしまった。嫁を撮らず、私と似た顔の住職を撮ってしまった。
住職はその後もスマホを放さなかった。隣で行者が法螺貝を吹こうとも、テレビ局がカメラを向けようとも無心でスマホを構え、一心不乱に何かを撮り続けた。



こうなるとスマホが仏具に見えてきた。あの赤く薄っぺらい物から念力が飛び出すのではないか。
湯立てが始まった。
三人の女性行者が熱々の湯を笹に付け、ブンブン振り始めた。私はアリーナから身を乗り出した。頭に湯を求めた。湯は容赦なく飛んできた。飛んできて髪の効能に気付いた。頭は熱くなかった。首筋にかかる熱湯が飛び上がるほど熱かった。
「はうっ!」
顔を上げた。そこに住職がいた。ビックリした。いつの間にか住職っぽさが消えていた。完全に観光客に溶け込んでいて、変な服を着た普通の人になっていた。
「凄い!」
これがスマホの念力だと思った。スマホは宗教っ気を打ち消すらしい。



住職は動かなかった。群集の中にあり夢中で何かを探し続けた。三人の女性行者は笹を振り続けた。私はビショ濡れになった。
住職は濡れなかった。一定の距離を保っていた。が、スマホの念力が住職を喰った。スマホは住職から距離感を奪った。住職は知らず知らず前へ進み、一線を越えて湯を浴びた。
「あちゃっー!」
住職に魂が戻った。ブルースリーの怪鳥音と共に神がかり的俊敏さで三人行者から逃げた。



三人行者は湯婆婆になった。笹を延々振り続け、湯が少なくなると大釜に身を投じた。私はアリーナでズブ濡れになり、その一部始終を余す事なく見た。
湯立ては頭に効いたのか。多少効いたかもしれない。その余波を以って二時間後これを書いた。変な方向に効いた。
住職は「あちゃっー!」と叫んだ後、湯に近付かなかった。スマホを抱いて怯え続けた。最高に面白かった。
隣に外国人の集団がいた。始まりから終わりまで「くまモン」と叫び動画を撮っていた。
「スマホを抱いて湯に怯える宗教家をニッポンではくまモンと呼ぶ」
帰国してそういう風に伝えるだろう。面白いので正す事はやめた。
終わり方も良かった。湯婆婆三人が湯に浸かり終えると最後の人が「終わり」と叫んだ。それで終わった。群衆はクモの子を散らすように去り、一瞬でシーンとなった。
私は住職を追った。一言挨拶して帰ろうと思ったけれどブツブツ言いながら家の中に吸い込まれて行った。後で話を聞くと新品の服が濡らされ立腹したらしい。
「もー新品なのにー」
笑った。笑い続けた。こんなに楽しい宗教イベントは初めてだった。
テレビも良かった。夕方のニュースを見ていたら湯立ての映像が流れた。湯に怯え逃げ惑う住職が映っていた。ヒーヒー笑っていたら私が逃げ惑う映像も流れた。映像によると私の方が派手に逃げていて、家族にヒーヒー笑われた。
この祭りは楽しい。見所満載。来年も4月13日にやるらしい。
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*プライバシー保護のため画像処理を施しています。
*住職の承諾を得て掲載しています。
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