第7話 思い出した風流の話(2006年10月)

私の知り合いに松尾芭蕉のような人がいた。
知り合いと言っても一度しか会った事がないし年齢は不詳。ただ北海道在住という事だけが分かっていて、何度か手紙の交換をした。
見た目は芸術家風の老人である。
白く豊かなヒゲが顔の下半分を覆っていて、頭はツルツルに禿げあがっている。数年ぶりにその姿を思い出そうとした時、鏡面のそれを最初に思い出した。
体型は痩せていて色は黒く、一見浮浪者のようにも見える。だが「羽振りはいい」と自分で言っていたし、立ち振る舞いに貫禄があった。
収入源はよく分からない。が…、生活力がありそうな人で、食うに困った事はないのだろう。その気になりゃ土もご馳走と言っていた。
「金なんてものは追うから逃げる。待ってりゃ少しは湧いて出る」
その言葉が老人の金銭感覚のようで、
「そのもの自体はワシを一度も助けてくれた事がない。金にすがるのは馬鹿たれのやる事」
そう言っていた。
老人は北海道に電気も水道も通っていない小さな家を自分で建てたらしいが、そこに住むのは年に三ヶ月程度で、他は旅をしているそうな。
出会いはちょうど十年前、自転車で日本縦断をしている時、場所は翡翠で有名な新潟の糸魚川である。
橋の下にテントを張っている時、その老人がヌッと現れた。
「上の方がいい、そこは朝露で濡れるよ」
そう言って自分の隣にテントを張るよう勧めた。
私はこの老人を完璧に浮浪者だと思っていて、かなり警戒した。老人のテントはブルーシートを繋ぎ合わせたもので、その周辺には手作りの椅子や机があって、明らかに連泊の気配が漂っていたからだ。
ただ、あの独特な臭いがなく、よく見ると小奇麗にされており、テントの中も整然としていた。
(浮浪者じゃないらしい、慣れた旅人かな?)
そう思ったが、
「一緒に美味いものでも食べよう」
誘われた時、正直たかられる事を覚悟した。が…、老人はたかるどころか私にビタ一文払わせなかった。
私がテントを張り終え、近くの公園で軽い行水を終えて帰ってくると、石組のバーベキューセットが出来上がっていて、どこから調達してきたのだろう、肉や野菜が用意されていた。
どれもこれも買ってきたにしては早過ぎる。テント内に備蓄してあったものだろうか。何の肉か分からないし腐っている事も考えられた。
裸足で逃げ出すべきであった。
だが、その時の私は若くて青い学生時代であり腹ペコでもあったから、ありがたくご馳走になった。
腹は痛くならなかった。そして美味かった。
現金なもので老人の印象は食事を境にガラリと変わった。白いヒゲの奥から発される言葉はどれも新鮮で妙な説得力があるように思われた。
時が進む毎に老人は多弁になり、私は深く聞き入った。
「ありがたい事にワシには自由な頭があるし、自由に移動する足がある。人が作ったものを当たり前のように使い、人のやる事を当たり前のように真似る。それじゃもったいない。自分というものをもっと自由に使わなきゃ」
感動しながら聞いた話も時間が経てば風化してゆく。現に私はたった10年という時間で老人の事を完璧に忘れていた。
たまたま思い出したので徹底的に思い出してみようと思った。
「ムダを愛せる人になりなさい。考えてみてごらん。旅ほど無駄な事はない。皆が時間を惜しんで新幹線や飛行機に乗って目的地に急いでいるのに、旅人は目的もない移動に時間と金と莫大な労力を費やしている」
あの時あれだけ聞き入った話を、なぜ私は10年もの長い間忘れ果てていたのだろう、思い出しながら悔しくなった。
「シャバに出りゃムダは悪だ。だがムダにこそ人生の醍醐味と面白味がある。その味、まさに風流とよぶ」
それから数時間後、糸魚川の街で飲んだ時、老人はただの酔っ払いに成り下がった。しまいには暴れてボトルを叩き割り、
「あんたっ、責任もって連れて帰れっ!」
店から追い出されるかたちで老人を背負った。
「これで払え」と老人から渡された財布の中に古い写真が入っていた。
家族の写真のようで、くしゃくしゃになっているのが気になった。
老人が言うように、人それぞれ自由で特別な人生があるらしい。
以後、老人との関係は手紙で繋げた。
年一回程度のやり取りだったが、老人がタダモノでないと確認したのは、この手紙による。
膨大な文章量と、その内容の面白さ、下手な小説を読むより断然面白かった。老人はトラベルライターか何かで生計を立ててるのではないかとも思えた。
「手紙が来なくなったら死んだと思って」
老人は手紙の中でそう言っていたが、三回ほどのやり取りで来なくなった。
手紙の中で老人はこう書いている。
「これは恋文ではない。だから読んだら捨てなさい。これを書くために要した時間があっという間に捨てられると思うと実に爽快だ」
だから捨てた。だが、捨てなければ良かったと今更思えるほど見事な内容だった。
書き出しも面白かった。
「変な形のジャガイモを見て君を思い出した。おかげでそのジャガイモから芽が出てきた。あんたの名を付け、窓際で可愛がる事にしよう」
くだらない。本当にくだらないが風流人らしい有意義なムダがそこにあるように思えた。
老人は本当に死んでしまったのだろうか。
数日前、秋空の下で子供と遊んでいる時、老人の一句と添えられた文章を思い出した。
「古池に、じじい飛び込む、音はなし」
「私が死んだところで世の中は何も変わらない。死って極めて身近でサラリとしたもの。仰々しく葬式やって墓立てるなんて絶対に嫌だ。生きてる時に自由に色々仰々しくやって、いつの間にか野垂れ死に。それが理想よ。今は逆でしょうが。生きてる時はサラリを求め、サラリでいいところを仰々しくやる。ちゃんちゃら可笑しい」
老人は風流という言葉を作った古人の感覚を褒め称え、しきりと「風流」という言葉を使った。
「風の流れを感じるゆとり、それ風流という」
黄金色に染まった大地が慌しく機械で刈り取られる中、風だけは今昔の変なく運ばれてくる。
老人曰く、
「これに気付かなくなった時、即ち風流消ゆる時」
だそうな。
「生産性を追い求め、ムリムダムラを省き、更なる挑戦への余力を生もう!」
こんな仕事をしていると風流を忘れる瞬間もある。
そして、それをせにゃ潰れるという危機感を持たねばならぬ現実。
信長も秀吉も業務では徹底的にムダを省いたクチだが、ふと思い出したように風流人になる瞬間があったようだ。
常に一流の風流人を脇に従え、風流から離れぬよう配慮した気配も窺える。
人間らしさ、徳、楽しみ、それらは効率を上げる事とは真反対にある風流こそが生み育てるもので、その重要性を二人の偉人は老人同様悟っていたという事か。
「業務に風流を持ち出したら負ける。だが、人間そのものの価値に風流は不可欠だ」
二人の天才は地団太踏んだに違いない。
風流一本で行きたいが、世の中そうはいかない現実。
老人の古びた家族写真がちらついた。
(老人が死んだとすれば、その人生をどう振り返ったろうか?)
マルかバツか、はたまた「人に語るもんじゃない」と怒鳴られるか…。
ただあの時、老人が美味そうに酒を飲み干し、ボソリと漏らした言葉。
「人生の味は風流にあり」
その言葉に嘘偽りはあるまい。
便利なものを使いつつ業務のムダを徹底排除、秋風はそこに届くのだろうか。
ああ、あの老人にもう一度会いたい。
心地よい風はすぐに凍てつく風に変わってしまうだろうに。
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