第11話 顔の話(2007年5月)

私は顔がでかいらしい。
頭ではない。その下にある顔である。
頭もでかい方だが嫁に測ってもらったところ59センチでギリギリ大台に乗っていなかった。が・・・、顔は鼻も含めれば大台に乗ってしまいそうで測る事が憚られた。
普通の人は上(頭)から下(顎)にかけて小さくなるタイプ、いわゆるラッキョ型が多いらしい。私はその事をメガネ屋で知った。
「ラグビーボール型ですね、こら珍しかですよ」
メガネ屋は私に十数本目のメガネを手渡し、うんざりした顔でそう言った。もう、五年も前の話である。
レンズとフレーム込み込み五千円のメガネを買いに行ったのだが、どれを試着してもフレームが耳に届かない。ラグビーボール型ゆえ、耳の前部分、つまり頬骨が顔幅の頂点となり、耳は頬骨の奥に隠れてしまう。それが普通のメガネを寄せ付けないのだ。
「困ったですねぇ」
かなりの試着を終えた後、メガネ屋は何が何でも私に合うメガネを探さねばと頭を抱えた。
と、その時、
「そうだ!」
メガネ屋に一筋の光明が見えたらしい。
「樹脂製のよく曲がるフレームがありますよ!」
そう言ってメガネ屋が持ってきたのは本当にグニュグニュのフレームで、何と直角まで曲げても復元するという代物であった。「エアリスト」という品名で、激しいスポーツをやる人たちに愛されているメガネらしい。
見た目はオモチャみたいで安っぽかったが、レンズやフレームのサイズが細かく選べ、どんな顔にもピッタリ合う、そして極めて軽いというのがポイントだそうな。
五千円のメガネを買いに来た身で何か騙された気がしないでもないが、背に腹は変えられないので試しにかけてみると今までにない気持ちよさでフィットした。
柔らかいフレームが優しく頬骨を伝い、そのまま耳へ巻きつく。
「こりゃよかねぇー」
「これしかなかですよー、絶対これですよー、頼んますよー」
当然の事ながら、こういったメガネが五千円であるはずがなく、その七倍近い金をメガネ屋へ払った。そして、価格が価格である事からメガネチェンジが許されず、現在もそれを愛用するに至っている。
そういう事で、私は顔がでかい。
なぜ、急にこれを書いたかというと、小説家は巨頭が多いというエッセイを読んだからだ。浅田次郎は頭囲が62センチもあり、合う帽子がなく、必ず切り込みを入れてかぶっていたそうな。
そういえば六本木の脚本家養成学校へ行っていた時、先生は巨頭が多かった。友人で猛烈な文才を持った男もアダ名は「漬物石」で、可哀想なくらいにでかかった。
(顔が大きいのはどうなんだろう?)
ふと、その事を思い、この話を書いた。
ちなみに私の三女は一歳の物取り儀式でペンを掴んだ。その顔や頭のサイズは二人の姉を凌いでおり、何となく文豪の香りがしないでもない。
そんな事を考えながら工場を歩いていると、会社のパートさんが話しかけてきた。
「唐突で申し訳ないんですけど、福山さんは何頭身ですか?」
心臓を串刺しにしかねない手厳しい質問に思わず生唾を飲んだ。そして、ゆっくりと、
「六頭身です」
そう返した。
返してしまった後、本当は六頭身以下である事を告白すべきかどうか迷った。同時に、
(なぜその質問をするのか?)
その事が気になった。
今…。
有明海の干拓地では麦が実り、こんじきのうねりが先の先まで続いている。(この辺は二毛作で、麦を刈り取った後に米を植える)
窓辺に立つ私はそれを眺めながら一つ軽い溜息をつく。
知的に見えるかもしれない。ウットリ「素敵」と思っている婦女子がいるかもしれない。しかし存外、人間の頭の中とはこういうもので、大した事は考えていない。
暑くなってきた。
太り身には辛い時期の到来である。
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