第46話 田舎選挙(2009年2月)

ここ数日イライラしている。選挙である。
我家は南阿蘇村の大通り沿いにあり、選挙カーの往来が激しい。更に駅も近く、空き地もあり、集落の規模もまぁまぁ大きいため、その騒音は途切れる事がない。
ビラもひっきりなしに届けられる。「知り合いだからよろしくね」という電話もかかってくる。候補者本人からの電話もある。訪問してくる人もある。
正直まいっている。仕事にならない。早く終わって欲しい。
選挙は二日後、日曜日である。南阿蘇に越して初めての選挙であるが、こうもうるさい選挙は初めてで愕然としている。が、このしつこさも分からんではない。有権者の数が1万人ぐらいしかいない。1万人で村長と18人の村議会議員を選ばねばならない。1万人ぐらいであれば全ての候補者と有権者が接触する事も可能で、それを30人の候補がやろうとすれば、どうしてもうるさい選挙になる。
(しかたない、マニフェストでも見てみるか)
つい先日、村のホームページや広報を見てみたが、公約らしきものが全く見当たらなかった。過去、市議会議員選挙の時は候補者のビラが一枚にまとめられたものがあったが、南阿蘇にはそういうものはないらしい。仕方なしに手持ちされたビラを読んでみた。
「頑張ります! 誠実です! 村の事を第一に考えます!」
どのビラも雲を掴むようなスローガンが並んでいるだけで、どうしたいというのが全く見えない。共産党のビラだけが「どうしたい」と書いてあるが、見事なまでの理想論であり、その具体策(予算)には全く触れられていない。しかし、さすが確かな野党・共産党だと思う点もある。厳しい批判は現職の村議会や村長にも向けられていて、無駄遣いの事例をこと細かに書いてある。共産党を推すわけではないが、「頑張ります」しか書いてない他のビラに比べれば、ビラとしてのデキはマシなように思える。
誹謗中傷の手紙も届けられた。匿名の投函であり、ある候補者をイニシャルトークで誹謗している。気分は悪いが、人間は得てしてこういうものかもしれず、誹謗中傷は古い時代から政治の得意技である。
私は具体的な公約・マニフェストを求めている。が、小さな村の小さな選挙ではそういうものを必要としていない。村の選挙に必要なものは安心できる馴染みの顔と、集落への利であろう。ここへ住んで一年半、まだまだ余所者の私はその点求めるところが違うのかもしれない。私は、私が住む下田という集落に公共事業を求めていない。横繋がりに関しても選挙は全く別問題で、知り合いの親族に入れる義理はない。仕事も政治から離れている。つまり、マニフェストがなければ人を選べない立場にあり、本当に困っている。
選挙カーが放つ大音量の声は自らの名を連呼した後、
「下田が好きです! 下田あっての○○です!」
集落への愛情を叫んでいる。連呼する事で集落へカネを落とす、その事を示唆しているのだろうが、これに痺れる有権者がどれくらいいるのだろうか。少なくとも私には何の魅力もない。そもそも集落の代表が予算のもぎ取り合戦をする時代ではないと思うが、田舎においてはまだその風が濃い。カネ以外にも口利きによる職の斡旋など、集落(もしくは団体)、代表者、政治、そのパイプラインが濃く残っている。が、文明の流入でいずれ叩かれ消えるだろう。ミニ封建社会は自らが大量導入した文明のおかげでどこも破綻寸前の状態に陥っている。
さて・・・。
何度も言うが、私は悩んでいる。
「何を基準に決めたらいいんだろう?」
目の前に選挙看板が立った。その顔写真を眺めつつ人相で選ぼうとしている。果たしてこれでいいものか。きっとよくない。が、他に方法が見当たらない。
欲しい情報は人相以外に幾つもある。立野ダムについて。公共事業について。候補者の人柄。候補者の描く南郷の姿、阿蘇の姿。教育について。予算の使い道。
聞きたくなくとも聞かされる演説、そして届けられるビラ、全てが上について無口であり、雄弁に語られるのは、
「頑張ります! 汗かきます! 誠実です!」
空疎な濁声の響きであり、いかにも嘘臭い。
私は本当に悩んでいる。どの人物が南阿蘇を託すべき人相なのか。
判断材料がないというのは本当に困る。とりあえず鼻毛を書いて最も笑えた人に入れようと思っているが、こういうやり方ではろくな結果にならないだろう。
選挙カーが目の前の道ですれ違った。
「○○候補の検討を祈る!」 「ありがとう! ○○候補の検討も祈る!」
「頑張ろう!」 「お互いに頑張ろう!」
拡声器で交わされる挨拶、大いに結構であるが、その脇で騒音に苦しむ村民がいる。早く静かな村に戻って欲しい。泥仕合一週間は長過ぎる。おかげで三女と私、激しい下痢になった。
今度は選挙カーが馴染みの顔に会ったらしい。
「今回も出馬したですたい! 入れにゃんばい!」
拡声器が放つ気軽な濁声は集中力を根こそぎ奪う。ああ、候補者から拡声器を取り上げたい。ああ、腹がギュルギュル鳴る。
三女と父、太り身のみ下痢が進む田舎選挙であった。
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