第50話 全滅の日(2009年5月)

二日ほど前、家族が全滅した。
人類史上最強の健康体である嫁がダウンすると、続けて長女、そして三女が嘔吐した。次女は症状が軽かったものの気分が乗らないらしく終始ウダウダし、続けて私まで微熱と関節痛に襲われた。
私が機能しない時、家庭は大いに回る。それこそ何も変わらず回ってゆくが、嫁が機能しないと家庭は停滞する。たった一日で凄い事になった。
全滅の原因が何なのか、今でもよく分かっていない。5月15日は私の誕生日だったが、その席で嫁は大量にケーキを食い、ちょっとだけウイスキーを飲んだ。その翌朝、立ち上がれない状態になったため二日酔いを疑ったが二日酔いは伝染しない。次いで食中毒を疑った。嫁が作ったケーキに問題があったのではないかと私は睨んでいる。私が食したケーキは少々であり、次女は食ったものを早い段階で排泄するという特殊な体の仕組を持っている。最も食った嫁が身悶え、次に食った長女と三女が豪快に嘔吐したというのは、ケーキに問題があったのではないか。
それはさて置き、嫁が丸一日布団から出れないというのは極めて稀な事件であった。狭い家を見渡すと荒れた台所がそこにあり、1.5日分の食器が山積みになっていた。見かねた長女が洗おうとし、スポンジに洗剤を付けた。が、2枚ほどゴシゴシやったところで飽き、スポンジを放り投げた。何もしないよりタチが悪い。風景として更に荒れてしまった。茶の間には食器とゴミが溢れ、子供部屋はシルバニアファミリーが畳を隠して散らばった。洗濯機の周辺も汚れ物に満たされ、変な空気が漂い始めた。換気をするため窓を開けた。強風が色んなものを吹き飛ばし、世紀末の様相を呈し始めた。奥の部屋には嫁と三女が眠っている。茶の間の風景は嫁の健康を害すであろう。完全に閉め切り回復を願った。
夕方、比較的元気だった次女と長女を引き連れ、家を正そうと試みた。が、やはり飽きた。茶の間を整えた時点で娘たちの喧嘩が始まり、前に進まなくなった。私の体調も悪くなってきた。娘たちは場の空気も読まず「腹が減った」と暴れ始めた。嫁と三女は丸一日何も食べていなかった。食べたいものを聞いてみると細い声で「柑橘類が欲しい」と言った。
私の料理的才能は袋ラーメンの時点で止まっている。こういう時に袋ラーメンを作っては家族の健康を更に悪化させるだろう。近くのスーパーへ足を運び、子供に惣菜を選ばせた。が、焼そばとタコヤキ、それにトンカツ、手巻き寿司、どう考えても不健康な食卓となった。
嫁は甘夏を少し食べ、ふらふらと布団に戻った。食いしん坊の長女は野菜ジュースを飲んだ。が、すぐに吐いた。二人は重症であった。しかし前向きであって、
「痩せるかもしれない、ふふふ」
ケガの功名を期待しているところが乙女であった。
今回の最優秀選手は小学二年の長女であった。まず昼間、ソバを与えた直後、「気持ち悪い」と言い出した。布団に寝せると間髪入れず寝ゲロした。極めつけは深夜である。自ら選んだ油っぽいものをしこたま食った長女、布団を蹴り上げ便所に走った。が、間に合わず、茶の間に吐いた。
親というものは、いや、女というものは素晴らしい反射を持っている。その事を今回の件で痛感した。グッタリしていたくせに、娘が起き上がった瞬間、嫁も跳ね起き、更に叫んだ。
「急げ! 急ぎなさい! キャー! 何やってんの! ギャー!」
病人とは思えぬ声量であった。右手に闇があった。闇は茶の間であって、そこにボトボトベチョベチョ、濡れた音が響いた。
嫁は本当に病人なのか、それさえ疑わせる勢いで布団を飛び出し、床を清掃し、娘の服を脱がせ始めた。むろん、ありとあらゆる罵声の言葉を長女に投げるもんだから長女はいじけた。
パンツ一丁になった長女が私の横に転がり込んできた。私は微熱の続く状態ではあったが、その光景が心地よく、様々な回想を膨らませた。可笑しかった。いじけた娘がかわいかった。
「母親ってのはね、ゲロに敏感だけん、しょうがにゃーとぞ」
娘にそう言いながら、実母や嫁にまつわるゲロの話を思い出した。飲み過ぎた晩、闇夜の家で吐く時、実母が駆けつけ、嫁が駆けつけ、猛烈に私を叱った。二人は私の事を心配したわけではない。その後の処理を想い、ゲロに反応し、女の反射で飛び起きたのだ。
嫁はゲロ処理をやりながら猛烈に怒っている。が、処理を終えればいつもの嫁に、いつもの母に戻るだろう。女とはそういうものである。その証拠に、
「久しぶりの拭き掃除で床が綺麗になったよー、見てー」
処理を終えた後、嫁は笑顔でそう言った。女は現実家ゆえ、ゲロに反射し、狂ったように怒るのだ。その事を説明すると、長女は分かったような分からないような反応を示した。そして面白い質問をしてくれた。
「おっとーも吐いた事あるね?」
「もちろんある。果てしなくある。ゲロ話はおっとーに任せろ」
そう言って自分の事を語っているうちに眠れなくなった。長女もゲロ話が好きらしく、更に話を求めてきた。嫁がゲロ処理をしている横で、父子はゲロ話で盛り上がった。完全無欠のゲロ一家であった。
急性アル中で運ばれた話、尻の穴に「国士無双」と書かれた話、寝ゲロの布団に三日三晩寝続けた話、バスをゲロで止めた話、ノリノリで語っていると嫁も入ってきた。
「死ぬ寸前じゃん、面白いね」
大人も子供もゲロ話は好きらしい。興に乗ったので、他人の話に飛び火してみた。
和哉という真面目な親族がいる。彼は今も昔も真面目であるが、得意技はゲロであり、色んな乗り物で吐いた。
「和哉オッチャンは飛行機でも吐いたんぞ!」
そう言うと、嫁と長女が我を忘れて喜んだ。次会う時、和哉はゲロヤと呼ばれるだろう。
和哉といえば、和也という後輩もいる。「かずや」という名はゲロの名手が多いらしく、和也も凄かった。ある日、和也は寝ゲロし、ブルーシートに包まれた上、急性アル中で病院に運ばれた。それに付き添ったのは和哉であり、吐いた場所は新婚さんの新築であった。確かその新婚さん、吐いた翌日、新婚旅行へ出たように記憶しており、その後、色々あって別れた。恐るべきゲロパワーで、話として壮絶である。
更にある。濱崎という級友がいる。寝ゲロというと横を向いて吐くのが定番であるが、彼は上を向き、凄まじい勢いで吐いた。神様はこういう時、変な力を与えるらしい。酒のつまみとして、倒れた濱崎を集団観察していたのであるが、不意に動きが止まった。体内で加圧が始まったらしい。そして機が熟した。大噴火した。天に向かって黄金色のそれを噴き上げた。私たちは歓声を上げ、そして大急ぎで逃げた。天に向かった大量のゲロはそのまま濱崎の顔に落ち、四方八方に散らばった。私たちは彼をそのままにし、場を変えて飲み会を続行した。面白かった。十五年経った今でも笑える。娘も笑っている。面白い出来事は色あせぬものらしい。
娘に拍手を貰った話もある。酔ってタクシーに乗っていると、急に友人が跳ね起きた。名を東という。彼は虚ろな目で私を見た。次いで悲しい顔になり、私に向かって吐き出した。「タクシー汚せば1万円」というのは当時の常識だったため、私は両手で受け止めた。が、それでは受け止めきれないと判断し、自らの上着を差し出した。私は彼の全てを受け止めた。タクシーが停まり、運転手によるチェックが入った。座席は汚れていなかった。
「兄ちゃん、お見事」
「ありがとうございます」
私は受け止めた温かいゲロを草むらへ捨てた後、大いに勝ち誇った。が、タクシーは行ってしまった。乗せてくれなかった。それから私は酔っ払った友人を担ぎ、暗い夜道をゲロまみれで歩いた。つまらぬ話だが十年以上の時を経て、やっと報われた。長女に褒められた。
「凄いねぇ! こぼさなかったんでしょ! おっとーは凄いね!」
他にも色々話したが、そういう話をしているうちに長女も嫁も眠ってしまった。
さて・・・。
父親は困っている。興奮して眠れなくなった。長女と嫁に挟まれて天井を見上げているが、どうしても眠れず、一人ニヤニヤ回想を続け、それが消えなくなってしまった。
暇な父親は嫁と長女を交互に見た。そして思った。
(男で良かった!)
女という絶えず現実が付きまとう生き物には、こういう盛り上がりがないのかもしれない。
全滅の日、金で買えない喜びを二つも見つけた。一つは家族の風景、そしてもう一つは男の醍醐味であった。二つとも、そこらじゅうに転がっているが、なかなか見付けられない貴重なもので実に運が良かった。健康な嫁と娘の好奇心に感謝した。
くだらない話もそろそろ終わる。
これを書いているのは5月18日。窓の外には素晴らしい青空がある。阿蘇も家庭も雨風去った五月晴れであり、実に気分がいい。生きる醍醐味はこういう瞬間に輝いてくれる。嫁がスキップしている。三女が尻を出している。この風景の愛しさは雨風なしには得られない。負けてられない、父も行動に出た。
「握りっ屁、ボーン!」
嫁子供に恒例のそれを振り撒いてみた。嫁の動きが止まった。次いで凄まじい怒りを感じた。
「消えて」
愛しい瞬間は全く伝わってくれなかった。
男は孤独である。ゆえ、現実から目を逸らし、喜びを追うのかもしれない。
夜峰山が丸い。青空が眩しい。
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