第59話 新型騒動(2010年2月)

前話で書いた自動機を何とか一月中に立ち上げた。三日ほど出張し、客先に納め、阿蘇に戻ったのは2月3日。節分であった。
家族で豆まきをやろうと急ぎ戻った父親であったが、留守にしていた我家はどうもそういう状況ではなかった。長女と三女がグッタリしていて特に長女がいけなかった。高熱で顔が真っ赤になっており、
「おっとう・・・、おかえり・・・、ふぅ・・・」
恋に病んだ乙女の如く濃い溜息をついていた。
そう、新型インフルエンザであった。
私の住む南阿蘇村のピークは昨年末であり、長女の通う小学校でも半数がその時期に感染した。うちは三人娘だが、誰もかからず食欲も落ちず、かけたエンゲル係数のおかげと笑っていたが、ついに感染してしまった。
思うに、ピーク期にかかっていれば集落のスターになれたであろう。が、半数以上が経験した今、「新型です!」と叫んでも、それは感覚的に旧型であり、誰も珍しがってくれなかった。その代わりブームの時に買ったであろうマスクのお裾分けを頂いた。どこも在庫がだぶついているに違いなく、売値も安かったが、買う必要がなかった。
ブームの時はクラスの一割感染で学級閉鎖と決まっていた。長女のクラスは19人なので二人かかれば閉鎖であった。が、半数以上が免疫を持った今、学級閉鎖は意味がない。長女と級友数名が遅れた新型になったものの学級に波風は立たず、「一週間通学禁止」という通達だけがきた。
新型ブームは色んな面で冷めつつあった。が、「感染症は隔離」という基本方針は変わっておらず、元気な次女(年中さん)も登園禁止になった。
ところで新型インフルエンザがどういう症状をもたらすのか私は全く知らなかった。興味を持って眺めていると初日微熱、二日目高熱であった。三女に至っては飯を食いながら「寒い」と言うので熱を測ったところ40℃あった。驚いた。高過ぎる熱にも驚いたが、その状況で飯を食う三女の食い気に唖然とした。
熱は三日目に引くようである。それから咳と鼻水がダラダラ続くようだが、子供にとってそういうのは病気のうちに入らない。三日目から過ぎるほど元気になった。
元気になった子供たちは暇を持て余した。二日だけ病気なので、残り通学禁止の五日間は暇との闘いであった。
新型をもらってきたのは長女であった。長女が三女に渡し、三女が次女に渡した。時間差で誰かが苦しみ、苦しまぬ者は暇に苦しんだ。
私は家の敷地で仕事をしている。従って暇に苦しむ子供の叫びがよく聞こえた。
娘たちは乗り物に乗って時間を潰し、それに飽きるとマラソンやママゴト(子供たちは「家族ごっこ」と呼んでいる)をやった。窓から様子を見ると冬なのに半ズボンで走り回っており、光景として病人のカケラもなかった。
暇は子供を反抗的にさせるらしい。「服を着ろ」と言っても聞かないし、「片付けろ」と言っても聞かなかった。三人の誰かが怒り、誰かが泣いていた。動物的な叫び声で子供を叱り続けた嫁もついには諦め、
「勝手にしなさい」
そう言って放り捨てた。
寂しがり屋の代表として父は暇の辛さが分かっているつもりであった。特別にオモチャやお菓子を買い与えた。しかし、その度に喧嘩が勃発し、嫁が爆発し、色々荒れてくるのが分かった。仕方がないので夫婦の方針として芯から勝手にさせた。
勝手気ままな子供たちは来客の時もひどかった。敷地内に誰かが踏み込むと一斉に飛びかかった。
2月5日、テレビ熊本の撮影があった。夕方のニュースで「もったいない特集」をやるらしく、産業廃棄物で道具や遊具を作っている阿蘇カラクリ研究所に白羽の矢が立ったらしい。厳粛な撮影であったが、子供たちには最高の暇潰しであった。記者、カメラマン、AD、それら全て子供にとって無二の遊び相手であり、カメラを回している最中も奇声をあげて飛びかかった。
「撮って撮って! ゴリラのまねー!」
次女が発するゴリラのまねを誰が好んで見るというのか。しかしカメラマンは優しい人らしい。アップで撮り、長い時間付き合ってくれた。
通行人も子供たちの獲物であった。暇だから誰彼構わず飛びかかった。三人は口を揃えて「あそぶばーい!」と叫び、知り合いが見えると追いかけた。終いには集落の子供が前の道を歩かなくなり、長女の友達は裏道をコソコソ歩いた。病原菌から逃げるには裏道が適当であった。
嫁は頭が痛いらしい。原因に耳を傾けていると、明日は奥様会がありバレンタインチョコ作りをやるらしい。長女と次女が家にいると困るらしく、
「奥様会に行けないじゃないっ! どうすればいいのっ!」
地団太踏んで叫んでいた。くだらない。どうでもいい。しかし嫁の生甲斐は奥様会にあった。
次女の感染はどうやら週末であり四日ほど遅れた。一週間登園禁止のルールを守るとすれば、今週末まで保育園に行けない。丸一週間、家族で朝昼晩食卓を囲み続けた一家はこの状況の早期打開を望んでいるが、もうちょっと延びそうな雰囲気に落ち込まずにはいられなかった。
ちなみに2月14日は二回目のテレビ撮影が予定されている。産業廃棄物を使った遊具を作って欲しい、それで遊ぶ子供たちの絵が撮りたいという。
こういう状況なので回復祝いを兼ね、色々な遊具を作り、子連れの家族をドーンと呼び、BBQでもやって賑やかな絵と場所を提供しようと思っている。が、滞った仕事の影響でなかなかその準備も進んでいない。
これを書いてる最中も三人の娘が入れ替わり立ち替わり現れ、たっぷり仕事の邪魔をしてくれた。
「おっとー、あそぶばーい」(次女)
「おっとー、おなかすいたー」(三女)
「うふふ、なんしよっと?」(長女)
それもこれも望んだ職場、望んだ人生である。渦中その幸せは掴み辛いが、十年後二十年後、ふと何気ない一齣を思い出し、ニヤリとする日があるかもしれない。
新型騒動、うっとうしいがもう少し続く。
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