第75話 阿蘇、カラクリ、六年目(2012年6月)

昨年末「あの頃ボックス」という昭和歌謡を聴くための部屋を作った。個人的に70年80年代の昭和歌謡が好きで、そこに力点を置いていたわけだが、酔ったお客さん、どうも気に入らないらしく色んな苦情を頂いた。
「ひばりが足りない! これで昭和は語れない!」
「昭和は戦前戦後にある! 70年代はあの頃じゃなくこの前と呼ぶ!」
私は77年生まれ。当然理解に苦しむが言わんとされる事は分かる。昭和という枠で考えると確かに70年代は後半で、戦前戦後は外せない。
戯れに60年代の音源を集めてみた。で、マジメに聴いてみた。感動した。何という大胆且つ大袈裟な日本語の連続だろう。整然と韻を踏むため一糸乱れぬ言葉の軍隊が迷いなく心の臓に突き進んでくる。ヘッドホンから手が離せず、仕事手に付かず丸一日泣き暮らしてしまった。
次に50年代を寄せてみた。音源がモノラルになり、ノイズが入ってきた。
「これはラッパで聴くべき!」
そう思いラッパスピーカーで聴いてみた。また泣けた。また一日が暮れてしまった。当時ラジオで聴かれた曲だろう。戦後の復興がリズム・ノイズ・日本語に凝縮されていて、何やら染色体が騒ぎ出した。
もうどうにも止まらない。30年代40年代にも触れてみた。熱い。熱過ぎる。この時代、たぎる血潮に日本中がヤケドした。触れてはならぬと遠目に嫌う人多かれど、やはりあの頃の歌といえば軍歌は欠かせない。時代は積み重ねである。一時代だけを無視するわけにはいかない。人や政治に罪あれど歌に罪はない。流るる涙赤くなり昔日の余韻にかつての若鷹咆哮す。軍歌で盛り上がるオッサン衆は日常の風景だったが昨今見事に消えた。一つは地球の新陳代謝。一つは現代病のヒステリー。しかし歌を聴いてて思うのは「あの時代」に「この時代」が乗って「今」がある。どれも消せない。
またしても仕事が手に付かなくなった。
そもそも私は歌詞カードを見ながら歌を聴くタイプで、何を言っているのか分からないダダッとした歌や横文字の歌が苦手である。つまり90年代以降の、いわゆるノリノリな曲に興味がないわけだが、時代が上るほど日本語が肉厚で韻を踏み、曲(うた)が歌(うた)になる。更に下ると歌(うた)が詩(うた)になる。私はどちらかと言うと詩(うた)の完成度を欲していて、だから昭和歌謡が好きなのだろう。
60年代の歌に「女ひとり」というデューク・エイセスの名曲がある。題名は有名じゃないが「京都、大原、三千院♪」の出だしが有名で、それがマイブームになってしまった。単曲リピートで100回くらい聴いた。すると全てがそのリズムになってしまい、私の言葉も侵された。嫁を呼ぶ時、
「みちこ〜、カツ丼、さんにんぶ〜ん♪」
書くと気持ち悪いがこういう感じになってしまった。言葉のリズムとして悪くない。
当時の流行歌は当時のリズムであろう。私は現代のリズムに捨てられて時代を逆行し始めた。過去に融け始めた。融ける事を喜び始めた。すると何が現実か何が今なのか、よく分からなくなってきた。それも歌の効能だが、現役世代には歌の害と言えるらしい。
「少しは仕事しなよ!」
嫁の声にハッとしてグッとなった。が、その書き回しも少し古い。芸のために女房を泣かす度胸も才能もなく、言われりゃ通帳を見るのが常であるが、これはモロ現実だから一番効く。ハッとしてゲッとなりパッと目覚める。なぜだろう。三人娘の父親だからである。
目覚めたついでに色んな事を考えた。阿蘇カラクリ研究所も早六年目を迎えている。屋号をふざけた時点でふざけた業態になる事は覚悟していたが、今の状況は想像よりもふざけている。
創業時、行政に出した書類がある。五年間の事業計画で数字もしっかり書き込んである。それによると六年目現在は真面目なモノづくり50%、不真面目なモノづくり50%、真面目に得た利益の50%を不真面目な事業に投資、将来を託すという風になっていて、計画ではそれなりの利益が出ている。
よく出来ている。我ながら素晴らしい事業計画書である。どこで乱れたのだろう。
キッカケはやはり昭和歌謡にあった。本業の余り部品で子供の遊具を作ったら喜ばれ、調子に乗って少し大きめのモノを作ったら更に喜ばれ、ついでにメディアも来たりして取り返しがつかなくなった。
「昭和歌謡が流れるヘンなロボットを作ろう!」
色んな約束をすっかり忘れ、ジリ貧で「四面おみくじロボ」を作ったのが全ての始まり。ふと我に返って軌道修正するも、流れ・出会い・後押しというものに逆らえず「あの頃ボックス」に至り、ついにはバッテリー式の「メカトロチンドン屋」を作ってしまった。
事業計画書は鉄の掟(五年間)も述べている。
・無借金経営
・不真面目投資は利益の半分
・モノづくり専念
A型らしい超堅実な掟にヒビを入れたのはやはり昭和歌謡。不真面目な割合を想像以上に吊り上げ、利益を殺し、私を焦らせ、気付けばジリ貧の六年目に達してしまった。事業計画は方向性こそ固く守られているが色んな点で乱れていた。
(どう修正しよう・・・?)
思っている時に色んな業種のサラリーマンと呑む機会を得た。同年代のサラリーマンも悩んでいる。止まらない海外進出。止まらない上下の愚痴。止まらない社会への絶望。止まらない自身への不安。目の前にある風景は見え過ぎて心が辛い。どこにいても、どの階層にいても、見える現実が追いかけてくる。
「逃げ場がない!」
「逃げ場はどこだ?」
「教えてくれカラクリ屋!」
「それは昭和歌謡」
「は?」
愚痴の嵐で知る幸せもある。家族がいる。山がある。昭和歌謡が聴ける。酒が呑める。生きている。我々は仕事をするために生きているのではない。生きるために仕事をするのだ。
「幸せだなぁ」
雨の中で歌うデューク・エイセスがたまらない。
「阿蘇〜、カラクリ六年目〜♪ カネに〜、疲れた男が一人〜♪」
作詞・永六輔。替歌・福山裕教。たまらん。
家族に悪いが、もうちょっと遊びたい。
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