第78話 頼むけん来んで!(2012年9月)

私は腹が弱い。胃炎、肝炎、腸炎、十二指腸潰瘍、それら軽度の内臓病を十代で味わい尽くし、二十代にはピロリ菌をやっつけ、ついにはサルコイドーシスという難病指定まで頂いた。
埼玉の名医曰く腹の弱い人は遺伝の可能性が高いらしく言われて調べて驚いた。実父も胃痛に悩まされたクチ、実母は兎角下痢の人。つまり胃弱の掛け合わせが私。胃弱エリートであった。
そんな胃弱がどうした事か無類の飲食好きときた。しこたま呑んだ後ラーメン食ってバタンキューが最高。朝は焼肉定食、もしくはカツ丼が理想で、ご馳走といえばスキヤキかビフテキ。それらを思う存分酒と楽しみ、
「殺してくれー!」
のたうち回るが翌の恒例。
「こんなの、二度とごめんなり」
暴飲の度に呟くが嫁は聞き流しのプロ。そしてマイペース。揺るがず自分の食いたいものを自分のタイミングで食わねばならぬ。
「お腹が悪いのね、そういう時はビフテキよ」
苦しむ私にコッテリたまらぬ肉を出す。出されたものは綺麗に食べる。よって慢性的に下痢というのが最近の私であり、丸二ヶ月そういう状態が続いている。
そんな、ある夏の日…。
前日の呑み会で腹を壊した私はその日も下痢であった。それも強烈な下痢で終わりが見えず、排出部は燃えるように熱く、噴出す汗は全身をネットリ包むただならぬそれ。籠もるは一畳ほどの脱糞所。出るに出れず、出てもすぐに舞い戻るという最悪の日であった。
この日は集落のキャンプ。昼から移動という流れであったが家族全員先に行ってもらい、体調不良の私は後からバイクで追いかけるという段取りを取った。バーベキューは夕方スタート。夕方にはこの状況も落ち着いているという計算だったが一つ大事なモノを渡し忘れた。生ビールのジョイントヘッドであった。樽、サーバー、ガス、全て現地にあり、現地は準備を終え、グラスを用意し、呑むぞという段階で、
「なっ!ないっ!」
その事に気付いた。そして電話をかけてきた。
「ヘッドがない!ヘッドがないと呑めない!ヘッド!ヘッド!ヘッド!」
私のミスであった。どこにあるか。手元にあった。私のポッケに入っていた。チューインガムや夢なら良いがジョイントヘッドは良くない。彼らが夢見る「ぷはー!」が私のポッケにあった。
「分かりました、すぐ出ます」
「すぐだよ、すぐ!すぐだからな!」
トイレから出た私は念のためにキッチンペーパーをパンツの中へ忍ばせた。あくまで念のためだが念には念がいる状況で油断ならなかった。
バイクの小刻みな振動は予想以上に内臓を揺らした。信号による加減速が私の意識を朦朧とさせた。脂汗が引かなかった。熱いはずのそれは風に吹かれて冷や汗となり、私の体温を容赦なく奪った。夏である。暑い。しかし寒い。腹が冷えた。エンジン音を掻き消すほどに腹が泣いた。
「ギュルルルルルルル!」
「腹!落ちつけ!我慢せい!頼む!もうちょっと耐えよ!」
「ギュルルルルルルルルルルルルル!」
「あ、ああ、あああ、うっ!」
私はバイクを放り投げた。次いで土手を駆け上がった。
場所は外輪山、高森町の旧道で幸い交通量は少なかった。もっと奥へゆくべきだったが状況がそれを許さなかった。道から数メートル、草を隔てたその先で私は半裸となった。そして出るもの出ぬが搾り搾った。
何ゆえ脳はこうも体を苛むのか。肛門が叫んでいた。
「無理です!出ない!痛い!燃えるように痛い!私が何をしたって言うの!」
脳も叫んでいた。
「私は悪くない!胃腸の求めに応じただけ!悪いのは胃腸だ!」
胃腸も叫んでいた。
「私のせいではない!悪いのはDNA!お前だ!」
DNAも叫んでいた。
「馬鹿野郎!悪いのは許容を超えて飲食したお前だ!謝れ!福山裕教!」
「ご…、ごめん…」
夏の終わりの草むらで私は力尽き、うなだれた。
「こんなの、二度とごめんなり」
また同じセリフを吐いてしまった。
と、その時である。
「どぎゃんしたか?」
どこからかオッサンの声が聞こえた。草むら越しにオッサンが見えた。オッサンはこちらに駆け上がって来た。
オッサンはバイクの後ろを軽トラで走っていたらしい。すると前ゆく私が急にバイクを放り投げ土手を駆け上がった。オッサンは急停車した。
(何かある!)
思ったのは当然であろう。
オッサンは走った。そして叫んだ。
「どぎゃんしたか?」
苦しみの脱糞を瞬時に終えた私は猛烈に焦った。
「来んで! 頼むけん来んで!」
草むら越しの焦りにオッサンは確信した。何かある。自殺かもしれない。俺が救っちゃる。
「待っとけ!すぐ行く!」
「来んで!頼むけん来んで!」
「分かった!すぐ行く!」
「あっ!」
「ああっ!」
「あああっ!」
草むらを掻き分けたオッサンは完全に凍りついた。むろん私も凍りついた。
「ご、ごめん」
オッサン、目を逸らすのも悪いと思ったのだろう。私と目を合わせたまま後ろ向きに去った。むろん無言の私も目を逸らす事はなかった。こういう時は迫力が命、全てを受けとめる勇気が必要であった。
しばらくして軽トラが申し訳なさそうに低回転で去った。私は我に返り、尻を拭くべくキッチンペーパーを探した。そして、
「ああっ!」
また泣いてしまった。焦ってペーパーを落としていた。モノに直撃。再利用不可。「ご臨終」と言わんばかりの見事な位置にふわり落ちていた。
涙で何も見えなかった。その辺の葉っぱで尻を拭き、痛みを堪え再度バイクに跨った。バイクの荷台には黄色いミカン箱を設置していた。走りながらコロコロ鳴るので見てみると幾つかピーマンが転がっていた。オッサンのオッサンによるオッサンのための優しさらしい。
ビールヘッドを届けた後、私はすぐ横になりたかった。が、それを許してくれる集落ではなかった。
「呑むべい!」
すぐに酒盛りが始まり呑まないと叱られた。終了は午前様であった。
私はこの出来事を呑みの席で言うか言わぬか迷った。間違いなく酒の肴になるだろう。が、言わぬ段階で既に「下痢ピーのピー太郎」という名を頂戴し、子供にも、
「ウンコくさっ!」
と、百回は馬鹿にされた。これ以上凄みを増してもしょうがないし、あのピーマンを食って「うまい」と言った集落もいい気がしないだろう。だからあえて時間を置き、わざわざ書いた。
集落繋がりで話を外す。
この集落はホルモン焼きが美味い。激辛の味付けにコリコリの肉質、最高に美味い。これをビールで流し込み、みんなで痛風になろうと日々努力している。
「痛風だ!みんなでなろう!みんなでなれば怖くない!」
怯え肩組む集落に私はよく叱られる。
「なぜホルモンを食わん!食え!お前も痛風になるのだ!」
気持ちは分かる。が、胃弱エリートは一撃必殺の激辛ホルモンが恐ろしい。皆は痛風業苦に怯え、私は胃痛に怯え、延いては競争原理に怯えている。明日にも怯えている。何かに怯え肩を組むのが中年男子の健康なカタチであろう。
「頼むけん来んで!」
怯え、焦り、叫ぶ半裸の私、それはまるで中年男子。どうあがこうと来るものは来る。来ないものは来ない。が、とりあえずあがけ。あがく事が中年男子の使命である。
そうだ。死にたくなったあの瞬間も時間が経てば笑い話。人は生きねばならない。死んではいけない。恥を笑って曝け出し、死ぬまで生きるのだ。光はある。きっとある。
あのオッサンも忘れているだろう。忘れているに違いない。きっと忘れている。忘れていると信じたい。念じたい。
隣町のスーパーでオッサンの声を聞くと身構えてしまう。が、それでも私は生きている。
私は今、中年時代を謳歌している。
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