第89話 末っ子天王山(2013年10月)

思い込みで憧れている。
「末っ子ってどんな気分で世の中を見ているのだろう?」
末っ子が好きだ。好きだから嫁も末っ子、親友も末っ子、末っ子は気分がいい。
彼らに共通するのはテキトー。感じで書く適当とは違い、カタカナで書くテキトー、つまり森羅万象を右から左に受け流すテキトースペシャリストである。
今朝、嫁の太ももに巨大なアザを見た。
「どうした?」
「知らない間にぶつけてた、いつもの事」
三女もやたらケガして帰る。その原因は分からない。が、ケガを知った瞬間、末っ子パワーが爆発する。
「ケガしとるけんプリン買って!えー!買ってくれんと!バカー!アホー!どっかいけー!」
末っ子は万物を他人事だと思っている。が、自分の事だと分かった瞬間ヘンなスイッチが入る。
テキトー、自由、甘え上手。そして一番の強みは万物我関せず。全てはヨソの話という天のスタンス。たまに地上に降りてくるが、そのタイミングは予測不能。不意に降りてきて感情を爆発させる。で、叫んでるかと思ったら笑ってる。飯食ってるかと思ったら寝てる。喋った事は次から次に忘れてる。
「自由!あんたたち自由!超憧れ!」
末っ子って何だろう。なぜこれほどまでに長男長女の心を掴むのだろう。
10月5日…。
ミスター末っ子の呼び声高いN太陽と末っ子を感じる旅に出た。
N太陽を紹介する。彼は深い深い山の中で三人兄弟の末っ子として生まれ育った。彼の家へ行くには専用の山道を行かねばならず、その突き当りが彼の家。隣家はない。新聞屋もそこへゆく事を拒否し、麓まで新聞を取りに行かねばならない。災害で停電しても後回し。最高10日停電したそうだが、その家曰く大して困らなかったそう。つまり、あくせく社会との縁が薄い。
この貴重な環境で純粋培養された末っ子は衝撃的末っ子に育った。彼とは十代後半に会った。最初、彼の挙動全てがウケ狙いかと思った。食いたい時に食い、寝たいときに寝、思う存分大放屁、野性味溢れているくせに人目だけは気にする末っ子。要領悪いくせに要領いいフリをし、それによって生じた全ての事象を省みる事もせず、全てを運の問題で処理する大物っぷり。言葉に重点を置かず「おう」「あー」「やっ」で生き抜く大胆さ。
「憧れるー!」
憧れのN太陽が隣にいる。集合場所は大阪と京都の境、山崎であった。
私は熊本、N太陽は愛知から来た。出発の数日前に電話をかけて誘ったところ「おっ」という返事が来た。「おっ」は太陽語で承諾を意味する。
彼は天王山を知らなかった。知らないから登りたいらしく、事前に調べたらしい。
「どんな山?」
戯れに聞いてみた。
「あう!」
忘れたらしい。
天王山は天下分け目の山である。今でも大事なところで「ナントカの天王山」と言う。つまり、関ヶ原に並ぶ日本史の要所である。本能寺で信長が焼け討たれた後、中国地方にいた秀吉が全速力で駆け戻り、明智を討った。その場所が天王山周辺という事になっている。
山崎駅の裏が天王山である。この山は名声高いが標高は低い。270メートルしかない。
駅で地図を貰った。今回は思いつきなので何も調べてなかった。歩道が整備されているらしい。駅から頂上まで約1時間。地図が言うに見所が多かった。酒解神社というのがあった。昨日の酒が残っている私には実に魅力的な神社であった。
N太陽は登る前にコンビニへ走った。飲み物を買うのかと思いきや携帯の充電器を買った。スマホは電池の消耗が激しいらしく新幹線でゲームをしたら尽きてしまったらしい。
「1000円もした!これで3台目!」
電池で充電するタイプを買った。包装紙をビリビリ破って捨てた。3台目という事は出先で充電が尽きる度に買っているのだろう。ぼんやり眺めていると、
「コネクタが合わーん!使えーん!」
暴れ始めた。不思議であった。なぜ三度目なのに間違えるのだろう。包装紙を破っているから返品出来ず諦めた。
さて…。
駅から頂上まではひたすら登りであった。N太陽は坂に強い。体力もある。そう思っていたが汗だくでバテていた。運動不足で太ったらしい。
彼は数年前彼女にふられた。ふられた理由が「アナタといるより自転車に乗ってた方がマシ」というもので、彼は恋敵の調査をすべく自転車に乗り始めた。そして納得した。
「こりゃ楽しい!俺といるより遥かに楽しい!」
N太陽、自転車にハマった。週末はロードレースに出、ふられた鬱憤を晴らしていたはずだが、どうやらそれも飽きたらしい。最近はゴロゴロしてるそうで、痩せ身の彼もついに太ってしまった。今現在はダイエット中で米抜きダイエットに挑戦しているらしい。
「恋人募集中の男が太っちゃいかん」
N太陽はそう言いながらハァハァゼイゼイ前を歩いた。
「やるな、低いとはいえなかなか良い道、うん、さすが天王山」
後ろから彼を見ていて三十路後半独身男性の悲哀を感じてしまった。独り言が多くなるのもしょうがない気がする。彼は今、猛烈に恋人を欲している。この文章を読んで「彼みたいなタイプが好き」という女性がいたら是非アソカラに連絡が欲しい。
話が脱線した。
登り登って数十分、酒解神社に着いた頃、体の調子が良くなった。昨日のアルコールが抜けたらしい。ここまで歩いたら酒が抜けるという意味で酒解神社ではないか、何はともあれ名前がいい。こういうのは由来を調べぬ方がいい。鎌倉期の創建だけを知り、賽銭投げて謝辞を述べた。隣ではN太陽が良縁成就を祈っていた。彼は神の種類を問わなかった。賽銭箱を見付けると必ず小銭を投げた。
「惜しむべきは銭ではない!良縁の可能性だ!」
言わんばかりに銭を投げ、縁を求める銭形平次と化した。
「事件!事件!齢36!独身貴族は事件である!投げる!投げる!銭投げる!良縁に当たれ!」
当たる事に期待したい。
頂上に着いた。頂上は山城跡の美しい体を成していて趣があった。
駅から頂上までは老人の集団が多かった。登山ブームで距離も手頃。駅からも近い。老人会で登るには丁度いいのだろう。皆、過ぎるほど元気であった。
関西弁の集団はどこにいてもよく目立つ。そもそも、この言語団は目立ちたがりの素質が違う。皆、見られる事を意識して喋るから瞬時にボケ・ツッコミの役割が確立される。中でも「値切りの私」は関西人の見せどころ。ここでは見れないと思っていたが、何と神社でも見れた。玉串料を値切っている老人がいた。
「まけてぇな、先の短いジジイやで、いい夢見せてぇな」
面白い。面白いが、値切るのはキャベツに車、カタチのあるものがいい。見えぬものを値切ると夢や生活も値切られそうで老人のその後をチョット心配してしまった。
我々は頂上から先を目指した。先へゆくと老人の集団が消えた。老人は頂上から引き返すらしい。こちら若者組は天王山を縦走し、東へ抜け、麓を歩いて山崎駅に戻った。
結構歩いた。喉も渇いた。なぜ歩くのか。それ即ち美味い酒を呑むためであった。今日の目的は天王山にあって天王山にない。末っ子と呑む美味い酒であった。麓の山崎駅から西へ少々山崎蒸留所ある。そこはウイスキーの聖地で工場見学ができる。予約を入れていた。
ウイスキーは最近呑むようになった。ウイスキー党のお客さんがいて、その人が残していったものをチョビチョビ呑んでたら意外と呑めるようになった。初心者ゆえウンチクは語れない。が、国産で山崎が最高峰という事は知っている。知っているが呑んでない。そもそも分かる舌をしていない。こういうものは気分が大事だと思っている。ゆえ、底辺のトリスとかレッドとか、そういうものを山崎のビンに入れる見栄っ張りの貧乏人であった。
隣のN太陽に至ってはウイスキーが何なのかさえ分かっていなかった。菅野美穂が色っぽいとか言ってたので菅野美穂のあだ名がウイスキーで、ハイボールは野球用語、内角高め速球がハイボールと思っているかもしれない。
二人はこういうところへ来てはいけなかった。が、山崎駅の隣に蒸留所があり、つい予約してしまった。工場見学は無料コースと有料コースがあり、午後は全て有料コースであった。大人なので1000円の有料コースを選んだ。工場見学の後、ハイボールのウンチクが聞けるらしい。
案内の時間まで少し時間があったので駅前のレストランで飯を食った。N太陽は米を食わないダイエット中なので肉を食った。途中「足りん」と言って揚げ物を頼んだ。更に「足りん」と言ってタコを頼んだ。とにかく米を食わなきゃいいらしい。よく分からぬが彼による彼なりのダイエット論であった。
軽く一杯のつもりがビールに焼酎、普通に呑んだ。軽く酔った。二人ともいい気分で蒸留所に着いた。
工場見学の一団は30人ほどいた。Yさんという女性に案内された。大部屋で軽く説明を受けた後、工場へ流れた。工場見学は意外と言っちゃ申し訳ないがホント意外に楽しかった。凄く良かった。夢中になった。焼酎とは違うシャレた蒸留釜を熱気ムンムンの中で見た後、少し寒い貯蔵庫で樽の陳列を見た。貯蔵庫にはアルコールが舞っていた。立ってるだけ酔い心地になれる何とも言えない酔い空間であった。焼酎党として悔しいが工場見学で絵になるのは圧倒的にウイスキーだと思ってしまった。
そもそもサントリーが描く工場見学の構成・脚本が見事であった。燃えるような青年期、静かに香る円熟期、そして彼らを包む母、それ即ち山崎の水。流れるように成長過程を見せた後、卓越したブレンダーの登場。
「彼らの味は十人十色、その中から最高のブレンドで至極の一杯を作り出す、それが山崎」
「あー!なんと麗しい!だから山崎!山崎なのね!」
高くて当たり前。高くとも買ってしまう。だから山崎。見事な脚本であった。それに案内人Yさんの説明も見事。流れるようで的確。無駄がなかった。
「山崎ファンになりそう!なぁ、太陽!」
「山崎はどうでもいい!俺はYさんのファンになった!買う!Yさんの言うがまま買う!」
N太陽に至っては工場見学が見えなくなってしまった。物語を奏でるYさんの虜になってしまい、
「この蒸留釜、凄いなぁ」
「うん凄い!Yさんの顔小さい!手に届かないあの雰囲気がいい!たまらん!」
意味不明。会話すら出来なくなってしまった。
工場見学の後はお待ちかねの試飲であった。試飲といえども有料コースだけに本格的であった。ハイボールの美味しい作り方を学んだ後、角、山崎、山崎12年、白州のハイボールを呑み比べるというもので一杯一杯の量が普通。つまり試飲と言えども酔うほど呑めた。
試飲中、N太陽は興奮の極みにあった。案内人Yさんの説明と彼の反応を列記する。
「山崎12年にはこのケーキが合うと私は思います」
「合う!合うー!絶対合うー!そして買うー!」
「こうやって専用のグラスに入れて空気を含ませ口に入れます、ね、ちがうでしょ」
「専用ちがーう!ぜんぜんちがーう!絶対買うー!」
「余談になりますが、工場見学記念セットを売店で売ってます」
「買うー!買ちゃうー!高くても絶対買うー!」
独身貴族N太陽は違いが分かるのだろうか。分かると言っているがどうも怪しい。彼は言われるがままツマミを食い、酒は一気、味わう暇なく呑み干した。そしてYさんの言うがまま工場見学記念セットを買い、
「オレ、今日からウイ好きー!」
なんとウイ好きー宣言をしてしまった。恐るべき信心、恐るべきYさん、恐るべきサントリーであった。
山崎蒸留所を出た。
残念ながら二人とも遠方から来ていた。二次会に行けなかった。N太陽は新幹線で愛知へ、私は飛行機で熊本に帰る。駅で別れた。別れたフリして観察した。
N太陽はコンビニに入った。また何か買った。期待すべきは朝と同じ充電器を買って「コネクタ合わーん」そう言って欲しい。が、何を買ったか分からなかった。赤い顔のN太陽はコンビニのビニール袋を持って挙動不審な動きを繰り返しニヤニヤ笑って駅に入った。あのニヤニヤは案内人Yさんの言葉を反芻しているのだろう。帰りの新幹線はいい夢見れるに違いない。いっそ終点東京まで乗り過ごして欲しいが、それから先は分からなかった。
末っ子の余韻が続いた。想像が止まらなかった。彼は家に帰り、買ったウイスキーを出し、Yさんに言われた通りグラスいっぱい氷を入れるだろう。Yさんはウイスキーも冷やせと言った。が、帰ったばかりじゃウイスキーを冷やす時間がない。彼は鏡に向かって謝る。間違いなく謝る。
「Yさんゴメン!約束守れん!てへっ!」
工場見学セットには山崎の水で作ったプレミアム炭酸水が入っていた。ぬるいそれを使う必要はないが、彼はあえて使うだろう。なみなみ注ぎ、
「違う!やっぱ違う!ウイスキーは山崎!プレミアム炭酸水!そしてYさん直伝ハイボール!」
叫ぶに違いない。
私は遠い。熊本で身悶えた。
「太陽が呑むハイボールをソッと取り替えたい!私が呑んでるトリスで作ったハイボール、これと取り替えて草葉の陰から観察したい!」
N太陽はトリスを呑んでこう言うだろう。
「違う!ぜんぜん違う!」
そして私は叫ぶだろう。
「違う!ぜんぜん違う!」
「いたのか福山!俺とお前は蒸留所へ足を運んだ身!互いに違いの分かる男だ!」
「そうだ!違いの分からない男はバカだ!」
「そーだバカだ!バカ万歳!」
「バンザーイ!」
私は悶絶するだろう。笑い死にするかもしれない。笑って死にたい。
末っ子が好きだ。考える余地がないほど末っ子が好きだ。右も左もテキトー。テキトーに囲まれ、末っ子パラダイスで暮らしたい。
天王山を越えて分かった。幸せはテキトーなところに降る。
嗚呼、末っ子と呑みたい。
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