第119話 雨のくにがみ放浪記2(2016年7月)

昼をたっぷり過ぎてから名護の街を出た。
ひょんな事から名護に長居してしまった。これも旅の醍醐味で、決められたルートをゆく観光ツアーでは醍醐味は得難い。
この日は国頭村の奥という集落で旅人の間で名高い奥仙人に会うと決めていた。この奥仙人は噂によると5秒に1回ダジャレ、もしくはシモネタを言うらしい。
「ほんと凄いよ、マシンガントーク」
知り合いの土産話を聞いてからずっと気になってた。
事前にネットも調べた。賛否両論。ベタベタに褒めてあったり、けちょんけちょんにけなされたりしていて更に気になった。どうせ会うならそういう人がいい。万人に愛される人などつまらない。

ところで沖縄を旅するに際し、何度も何度も旅のシミュレーションをした。枕元に今昔の地図を置き、寝物語に読み耽るという作業であった。
沖縄本島は那覇周辺の南側に人がいて、北は山原(やんばる)と呼ばれ、手付かずの自然が残っているらしい。
「やんばる」
いい響きではないか。枕元で地図を見てると小型のキジみたいなヤンバルクイナがチョロチョロ走り回っている様が目に浮かぶようで何度も何度も夢の中で戯れた。
それに私は山育ちだから海より山に惹かれるたちだった。海や港(都会)は開放的で明るい人が多く、山や田舎はむっつり閉鎖的、どっちかと言うと後者が好みで、旅の面白味はそういうところに転がってると思い込んでる節があった。
「奇妙キテレツ探すなら田舎と山を巡るべい!」
そういうわけで都会は名護のみにとどめ、田舎ばかりをゆく事にした。



縦走ルートの国道58号線を真っ直ぐ北へ進み、途中絶壁を見るため山中に逸れた。
沖縄では絶壁の事をバンタと呼ぶらしい。茅打バンタという絶壁に寄った。



カップルがキャーキャー叫んで楽しそうだった。カップルの喜びを吸収すべく隣に立った。ぜんぜん楽しくなかった。吐き気がした。そう、私は高所恐怖症だった。

茅打バンタの先に本島最北端・辺戸岬があった。辺戸岬もサンゴ質の絶壁で基本視界が高く楽しめなかった。が、一箇所だけ興味深いスポットがあった。
「祖国復帰闘争碑」という重苦しい石碑があった。なぜか日本人が一人もおらず、アメリカ人だけがたくさん集まっていた。



アメリカ人はその巨大さから推測するに全員軍人ぽかった。碑文の意味は分かってないと思われた。
「ここが辺戸岬さ!イェーイ!」
そう書いてあると思っているに違いない。全員笑顔で記念写真を撮っていた。フォーフォー叫んでノリノリ。まさかこの碑が目の敵にしてるのはあなた、そう、知らぬ仏のアメリカ人とは夢にも思ってないだろう。
巨人は石碑にキスをした。台座に乗ってポーズを決めた。何だか凄い光景だった。私には石碑の声が聞こえた。
「やめろ!お前と闘った歴史を俺は忘れない!忘れぬために俺はいる!」
「ノープロブレム!イェーイ!ブッチュブッチュ!イェーイ!」
「やめろー!」
巨人の連続キスはやまなかった。私は距離を置いて観察した。
「踊ってピクチャー楽しむYO!」
終始ノリノリ、さすがアメリカ凄い国だと思った。

凄いといえば、こちらも凄かった。白光真宏会。
この団体は日本中のありとあらゆる場所に「世界人類が平和でありますように」と書かれた棒を突き刺す団体で、ここにも突き刺してあった。



歩いて行くには超難儀、崖の果てに突き刺してあって、一切文字が読めないところに意味不明の凄味を見た。

凄味と言えば金余りの余韻も凄かった。
沖縄には今も昔も基地負担の問題で大量の公金が注がれている。住民全体に行き渡ればいいが、それらは凡そ土木、箱物、観光に消えるらしい。(酔ったおじいの話)
予算を使い切れなかったらどうなるのか。とりあえず巨大なモノを作るそう。
山の方を見たら巨大なヤンバルクイナがいた。観光案内のボードによると、あれは「ヤンバルクイナ展望所」らしい。



見てしまった以上、行かねばなるまい。車を走らせた。
離合不能な狭い道路の果てにその展望所はあった。
入口(後姿)はこんな感じだった。



クイナの中に入れるかと思いきや、その隣がコンクリート造りになっていた。
回って正面から見るとこんな感じだった。



クイナはFRP製で、コンクリートに引っ付く事で倒れないようになっていた。
展望所の中は至って普通だった。無味無臭のコンクリート造りで何一つクイナっぽさがなかった。



ところで沖縄の信仰は基本自然崇拝で、ニライカナイという遠い東の海から神様(先祖)がやってくると考えるらしい。必然、陸と海の境を大切にし、海岸、及び岸壁は生と死の境として信仰的意味を持った。
「岸壁の巨大ヤンバルクイナに信仰上の問題はないの?」
近隣の海人(うみんちゅ)と呑む機会を得たので戯れに問うた。海人が言うに信仰的な事はよく分からんそう。分からんけれど海人は験を担ぐ。岸壁奥の山林は神様が来訪する場所で御嶽(うたき)と呼ばれる聖地であり、その聖地を塞ぐようにアレが見えるのは何となく気分が悪いそう。
漁場の広い範囲から、この巨大なクイナがまっぽし見えるらしい。見れば見るほど労働意欲が萎えるので見なかったフリをするそう。
聞いてて二葉百合子の「岸壁の母」を思い出した。帰って来いと待つ母の海を見つめる母心が大ヒット。私もヒットが欲しいと思った。
「見ないフリして通り過ぎる琉球海人・心の叫び、その名も岸壁のクイナは如何?」
上は酒の肴として口にした。が、海人はのってくれなかった。鼻で笑われ流された。ヒットの予感はしなかった。

更に巨大な建造物は続く。岬のすぐそば、ロードサイドに巨大な亀の休憩所があった。



これも呑み会の際、少しだけ話題になった。
「ほんといらん」
「ほんと腹立つ」
地元の人が声を揃えてそう言った。
金余りで造った巨大なモノは地元の怒りに変わるという事を知った。打ち捨てられても目立つゆえ、総じて残念な今を迎えていた。

今夜の目的地、国頭村の奥という集落に着いた。
到着が早過ぎたのか、その家に人がいなかった。
仕方がないので車を降りて傘を差し、集落を歩いた。



海岸を生と死の境と考える沖縄の信仰は今も生きていて、亀甲墓は基本そういう場所にあった。
古く、と言うても戦前の話らしいが、沖縄は風葬だった。火葬せず、遺体を数年放置し、皮と骨になったら海の水で洗って洗骨し、巨大な骨壷に入れ、ガマと呼ばれる自然の横穴に安置した。ガマが時を経て亀甲墓になった。骨壷がデカいから墓は巨大でなければならず、旅人はこうして立ち止まるに至った。
そうそう、亀甲墓のカタチは子宮を表してるらしい。人は子宮から産まれ子宮に還るというのが沖縄の循環らしい。



二つ穴の墓もあった。
「異母兄弟が眠る墓ですか?」
色んな人に聞いたけれど「知らん」と言われた。墓を子宮と考えたら色々面倒臭い事も出てくるに違いない。
中には穴が丸見えの墓もあった。家の子宮だから見てはいけないと思ったが、好奇心には勝てなかった。巨大な骨壷と小さな骨壷があった。大きいのは戦前(風葬)、小さいのは戦後(火葬)のそれだと思われた。他に泡盛が眠ってそうな壺も見た。
泡盛好きの人が言ってたけど、20年墓で寝かせた泡盛は最高に美味いそう。長男が産まれた年に墓に入れ、その息子が20歳を迎える年のシーミー(清明祭:沖縄の墓前祭)で呑むそう。
シモネタ好きのおじいがその寝かせた泡盛を「奇跡の雫」と呼んだ。家の子宮が放つ20年に一度のラブジュースだそう。表現は兎も角として親族団結の見事な仕組だと思った。

さて、奥の仙人、奥仙人である。
集落を一通り歩き、車に戻ると仙人がいた。見た目からしてモロ仙人、ひげボーボーのその人は当たり前のように半裸だった。
いちおう民宿という位置付けらしく、部屋と設備を案内され、
「夕食までは勝手に遊んでて」
そう言われた。
私は無類の寂しがりで一人遊びが苦手だった。が、部屋には2匹のヤモリがいた。熊本で見るのとは色が違って薄灰で、真っ黒目玉が飛び出てた。一番違ったのはケケケと鳴く事で、これは驚いた。沖縄のヤモリは鳴くと聞いてはいたけれど、この声量は想定外、ビンビン響いた。
巨大ヤドカリもいた。ベランダにいた。オカヤドカリという種類らしく、こいつも部屋に上げて一緒に寝た。
ヤンバルクイナはいなかった。仙人曰く簡単には見れないらしい。早朝、山の方へ行くと、稀に、運が良ければ見れるそう。
仙人は噂と違って普通に喋る人だった。が、酒を呑んでご機嫌になると噂通りの強烈キャラになった。
その日は土曜という事もあり、他にもたくさん客がいた。那覇から政治家の老夫婦が一組、長野県から中年夫婦が一組、北九州市から冒険家のグループが大勢、近所の漁師も集まって大宴会になった。
みんな酒や肴を場に提供した。私は高専の先生に頂いた香仙という泡盛を出した。
「高専だから香仙!名前はイマイチだけど味最高!」
仙人が美味いと言ってゴクゴク呑んだ。政治家も美味いと言って水のように呑んだ。本当に美味いのだろう。真っ先に香仙が空いた。
前夜もそうだが沖縄の宴会は何だか凄かった。何だろう。エネルギーが凄かった。何かがゴーッと流れてる感じがした。
酒の肴も凄かった。仙人の奥様が次から次にご馳走を運んできた。仙人はテーブル中央にどかんと座り、噂通りダジャレとシモネタをハイピッチで唱え続け、客に喋る隙間を与えなかった。
「奥様も一緒に呑みましょう!」
誰かが仙人の奥様を誘ったけれど凛として断られた。
「この人が起きてるうちは絶対呑みません」
奥様は黙々と仕事をし、仙人はドンチャン騒いで酒を呷った。
「嗚呼南国だ」
しみじみそう思った。奥様の冷静な瞳が名護の球場で見たおばあとダブった。
「夫はどうしようもなく遊ぶ、どうしようもなく暴れる、いずれ何かやるかもしれない、私がちゃんとしなきゃこの宿は潰れる、私がちゃんとしなきゃ」
沖縄おばぁのエネルギーは母性だろうか。夫に対するエネルギーだから母性じゃない。浪花節のエネルギーは何と言うのだろう。よく分からぬが、この奥様も遊べぬ男はつまらないと言うかもしれない。
奥様の発言に全神経を傾けた。が、奥様は黙々と仕事をし、ほぼ無言だった。
私は疲れた。
前日が遅かったというのもあるが、噂以上のハイピッチダジャレは想像以上に辛かった。
若い地元漁師の綺麗な瞳も痛かった。名刺交換が始まると漁師は私に食い付いた。
「カラクリですか!僕、漁師だけどモノづくり大好きっす!」
何だろうこの瞳。吸い込まれるような黒目を持った青年だった。
「どうぞ、これ僕が獲ってきたマグロ、食べて」
彼が口を開くたびにキラキラ何かが舞い散った。
彼が獲ってきた魚は今まで食ったどの魚より美味かった。
「美味いっしょ!今もんっすから!」
今もんというのは冷凍冷蔵してない魚を指すらしい。
彼は漁師という仕事に誇りがあって、私が「美味い」と言って喜ぶと満面の笑顔でキャッキャ騒ぎ、次いで魚を語り、次いで船を語ってモノづくりの話をした。
「こういう機構が欲しいっす、カラクリ話を聞かせてよ」
この青年を汚してはいけないと思った。青年は「オカにいると気が腐る」そう言った。海人は海上で気を洗うらしい。
私は海に出ず、人間のるつぼ、その中にいて、半ば腐ったモノを作り続けている。青年のキラキラが痛かった。地底から這い出、うっかり太陽を見てしまった地底人の気分。目が眩んだ。直視できなかった。
「ねぇ、モノづくりの話を聞かせてよ」
(寄っちゃいけない、離れなさい)
「ねぇ、楽しい話を聞かせてよ」
(楽しい話はない、ゲスに寄るな、その瞳を閉じてくれ)
私はトイレに行くと言って宴席を離れた。
部屋に戻ると2匹のヤモリが同じ場所にいて変わらずケケケと鳴いていた。ヤモリの黒い瞳は青年のそれとよく似ていた。
遠くで仙人のシモネタが聞こえた。次いでシモネタから逃げ惑う女性宿泊客の悲鳴が聞こえた。
「沖縄は凄いところだなぁ」
やんばるの果てでヤモリと見つめ合い、生物多様性について考えた。自然に生きるという事は多様性を認め合う事ではないか。
「ケケケ」
ヤモリの声が子守唄になった。いつの間にか寝落ちした。

三日目の朝になった。
その日は雨だった。ちょろちょろでなく、豪雨だった。
朝食を食べるため部屋を出ると冒険家の一団が帰ってきた。ヤンバルクイナを見るため早朝から山中へ繰り出したけど見れなかったらしい。
冒険家の集団はさすがにアクティブだった。「今日は洞窟巡りをする」そう言い残し、朝飯食ってすぐ消えた。
他の客はまどろんだ。老夫婦も中年夫婦も一匹狼も雨の音を聞きながらゆっくり飯を食い、
「今日は何して過ごそう?」
まずは読書をしようとなった。
仙人の本棚には数え切れぬ量の小説が並んでた。みんな思い思いの本を選び、黙って数ページめくった。が、飽きた。気が付くと雑談に戻ってた。
私だけが小説にハマった。太宰治の人間失格を読んだ。
なぜ、これを選んだのだろう。昨日の余波だと思われるが、これが豪雨と相まってピッタリはまった。仙人はじめ他の客がゲラゲラ笑った。
「旅先で人間失格?ウケるー!」
旅先だからこういう気分になるのだろう。こんな暗い話、普段は絶対読まない。
10時になった。
チェックアウトの時間になるも読み終わらず、玄関先で最後まで読んだ。
帰り際みんな心配してくれた。太宰治が玉川上水で情死したように、この旅人は沖縄の海で何かを抱えて死ぬんじゃないか。
「死ぬな、強く生きろ」
一人の客が私の手を取りそう言った。
私は無言でうなずいた。
「おい、なんか言え」
私は無言を通した。みんなモヤッとした。モヤモヤさせてドロンした。

とりあえず急ぐ旅ではなかった。海も山も真っ白、大雨で何も見えなかったので山道を南に走った。運が良ければヤンバルクイナに会える、その期待もあった。
ヤンバルクイナは沖縄にとってよほど大事な鳥らしい。道沿いに「ケガしたクイナを見付けたらココに電話せよ」という看板が山ほど出ていて、徐行の看板も「ヤンバルクイナのために徐行せよ」と書かれていた。
「見たい!絶対見たい!」
この道を走れば誰もがそういう気分になる。どこにいるのか。会える確率が最も高いポイントはどこか。リサーチすべく人の気配を求め安田という港に寄った。
釣りをしながら泡盛呑んでるおじいがいた。話を聞くと村で飼ってるクイナが坂の上にいて、やたら人懐っこいそう。カネ払ったら見せてくれるらしい。が、そういうのじゃなくて自然のクイナが見たい、その事を伝えると、
「天然ものがいいの、あんた変わってるね、だったら山に入ればいい」
車で走ったら避けるのが大変なほど出るらしい。地図を見せ、その道を聞いた。
「これこれ、ダムの道ね」
やんばるを横断する道がクイナラッシュの道らしい。
奥の仙人は運がよくないと見れんと言い、早朝から出た冒険隊も見れなかった。が、このおじいは必ず見れると言い切った。
私は信じた。おじいを信じて指定の道を車で走った。するとクイナは現れた。
「いた!」
側溝付近を赤いクチバシがチョコチョコって走った。巨大な造り物(展望所)を見てたのでキジぐらいを想像していたらハトぐらいの大きさだった。
ヤンバルクイナは方言名でアガチーと言うらしい。せっかちとか慌て者の意味らしく、確かにチョコチョコ慌ててた。
「かわいかー!」
これで思い残す事はないと思った。ヤンバルクイナはそうそうお目にかかれるものじゃない。早起き冒険隊が見付けられず人間失格の私は見れた。きっと仙人が言うように私は運がいいのだろう。ご機嫌で車を走らせた。すると次から次にヤンバルクイナが現れた。まさかの5回遭遇。おじいの言葉は正しかった。が、見過ぎはよくないと思った。宇宙人も5回見たら犬や猫と変わらぬ感じになる。
「1回でいいのに!もー!」
また出た。
6回目は見なかった事にし、やんばるを去った。
生きる醍醐味(一覧)に戻る