第122話 雨のくにがみ放浪記4(2016年10月)

ちょっとだけ雨が上がった。
沖縄の晴れは海を渡って来るらしい。



遠くに白い線が見え、その線がダーッと押し寄せ晴れになった。
こうなるとタコライスなど捨てて歴史散策をしようという気分になった。古宇利島と屋我地島を歩いて一周するのも悪くない。
二つの島を繋ぐ古宇利大橋のたもとで車を降りた。と、同時に今度は黒い線が海の向こうに見えた。アッという間に暗くなった。土砂降りになった。
「こりゃダメだ」
そういう旅なのだろう。車に戻り、真っ直ぐ金武町に向かった。

金武町は「きんちょう」と読む。キャンプ・ハンセンが町の中央にあって、海沿いだけがニッポンの金武町になっている。
キャンプの入口周辺が米兵向けの歓楽街「新開地」として発展し、これから目指すタコライスもそういう流れで誕生したらしい。
雨なのでどこにも寄らず向かったら9時過ぎにはタコライス屋に着いた。店名はキングタコス。10時半に開くらしい。
「さて、何しよう?」
傘を差してブラブラしてたら「アメリカ出て行け!」と叫んでる集団と会った。暇だから気の良さそうな人に抗議の内容を聞いた。内容はよく分からぬが、とにかくキャンプ・ハンセンを起点に海岸沿いを隣のうるま市まで歩き「アメリカ出て行け」と叫ぶそう。
「午前中いっぱい歩きます」
「雨の中お疲れです」
「ホントお疲れ、困ったもんです」
こういう集団は全員がノリノリかと思いきや付き合いで仕方なく付いて来ている人もいるらしい。テンションの差が激しかった。
一番やる気のなさそうな人に金武町の歴史スポットを聞いた。観音寺を紹介された。
「地下の洞窟がすごいですよ、雨でも見れます、必見です」
集団は南へ向かって行進を始めた。
「アメリカ出て行けー!」
私は集団と逆へ動き、集団から離れた。遠目に見て可笑しかった。人数は30人ぐらいか。熱量の順に並んでて後ろはほぼ寝ていた。

街から徒歩10分ぐらいのところにオススメの観音寺があった。「金武町イチ立派な寺」という話だったけれど地上の拝殿は小ぶりなそれでこれという特徴はなかった。
変わっていると言えば地下に金武宮という本殿があって、拝殿隣に洞窟の入口があり、中は鍾乳洞になっていた。



数名の観光客がいた。その中に若いカップルがいて「だまされた」と嘆いた。何を言っているのかよく分からなかったが、洞窟を出、寺の貼り紙を見、「なるほど」って唸った。



メディアが作った子宝観音を目当てに観光客が押し寄せるらしい。
「そんなのない!絶対ない!うちゃ知らん!」
万物がメディアとカネに寄る昨今なかなか言える事じゃない。感心した。賽銭箱に300円入れて帰った。

雨が上がった。
タコライス屋の開店までもう少々時間があった。
昭和に作られた米兵向け歓楽街をくまなく歩いた。



歩いて分かったが、なぜ私はここを知らなかったのか。下調べの弱さを猛烈に悔いた。昭和が無造作に捨てられていてモロ私の好みだった。
「この街は夜歩きたい!酔った体で!」
車だから酒を呑むわけにもいかず、宿も隣町に取っていてどうしようもなかった。
立ち止まっては「うー!」って叫んだ。嘆きの嗚咽がやまなかった。



更に歩いた。何だろうこの感じ。寅さんのヒロイン・リリーがいるんじゃないか。後で調べたらシリーズ最高傑作「寅次郎ハイビスカスの花」のロケ地だった。
「うー!」
タコライスなんてどうでもよくなった。既に開店時間は過ぎたけど「うーうー」歩いているうちにすっかり忘れた。



地元のばあさんに会った。今も昔もここ新開地で働いてるらしい。
「今はぜんぜんだけど昔はそりゃすごかったよ、この通りが体の大きな外人さんでいっぱいになって毎日がお祭り騒ぎ、ちょっと名残があるだろ」
「あるある!」
名残で酔えるのは日本人の特権かもしれない。名残で酔いたい叫びたい。ぐでんぐでんになって「憧れのハワイ航路」でも歌いつつ昭和にもたれて歩きたい。
古宇利島の人が「沖縄に来たら金武町のタコライスを食わなきゃ」って言った時、私は「えー」って叫んだ。「ウチナンチューにブームのファストフードを食っても旅の醍醐味はないでしょー」って思った。が、オーナーは50回もタコライスの素晴らしさを語ってくれた。
「語ってくれてありがとう!語ってくれて今がある!」
ちょうど歩き疲れた頃、タコライスの事を思い出した。
タコライスはポッと出じゃない。戦後の金武町が土地を奪われ何とか食おうと歓楽街を築き、あがいた末の沖縄の、沖縄による歴史的産物。
「これはマックぽいけどマックとは微妙に違う!テビチ、ソーキ、もずくに並ぶ沖縄のソウルフードだ!」
街歩きの余熱をもってタコライス屋に突入した。
店構えはファストフード店の典型で、カウンター越しにマニュアルっぽい日本語で注文を聞かれた。
メニューはこれもファストフード店の典型で壁に書いてあった。私は壁に書かれたカタカナ語をジッと眺め、そもそもタコライスって何だろうと思った。思って気付いた。私はタコライスの事を何一つ知らなかった。
メニューのタコライスを追った。三種類書いてあった。
「タコライス」
「タコライスチーズ」
「タコライスチーズ野菜」
意味不明だった。全くもって何の想像もできなかったので最も高級な「タコライスチーズ野菜」(600円)を頼んだ。
「はい、どうぞー」
さすがファストフード。恐ろしいレスポンスでタコライスが出た。



「このビジュアル何?」
私は宴会の残りものをパックに詰めて持って帰る事をライフワークとしているが、それと全く変わらない夜の土産が出た。
「パックにゴチャ詰めはいかん、残りもの感100%」
しばし眺めた。それから店員が言うた通り、お好みでソースをかけた。
「このビジュアルが沖縄の心なら従おう」
ここはキャンプ・ハンセンの城下町、四捨五入したらアメリカ。異国の文化を楽しもう。前に進もうと思った。スプーンを持った。
「これはアメリカの食いものだ」
宴会翌日・自宅朝食の気分をアメリカで誤魔化し、人生初のタコライスを頬張った。
「うん!想像してた味!」
一口目はうまかった。
食って食ってソースをかけた。混ぜた。食って食って違うソースをかけた。混ぜた。食って食って、
「はぁ」
スプーンが止まった。止まって気付いた。
「アメリカ重い」
野菜はいい。米もいい。肉もまぁいい。チーズが減らん。チーズがぜんぜん減らなかった。



隣の人はこの店の常連で地元の人らしい。タコライスだけじゃ足りないらしく、チキンバラバラという鶏の盛り合わせ(超山盛り)も食っていて、付属のソースも丸々2本使い切り、私のソースもいるかと聞いたら「いる」と言い、全部綺麗に飲み干した。
「すごい食いますね」
「タコライスはソースと一緒に飲むもんさぁ、この辺の男はこれぐらい食うよ」
ウチナンチューの低重心を支えているのはアグーだと思っていたけれど、それだけじゃない事を知った。
ちなみにこの常連は水筒持参で水筒の水をうまそうになめてた。
「君も飲む?」
聞かれて嫌な予感がした。
「久米仙ですか?」
唯一知ってる泡盛の銘柄を告げたら「チッチッチッ」アメリカっぽく違うと言われ、「正解はウイスキー」ドヤ顔された。
朝11時からタコライスと鶏肉盛り合わせ、そしてウイスキーをガブ飲みする低重心のウチナンチューと接し、
「嗚呼、僕は旅の途上だ」
しみじみそう思った。
生きる醍醐味(一覧)に戻る