第123話 雨のなかがみ放浪記1(2016年11月)

金武町を離れ中頭(なかがみ)地区に入った。前に書いたが沖縄本島は三つの地区に分かれていて、中頭が本島の真ん中にあたる。
この日も特に行くところを決めておらず、天気は雨、空を見て行き先を決めようと思った。南の空が明るかった。南へ下った。



カーナビの使い方にもやっと慣れてきた。史跡を集中的に表示させる事もできるらしく、そのように設定したら近くに伊波(いは)グスクが表示された。
ちょうど雨が上がっていたのでナビの言うまま右へ左へ分け入ってグスクの頂に立った。



伊波グスクも防衛機能を必要としなくなった後、祈りの場所になっていた。説明板が言うに自然石の積み上げで城と祠ができてるらしい。が、自然石と言うにはスカスカのボコボコで、どうもサンゴ成分らしい。山から来た旅人には極めて不自然な光景に映った。
ちなみに、この城を発祥とする伊波の血は琉球の名家らしい。本土における源平藤橘みたいなもので「伊波は名家、そりゃ名家ですよ」って恩納村のおじいも言った。
ちょうどこの時期、参院選の真っ只中で伊波という人が立候補しており「イハ」と書かれたポスターやノボリを千枚は見た。



沖縄選のトレンドは赤字のカタカナ表記らしく、移動しながら横目でたくさん「イハ」を見た。たくさん見ていると縦書きの「イハ」が「禿」(はげ)の一字に見えてきた。が、この候補者はふさふさで全く面白くなかった。

先に進む。
世界遺産の勝連グスクが目と鼻の先にあった。立ち寄るべく車を出したら雨が降ってきた。雨のグスク散策は既に経験済みで、濡れてしまうと後が面倒、よって島へ向かった。
「金武湾に浮かぶ四つの島が立派過ぎる道で繋がってます」
雨宿りの喫茶店から海中道路というオススメの道を教えてもらった。干潮時に歩いて渡った道が片側二車線の広い道路で繋がったそう。喫茶店曰く千倍のスピードで島へ渡れるらしい。
「どうせなら海中道路の突き当り、終わりまで走ろう!暇はある!」
雨で煙って何も見えないけれど「行った」という記録だけは残そうと奥へ奥へ走った。が、突き当たりのちょっと手前で門番に止められた。一番奥は金持ち用のリゾート施設になっていた。
「ストップ!ストップ!」
なぜ日本人に英語なのか分からぬが英語で止められ、その後、英語みたいな日本語で、
「ルックルックカンバン!ミナサーイ!」
白い看板を見るよう勧められた。



会話ってのは不思議なもので英語っぽく言われると英語っぽく返してしまうものらしい。
「ノーカンコウキャク!タビビト!イカセテ!ホワーイ?イキターイ!」
「ダメダメ!ルックルックカンバン!」
100%日本人の二人が片言の問答を繰り返す中、金持ちの外国人が笑いながらゲートを通過していった。それを見て私も門番もハと我に返った。
「とにかくお引き取り下さい」
「分かりました」

ところで突き当たりの島は伊計島という。古代の遺跡とかもあったのでしばらくぶらぶらしていたら沖縄っぽい風景に囲まれた。よく見ると一面さとうきび畑、道の脇にはハイビスカス、道は真っ直ぐ海に落ち、ざわわざわわと草木が鳴いた。



手元の本によると「ドライブに最適!沖縄屈指の大人気コース!」と書いてあった。晴れていれば観光客で大混雑の場所なのかもしれない。
「多かったらヤダな、一人静かに満喫ってのも考えようによっちゃ悪くない」
一人ごちつつ雨を褒めつつ車はゆっくり進んだけれど、雨にも限度ってもんがある。何度もスコールみたいな雨が降り、降るたびに前が見えず、車を停めて小雨を待った。



小雨を待ちつつ、せっかく沖縄に来たので一度ぐらいは沖縄の海に浸かろうと思った。私は泳げないから海水浴は嫌いだ。風呂や足湯は好きなので常に浴びずに浸かる。肩から上に水が迫った時、私は生きてないと覚悟を決めている。

ナビが示す史跡を見ていたら橋を渡った先にアマミチューの墓という拝所があった。そこが海の中にあり、足を浸けるに打って付けと見た。
橋を渡って浜比嘉島に上陸した。



アマミチューは琉球を作った神様で、内地で言うところの天照大神みたいなもの、とにかく凄い神様らしい。この偉い神様の前で人生初・沖縄の海に浸かった。



浸かって足元を見て仰天した。白いサンゴがギッシリ詰まっていて踏むとゴリゴリ鳴って超気持ちよかった。
私の後に子連れの一家がきた。小学三年生の少年が、
「おっちゃん、これきもちーねー」
一緒にゴリゴリ付き合ってくれた。二人で延々ゴリゴリやった。超楽しかった。が、それを見た親が慌てて子供の手を引いた。声は聞こえないけど怒られてる少年が見えた。悲しい時代だと思った。

雨がやんだ。
アマミチューの説明版によるとシルミチューという神様もいるらしい。二つの神は日野美歌と葵司朗みたいなもので国産みのデュエットを歌い、琉球という国を作ったそう。
「片参りはいけない、沖縄のデュエットをちゃんと聞こうじゃないか」
琉球も色々あった。沖縄になって更に色々あった。水割り・ゆきずり・古い傷じゃないが、アマミチューとシルミチューのラブゲームも楽じゃなかったに違いない。
敬意を込めてシルミチューへの道を歩いた。小さい島だから10分も歩けば着くと思った。が、往復1時間半もかかった。



やはり旅ってものは車に乗っちゃいけない。車の入らない細路地に旅の醍醐味が幾つも転がっていて、そういうものは得てして撮ってはいけないものが多かった。なるほど観光の本が写真ばっかり読むとこなくて、旅の本が文字ばっかり見るとこない、その理由がよく分かった。

目的地シルミチューの墓は島の南端、崖の中腹にあり、鳥居を潜って階段を登った先にあった。




カップルや妊婦が多く、中年お一人様は自分一人。どうやら安産・縁結びの祈願所になってるらしい。居合わせたカップルに話を聞くと、アマミチューの海でサンゴを拾い、シルミチューに供えるとご利益があるらしい。



「しまった!」
サンゴは先ほど延々踏みまくったけれど手元に1個もなかった。しょうがないのでカップルに恵んでもらい三人一緒に供えた。女性は笑った。男性は怒った。沖縄のパワースポットで複雑な縁が芽生えてしまった。

「さて、次はどこへ行こう?」
浜比嘉島を後にし、海中道路の道の駅で作戦会議を立てていると北の空から黒い塊がやってきた。



「こりゃ降るな」
沖縄に来て四日も空を眺めていると雰囲気で次の天気が分かるようになった。
「凄いのが来る!海の黒さが違う!」
見た事ない黒い影が上下サンドイッチで迫ってきた。写真を撮るべく車を降り、高いところへ上った。



写真を撮った。一息ついた。次の瞬間、黒い影はすぐそこに迫っていた。予想以上に速かった。
「黒船来襲!逃げろー!」
全力で車へ走るも時既に遅し。アッという間に暴風雨に飲み込まれ、すぐそこの車に辿り着けなかった。



屋根のあるところに避難した。が、屋根は役に立たなかった。左右と下から海水が飛んできた。凄まじい風だった。コンクリート造りの公衆便所に飛び込んだ。密室で嵐が過ぎるのを待った。ついでにうんこした。15分待った。が、嵐は去らず、去る気配もなく、あきらめて車へ走った。
嵐と触れたのは一瞬だった。一瞬なのにパンツまでビッショリ濡れた。今日もノーパン・チェックインの運びとなった。
ちなみに世界遺産の勝連グスクはあきらめた。嵐がやまずノーパンで寄る気にもならず、真っ直ぐ宿に向かった。
この日の宿は恩納村にとっていた。おじいとおばあ二人でやってる小さな宿だった。暇で暇でどうしようもなかったので、おじいを呑みに誘ったら「あんたの他にも暇そうな客が他にいる」と肥えた中年を紹介された。東京の人らしい。写真が趣味で沖縄へ撮影旅行に来たらしい。
「お互い凄いタイミングで来ちゃいましたね」
「今日の嵐は特にひどいそうです、ほらテレビを見て下さい」
沖縄という場所は梅雨の最後に凄い嵐が来るらしい。今日の嵐がそれらしく、崖崩れのニュースが流れていた。
「そうガッカリしなさんな、明日の夕方は晴れるよ、いつお帰り?」
宿のおじいが場を明るくしようと気を使い、晴れの話題を提供してくれた。が、東京の客も熊本の客(私)も明日の夕方沖縄を発つ段取りだった。不運のエッジが際立った。
「こうなりゃ呑もう!呑み行きましょう!」
くさくさしててもしょうがないので東京の人と二人で呑みに出た。おじいにオススメを聞いて近所のそば屋で呑んだ。
「明るく呑もう!出会いに乾杯!」
美味い肴をテーブルいっぱい注文し、BGMの沖縄民謡もボリュームを上げてもらった。何と言っても沖縄最後の夜だった。暗く終わる事だけは避けたかった。が、東京の人は明るい話題を求めなかった。話して分かったが性格が暗かった。それも中途半端に暗いのでなく心底暗かった。どんな話題を提供しても暗い話題に戻された。
歳は同じくらいか、ちょっと下か。何度も職を変えたそう。今は工場勤め。ずっと独身。望んだ独身ではないらしく、マジで彼女が欲しいそう。
「独身貴族でいいじゃないですか」
軽く言ったら火が点いて真顔で叱られた。
「金もないから独身貴族じゃないんです!強いて言うなら独身ルンペン!」
何も返せずシーンとなった。
シーンを打ち破るべく暗いエピソードが続々披露された。
「分かったでしょ、色々あって辛いんです」
「分かります、それは分かりますが口に出してはいけない、ここは旅先ですよ」
この人はどんだけ暗いのか。私は暗い鍋底に100本200本たいまつを投げた。投げたけど全く灯りが見えなかった。が、本人はすこぶる楽しいらしい。
「こんなに楽しい酒は久しぶりです」
急に言われてギョッとした。追えば逃げらる。逃げれば追わる。二次会やろうと誘われたけれど、やんわり断った。
呑み代は私が払った。途中から人生相談になり、私は先生、東京の人は生徒、そういうカタチになった。払わざるを得ない状況に陥った。
後々考えればアルコールと最初の問答がまずかった。
「遊ぶって何です?」
この問いかけに寅さんで学んだ名ゼリフを反射で投げてしまった。
「心が口笛を吹くという事です」
「ぶはっ感動ー!」
東京の人が急に松岡修造みたいになった。熱くて面倒臭い人になった。
「先生!先生と呼ばせて下さい!」
この問答は団塊の世代にしか効かないと思っていた。が、暗い人、理屈っぽい人にもよく効いた。私は暗い松岡修造から逃げ回った。
「先生、次の質問をー!」
「勘弁してくれ!あんた歳幾つ?」
「四十です!」
「年上かーい!」
最後の夜はそうして更けた。
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