第142話 隠せ!(2019年2月)

嫁が長女を産んだのは26歳、それから2年越しで3人の子を産み、41歳で4人目を産んだ。何が辛いって全てにおいて気力が萎え、全くやる気が湧かないそう。更に体も微妙らしく尿漏れが一番ヤバいと言う。
夫である僕はそれを笑い飛ばした。
「俺は老眼と膝と腰と肩と首が痛いぐらいで他は若い頃と何も変わらん!気力充実!やる気満々!」
が、事件が起こった。四女を抱っこした時、あろう事かウンコ漏れた。
「まじ?」
これは尿漏れの比じゃない。
隣に嫁がいた。ソーッと赤子を置き、摺り足でトイレへ行った。
「うん、これは大だけに大事件」
身を清めつつトイレでじっくり考えた。
(ドア越しの嫁に言うか言わないか?)
その事である。
言えば最大限の罵声を浴びる。が、尿漏れに苦しむ嫁がそれ以上の旦那をもって救われるかもしれない。
身は清めた。問題はパンツ。たまたま薄い水色で、それは大海に浮かぶオーストラリアのよう。見付かれば逃げ場はなく、これを持ってトイレを出る大人は「もはや人間放棄」と言っても過言じゃなかった。
「決めた!隠蔽する!」
パンツをトイレットペーパーで巻いてポッケにしまった。それから作業着をノーパンではいた。ノーパン作業着は初めてだった。パンツの偉大さにふるえた。身をもって作業着内側のゴワゴワを知った。
トイレを出た。
(普段通り、普段通り…)
思えば思うほど挙動が怪しくなった。
嫁が寄ってきた。
(嘘だろ?女の目はノーパンまで見抜くのか?)
分かりやすく僕は焦った。変な汗をかきながら嫁を凝視。
「トイレ長かったね、下痢?」
「う!うんっ!」
しどろもどろの僕はここにいちゃいけない。ノーパンのまま家を出、急いでダンボールを用意。そして、そのダンボールの中にパンツを放り込み即座に火を点けた。
「燃えろー!燃えろー!あっ!」
証拠隠滅に全身全霊を注いでいた僕は嫁が来た事に気付かなかった。嫁もダンボールを持っていた。
「燃やすならコレも一緒にお願い」
「…」
(こいつ気付いてる?)
気付いてるはずない。全てブ厚い作業着の中の出来事。出来事はティッシュとダンボールに包まれ今ボーボー燃えた。
(気付いてない!絶対気付いてない!そういう事にしよう!)
怪しまれたら困るから時間を置いて物干し台のニューパンツをゲット、機械が並ぶ作業場でフルチンになって着替えた。
それにしても老化は怖い。体全体が緩みつつある。老化なんて遠い話、他人事だと思っていたのに、こんな近くにいたなんて。
嫁が尿漏れの話をしながら「笑ったり力を入れたりするのが怖い」と言ってたけど僕も怖くなった。ほら今日からネジの締め方が変わった。手だけじゃなく肛門に力を入れてる僕がいた。
とにかく隠蔽は成功した。成功したと言い聞かせた。
それから仕事を終え「ごはんだよ」って嫁の呼びかけに応じ、隣の自宅に戻った。で、目を疑った。
「ナニコレ!」
カレーだった。
「なぜカレー?」
「カレーで悪い?」
「…」
嫁は自身不在の時だけカレーを作る。いる時にカレーを作るなんてありえなかった。
(こいつ、やっぱり気付いてる?)
そういえば何かニヤニヤしてるし娘たちも半笑いで父を見てる気がした。
(間違いない!気付いてる!)
顔から火が出、カレーの味も酒の味も分からなくなった。
僕が茶の間に戻る前、こういう会話が繰り広げられたに違いない。
「今日おっとーウンコ漏らしてね、トイレでコソコソやってんの」
「まじ?」
「でね、パンツをコソコソ持ち出して焼却炉で焼いてんの」
「ウケるー!」
「更に更にね、ノーパンで半日暮らして夕方こっそり干してるパンツはいてんの」
「やめてー腹よじれるー!」
「これ内緒ね、おっとー気付いてないと思って偉そうに帰ってくるから」
「えー!おっとーの顔見れーん!」
「あー最悪なのに最高、だから今日はカレーにしたの」
「あーだからカレーか!」
その夜、僕は一番風呂に入り9時に寝た。9時に寝たけど12時まで寝れなかった。むろん茶の間が気になって寝れなかった。
あれから嫁は何も言わない。言いたい僕は何も言えない。言えないから書いた。
恥ずかしい話ってのは触れられないのが一番辛い。
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