第148話 昭和の残像(2019年12月)

男はつらいよ50周年を記念して過去の名作を映画館で上映するという企画がある。が、それは東京大阪の話で田舎の人間は行けないぞって思っていたら福岡でやるという情報を得た。それも昭和21年創業の古い古い映画館の一番小さなホールでやるらしい。
「なにー!すぐ埋まるに違いない!予約しなきゃ!」
電話して混雑状況を聞いた。ぜんぜん余裕、絶対座れるらしい。
スケジュールを見た。どうせなら一番好きな17作「寅次郎夕焼け小焼け」が観たい。が、ダメだった。その日は出張が入ってた。次に好きな15作「寅次郎相合い傘」はどうか。
「よし行ける!水曜だ!」
そうと決めたら嫁に打診する必要があった。嫁は僕の事を永遠の暇人と信じており、常に僕がいる前提で大事な予定を組む。
「寅さん観に行っていい?」
「いつ?」
「18日」
「行きなよー!この機会を逃すと映画館で観る機会ないよー!絶対行った方がいいってー!」
反対されるかと思いきや、やたら物分かりよく背中を押してくれた。あの嫁が信じられない。絶対怪しい。子供に聞いて分かった。その日は近所の奥様とショッピングモールで忘年会らしい。いつ言おうかと思ってたところに僕が映画観たいと言い出した。
「絶対行きなよ!」
これは理解や物分かりでなく、願ったり叶ったり、己の都合との合致であった。

12月18日、その日は雨だった。
寅次郎相合い傘を観る日が雨だったら僕泣いちゃうと思っていたらまさかの雨、興奮した。この感動を嫁に伝えると、
「はいはい良かったねー、これ持っていきー」
なんと中年男子にピンクの傘を持たせてくれた。



出発は早朝5時45分、真っ暗だった。朝イチのバスは6時30分だけど、それだと福岡中洲に着くのが10時ギリギリで間に合わない。よって早起き出社で有名な近所の先輩に麓の大津駅まで乗せてもらった。
車中、先輩は仕事の愚痴を語ってくれた。
「そういう訳で会社辞めたいけど辞められんとよー、福ちゃんはよかねー、毎日が楽しそうでー、映画観に行くって急に決めたんでしょ、嫁も快く許したんでしょ、最高だよー、僕も思い付きで生きたかー」
タコ社長が寅さんを笑うが如き日本語で僕の気分を盛り上げてくれた。
大津駅から武蔵塚、武蔵ヶ丘から福岡天神と、電車から高速バスに乗り換え、上映30分前、映画館に着いた。
古い映画館はやっぱりよかった。券売機じゃなく街角の券売所でチケットを買い、入場は正装のボーイがカウンター越しにチケットを切った。LEDもあんまりなく、ほぼ白熱球だった。
「いいっ!何だかいい!すごくいいぞっ!八代のキャバレーみたいだ!」
大興奮で指定の第4ホールに突入した。そこには立ち見の人垣ができていて「すいません通して下さい」押し分けながら指定の席へゆくはず…。が、人っ子一人いなかった。
「あれ?」
30分前は早過ぎか。しばし待った。
15分前になった。まだ誰も来ない。記念にセルフタイマーで写真を撮った。



10分前になった。
「まさか貸し切り?」
その疑念が湧いた時、老人が一人来た。呼吸も苦しそうなヨボヨボの老人だった。
次いで耳にピアスのギャルが来た。普通のおばさんも来た。土方のおっさんも来た。学者みたいな人も来た。呑み屋のママも来た。学生も来た。
総勢10人になって予定の時刻になった。
「人数は少ないけど何だこのバラツキ?」
世代間アンケート調査のため意図的に呼ばれたみたいにぜんぜん違う種類が来た。子供以外は全部いた。
新作の予告が始まった。いい予告だった。予告で泣けた。僕だけかと思ったら隣の老人がおいおい泣き始めた。老人だけじゃない。みんなウルウルしてた。
「そうか!みんな寅さんに惚れてるんだ!」
嬉しくなった。僕の席は一番後ろの真ん中だった。そう、今日は映画を観に来たんじゃない。昭和の映画館を観に来たんだ。
山田洋次がテレビでこう言ってた。
「昔の映画館はそりゃ賑やかですよ、みんな映画にのめり込み、スクリーンに向かってギャーギャー叫ぶ、危ないっとか、がんばれーとか、好きだーとか、映画ってのは静かに上品に観るもんじゃない、のめり込んで観るもんだって教わった」
僕はそれを知らない。映画は静かに観るもんだと教わった世代だ。
知りたい。観たい。昭和が観たい。昭和の空気に触れたい。
本編が始まった。僕はこの作品を4回観てる。多分この感じだと周りの人も僕と同じかそれ以上に観てるだろう。
「が、この感じは何だ?」
僕を含め、みんなスクリーンにがぶり寄りじゃないか。
隣の苦しそうな老人に至っては寅さんの一挙手一投足に歓声を上げ、ゲラゲラ笑い、おいおい泣いた。完全に不自由な娑婆を忘れ、映画にのめり込み、寅さんと同じ世界に立っていた。
「これかー!」
この作品では寅さんが「リリーに立派な舞台で歌わせたい」と夢を語るシーンがある。その時、老人は「くー!」っと叫んだ。寅さんと同じように何もできない自分が悔しくて悔しくてしょうがないのだ。
「僕も悔しい!」
私も悔しい。俺も悔しい。アタイも悔しい。老若男女が悔しくて悔しくておいおい泣いた。
クライマックスは相合い傘。柴又駅前に番傘持った寅が待つ。見付けるリリー。腕を組むリリー。照れる寅。上からの絵。
「よっ!待ってました!」
この15作が公開されたのは昭和50年、賑やかな映画館にその声が飛んだに違いない。が、それから45年、10人の客は何も言わない。ただ泣いてる。黙って泣いてる。昭和50年と違うのは僕たちみんな49作全て観て、惚れ込んだ渥美清も既になく、駅前の風景もニッポンの風景も人間の風景もゴロッと変わってしまった。
「不便だった頃の風景と不器用な男の待ちぼうけ、それはひどく美しく、そして悲しく、僕たちは沈黙せざるを得ないのであります!」
映画は終わった。
割れるような拍手はなく、10人の全く違う人間はそれぞれのタイミングでゆっくり立ち上がり、目を腫らして消えた。
僕は最後に立ち上がり、一礼し、小さな映画館を後にした。

あれから8日経った。
なぜだろう昭和の残像が消えない。隣の老人の涙声と、終わった後の一人静かな拍手の音が消えてくれない。
あれからこの体験の素晴らしさを色んな人に語ったけれど1%も伝わらず「とりあえず観て」と全ての人にお願いした。奇跡の旧作上映なのにガラガラなんて信じられない。満席であの老人と観たい。そしてみんなで立ち上がり、泣きながら拍手したい。
昭和の残像が消えない。つづきが欲しい。
次の旧作上映は100周年、50年後、もう死んでる、叶わぬ夢だ。


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