| 第164話 KJ父の予言(2026年1月) KJという20代前半に勤めた会社の同僚がいる。同じ会社ではあるけれど僕は埼玉、KJは東京、何の接点もなく赤の他人だった。それが会社の同期を呑みに誘うため社内ネットでメールアドレスを検索、なぜか間違いメールを送った先がKJ。男みたいな名前だったので「これも何かの縁だから呑みましょう」と言ったのが始まり。で、KJもKJで断る事なく呑みに来た。で、驚いた。女じゃないか。更に呑んで驚いた。見た目は都会のシュッとしたOLなのに中身はおっさんだった。 それからKJは縁が深い。我々同期と呑むうちに同期の一人と結婚し、何となく同期のような感じになった。 更に当時我々は寮生、家庭の味に飢えていて、KJだけが実家通い。実家に呼んでとお願いし足繁く通う運びとなった。 KJの実家には迷惑かけたと思う。社会人とはいえ学生上がりの20代前半、呑む、食う、手ぶら、更に必ず泊まって帰るという四拍子で実にタチが悪かった。が、その両親は秋田と福岡の出身で田舎者にすこぶる優しかった。秋田出身のお父さんが口を開けない発声法で何かモゴモゴ言われるのを全て呑めや食えやに変換し容赦なく甘えた。きりたんぽもいぶりがっこもKJの実家で初めて食った。お父さんが呑む時のチェイサーはアイスのガリガリ君だったのも衝撃的で、お父さんが好きだからと何か果物味のそれを買って行ったら「ソーダ味以外はガリガリ君じゃない」ってのを秋田弁で凄い怒られた。意味不明で怖かった。 そのお父さんが病気らしい。その事を11月2日にKJから聞いた。 KJが九州へ遊びに来ると知らされたのは夏の終わりだったと思う。同期から「呑み会やる、会場は南阿蘇のお前んち」と通達され僕に拒否権はなかった。 KJとは15年くらい会ってなかったように思う。会社を辞めて22年経ってるし、KJは東京、僕は熊本、完全に年賀状のお付き合いだった。 久しぶりに会ったKJは少し痩せて少し老けてた。KJから見た僕は少し太って少し老けてたそう。思い出話に花が咲き、当然お父さんとお母さんの話になった。そこで聞いた。お父さんが病気らしい。それも年内もつかどうか怪しいそう。 僕は暇だ。金はないけど暇だけは自信ある。恩義あるお父さんに会いに行ったら喜んでくれるだろうかとKJに聞いたら多分喜ぶと返された。大変な状況の中で行って迷惑にならんだろうか、行ったら必ず一緒に呑む、そして泊まる、特にお母さんの迷惑にならんだろうか。 「よし分からん事は電話で聞こう」 僕のガラケーには15年前に聞いたお母さんの携帯番号が入ってた。KJがよそ見してる隙にお母さんに電話した。繋がった。病気の話をKJから聞いた事を伝え行って迷惑にならんか聞いた。おいでと言われた。お父さんも喜ぶと言われた。お父さんも今は調子がいいらしい。電話を代わると言われ久しぶりにお父さんの秋田弁を聞いた。 お父さんの声を聞くまで11月中に行けばいいやと思ってた。が、聞き取れない秋田弁の中で一つハッキリ聞き取れたのが「来週までもつか分からん、すぐ来い」その言葉だった。電話を切り、客が去り、一人になって暇人は慌てた。 「すぐ行かなきゃ!」 それから先は大変だ。航空券は直前だとムチャクチャ高い。何度も書くけど僕は暇はあるけど金がない。酒の肴で話を聞いた顧問が「金は俺が出してやる」と言ってくれたけどそれに頼るのは違う気がする。おみくじマシンの売上金から100円玉をかき集め何とか成田経由のLCCを確保。3日後に飛んだ。 もう一人、当時共にKJ実家にお世話になってた同期も来た。彼は山口在住でたまたま東京出張が前日まで入ってたそう。課長という職権を濫用し出張を1日延ばしてKJ実家最寄り駅で合流した。僕は作業着、彼はスーツ、やはり悪人はスーツを着るという仮説は正しかった。 久しぶりに会ったお父さんはガリガリに痩せてた。190cm近く身長があるのに体重60kgないらしい。若いお兄さんが何か一生懸命説明するのをどこ吹く風で聞き流しておられた。 お兄さんはケアマネージャーという行政が派遣した人らしい。自宅で最期を迎えたいというお父さんの希望に沿って何やかんや準備してくれてるそう。この日は呼吸が辛いお父さんのために酸素ボンベを届け、そのセッティングをし、使い方の説明をされてた。明日は介護ベットが届くそう。 「日に日に大袈裟になって困る」 お父さんは笑いながらそう言ってたけど「そういう状況で呑んでいいのか?」遠方から来た我々も困った。が、来てしまったからには呑むしかない。土産はアルコールとガリガリ君ソーダ味しか買ってなかった。 ケアマネジャーが帰った後、お父さんはコタツの定位置にドスンと座った。毛布を着てるかのようなモフモフのパジャマがあたたかそうで、それに触れるところから話が始まり、幾つかやり取りしたけど、こっちの声は届いても向こうの声は力がなくて届かなかった。 お母さんが代弁して喋られた。若い頃の喫煙はこういう状況になって覿面苦しみとなって効いてくるらしい。 お母さんはお父さんの病気、その経歴をスマホにメモされてた。それによると四半世紀前の糖尿から始まるそう。見せてもらった。知ってる病気がほぼ全て書いてあった。長い時間をかけ、ありとあらゆる病気にかかり、目の前にいるお父さんは自他共に認める病気のデパートになっていた。 「KJに聞いた通り病気のデパートだ!お父さん新宿伊勢丹じゃないですか!」 お父さんニッコリ笑ってお酒呑んだ。 呼吸も苦しい状態じゃうまくもなかろうに土産の酒をムリして呑んで「うまい」と囁いてた。 酒呑みの末期には何度も立ち会ったけど、なぜ皆が皆こうも痩せ我慢し呑んでる姿を見せようとするのだろう。そして何だよ!その笑顔むちゃくちゃカッコいいじゃないか! お母さんとKJの話は続く。癌が見付かった時も家族は顔面蒼白なのにお父さんはおどけて「ガーン」と言ったそう。うわーしびれる!抱いてー! お父さんは酒で唇を濡らしながら黙ってうなずいてる。お母さんとKJがお父さんの事を語る。話は二人のなれそめへと続き、我々がギャーとかステキーとか叫ぶ時間が続いた。 2時間ぐらい経ったろうか。我々のバカ話はまだまだ続くけどお父さんは辛そうだった。当たり前だ。ムリして付き合ってくれてる。お父さんを早く休ませよう。が、その前に一つ聞きたい事があった。隣の同期が聞いてくれる事を期待したけど聞いてくれなかった。この質問は変化球を許さない。直球しか許されずエリートサラリーマンには不向きだった。意を決して聞いた。 「お父さん、たくさん人生楽しんだから死んで悔いなしって本当ですか?」 同期がギョッとした。KJ黙った。お父さん笑顔でうなずいた。お母さん笑った。この瞬間、嗚呼この場へ来てよかったと思った。人生を楽しみ尽くし、死んで悔いなしと語るお父さんが自宅で最期を迎えたいと願い、それを家族が叶えようとしてる。これってもの凄い幸せじゃないか。 お父さんが先に休んだ後も宴会は続き翌朝もれなく二日酔いになった。 別れの朝、お父さんに挨拶したかったけどグッスリ寝ておられた。ここ数日呼吸が苦しく寝れなかったみたいで昨晩投入された酸素ボンベが利いたらしい。一礼して場を去った。 それからちょうど1週間、お父さんはお父さんの予言通りに亡くなった。お父さんの希望通り自宅で家族に見守られ静かに静かに逝ったそう。 まいった。かっこよすぎる。合掌した。 |
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